24
夜の帳は、銀の砂をまき散らしたような星は隠せない。
高い天井から覗く月とその周りで踊る星々は、静かに少年を見下ろしていた。


この家は迷路だ。
入り組んでいるその道は、先ほどまで歩いていたはずなのにその記憶が混濁してしまう。
ここで何日暮らせば道を覚えることができるのだろうか、アルスラーンは広すぎるその洞窟にため息をこぼす。


不幸にも今は夜中真っ盛り。
すっかり皆眠っていていびきの一つも聞こえない。
まだ皆が起きているときは声をたどって進めば良かったのだが、糸の落ちる音さえも聞こえそうなこの静寂のなかではそれは叶わない。


「……どうやって部屋に戻れば良いのだろうか」


ぼそりと紡いだ言葉は誰にも拾われることなく解けてなくなっていく。
ああ誰か私の声を拾ってくれないだろうか。一番確率が高いのはダリューンあたり……。


「ーーあら? そこにいらっしゃるのは殿下でございますか?」


声のする方に目をやれば。
そこには、結っていた白い髪をおろして揺らしているシロンの姿があった。


彼女がいるのは外。
あちらかこちらかと右往左往している間に玄関に来てしまったようだ。
シロンはどうぞこちらにいらしてくださいと微笑みながら手にある紺色を揺らした。


「シロン、それは……?」
「ああ、これですか?」


ひらりと翻し空と同じ色の紺色。
それは先ほどキイチゴで染め上げたマントだった。


「そろそろ乾く時間でしたので」


ほんのりと甘い香りがマントから漂う。
ムラのない染めあがり方は、何度も染めてきた経験の賜物だろうか。


手早くそれをたたむと、彼女は「しばしそこでお待ちください」と残して部屋に戻る。
そしてマントをどこかにおいてきたのか、彼女は何も持たずに戻ってきた。


「少し、お話でもいたしましょうか」
「ああ、構わない」


すぐ近くの大きな岩に腰を下ろす二人。
ふと上を見ると、満月が少し沈みかけている。
しかし散らばった銀の砂は輝きを落とすことなく我が身を主張している。


「ーーレアのことですが」


シロンは眉をハの字にしながら話を切り出した。


「あの子はご存知の通り無知でございます。時折とんでもない行動に出ることもございますので、きちんと目を光らせておいてくださいませ」


もしあの子が無礼なことでもしようものなら、全力で叱ってください。
シロンは目を細めて微笑んだ。
まるで、先ほどのハの字の眉がなかったように美しい笑顔で。


しかし、それは逆に美しすぎた。
綺麗に整いすぎた。
絵画の中の微笑みのようにできすぎた笑顔だった。


それが不思議と恐ろしい。
彼の身体に悪寒が走っていくのがわかった。


「……シロン」
「はい殿下?」


首を傾げるシロン。
その黄色の目の奥は槍のように鋭く、冷たい。
触れるな、彼女の中の蛇がそう告げている気がした。


アルスラーンは震えそうになる唇を抑えこんで彼女に問うた。


「一度……肩を貸してはくれないだろうか」


彼女の中の槍は身を潜めた。
アルスラーンはこれもまた本心だと自分に言い聞かせた。別に、聞かれたくないことを聞くのも気が引けるものだと。


「……殿下?」
「正直に言おう。私はレアとそなたが羨ましかった」


笑顔で触れ合うこの親子が、温かかった。
自分はこんな経験があっただろうかと心が冷えた。


それが、嫌だった。


「……殿下」
「自分がなんて愚かなことを言っているのかは理解しているつもりでいる」


両親との壁を自ら認めたも同然だ。
もしかしたら、いやそんなことは、実はそうなのかもしれないと。
ずっとずっと蠢いていた疑問が、二人を見てさらに存在感を増したのだ。


「殿下」
「……ああ」


「明日、髪を結わせてくださいな」


「ーーえ」


さあ、今宵はもう終いに致しましょう。出発はもう目の前なのですから。
シロンは大きく伸びをしてアルスラーンに手を差し伸べた。


月と星の光が彼女に影をつくる。
それでも彼女の目は、やわらかく温かかった。


「ああ」


彼は静かにその手を取り、シロンの案内のもと部屋に戻った。


銀の満月と銀の星々は沈んでいく。
小鳥のさえずりに呼ばれるように太陽は昇り、また山は賑やかさを取り戻す。
  

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