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帰り道にもエラムは驚かされた。
出てきたときには気がつかなかった入り口の小ささ。

少し背の高い植物が茂っているとはいえ、その背中に隠れているとは思わなかった。

出てきた時はレアが一歩前に出て案内してくれていたため、きっと草を分けて道を作ってくれていたのだろう。

小さな入り口を潜ると、外からでは想像できないほどに高い天井。というより空洞。
これは自然にできたものなのだろうかとエラムは湧き上がる好奇心を必死に押し殺す。こういうのは聞くよりまず自分で考えたほうが楽しい。

「ただいま戻りましたー!」

レアの透き通るような高い声が響いた。
壁や天井にぶつかりながら彼女の声は通っていく。少しするとシロンの落ち着き払った声が返ってきた。「居間にいらっしゃーい」

彼女は首だけをこちらに向けてくる。行きましょう? そういわんばかりの無邪気な目。
エラムは無意識に口元を緩めながら頷いて足を前へ出した。

ついていくことほんの数秒。
数々の布で仕切られているこの家の中で最も鮮やかで目を惹く朱色の布を上げると、そこには案の定みんなが揃っていた。

レアはカゴの中に山ほど積まれているキイチゴを母親に見せた。
それに倣うようにエラムも見せるようにカゴを上げる。

「お疲れ様でした。予想以上よ」

シロンは後頭部の白雲を揺らして微笑んだ。
彼女が二人の元へ歩み寄り、カゴを受け取る。「エラムさんもありがとうございました」

「いえ、このくらいたやすいものです」と返すが、彼の脳裏に浮かぶのはあのキイチゴの場所とか高い絶壁とか木の上を滑るように移動していくレアとか……正直たやすくなんて無かったなと心が冷たくなっていくのを感じていた。

ナルサスがエラムを呼んだ。「エラム、隣に座れ」
言われるまま彼の隣に腰をかけたエラム。視界の端では彼女もシロンの横に座らされていた。

向き合うように座っている両者。
その空気は変に重たくて変に明るい。
摩訶不思議なそれに二人は戸惑いながらも慣れるしかないと誰かの口が動くのを待った。

その期待に答えたか否か。
レアの隣に座るシロンが「ああレア、すごいことを知ったのよ」とさぞ楽しそうに人差し指を立てた。

アルスラーンたちも苦笑いをしながらそれを見る。
しかしエラムだけはなんの話だか理解をしていなかった。当たり前である。

「あのねレア、なんと! 今目の前に座ってらっしゃるこの男の子、実はパルスの王太子、アルスラーン王太子殿下だったのよ!」

満月がただの点になった。
エラムは身分を明かしたのかと思うだけでそこまで驚きはしない。

それと対照的にレアは自分の母親がなにを言っているのかわからないというように「王太子……殿下?」と復唱していた。

「王太子……? 殿下……? おうたいし……でんか? アルスラーン……王太子……でん……ッ!?」

やっとつながったらしいレア。
旋毛へダイレクトに雷が落ちたかのように、脊髄へ、そして身体中に衝撃が走る。

「あっ、あッ、アルッ、アルスラッ、アルスラーン王太子殿下ッ」

言葉が紡がれない。
顎はさも痙攣しているように暴れているし、その中の舌も自身の仕事を忘れてしまったかのように大暴れ。

そしてそれに追い討ちをかけるようにシロンは言葉を紡ぐ。

「殿下の周りにいらっしゃるはみーんな殿下のお仲間さん。中には宮廷でお仕事していた人もいるのよ?」

「はうあッ!?」

さらに大きな電撃が彼女を襲う。

その瞬間絨毯が焼けるのではないかと疑ってしまうくらいの勢いで額を床にこすりつける。
さすがのアルスラーンも彼女の様子に焦り、「だ、大丈夫か?」と心配する声をかける。

彼女は、一度顔を上げたかと思ったらまた再度頭をさげようとーー。

「いい加減に、しなっさい!」

その瞬間、パシーン! と乾いた音が居間中に響き渡った。
後頭部を見事なまでに平手打ちされたレアは、結局絨毯と額を挨拶させるのだった。

「そこまで戸惑うことないでしょう。これ以上醜態をさらさないの。殿下の前よ?」
「……うあい」

消え入りそうな声で彼女は返した。その手は後頭部に。

シロンは呆然とするアルスラーンたちに対し、申し訳ございませんと軽く頭を下げてからレアと向き合った。

「本題はここから。あのねレア、これこそ戸惑わないで聞いてほしいの」

未だ後頭部を抑えたまま彼女はシロンを見た。
シロンは切れ長の黄色い目をさらに鋭くして、彼女の頭を撫でた。

「あなたはアルスラーン殿下についていきなさい」

「……え」

頭を撫でる手は綿のようにやさしく、鋭かった目は柔らかく。

「アルスラーン殿下に忠誠を誓いなさい。一人の人間として、殿下に尽くしなさい」

「……」

彼女は言葉を失う。

「戦い方はこれから覚えていきなさい。あなたにはそれができる」

「……なんーー」

彼女が言いかけた瞬間、シロンの髪が大きく揺れた。

結っていた紐は切れ、髪の先端に二つの黄色の光が灯る。
瞳の中の瞳孔は縦に伸び、身体に蛇の鱗をまとった。

「……母上」

先ほどは獲物を捕らえるような目だったが、今はそれ以上に包容力のある母の目をしていた。

「レア、私はこれができる。私の娘であるあなたにもこれができるのよ」

レアはまるい黄色の瞳を伏せた。
ただ、今はこれを受け入れてもらうしかない、とシロンは娘の肩に手を置く。

……やっぱり、難しいか。

シロンは半ば諦めながらも愛しい娘の名前を呼ぶ。
応答はない。それでも名前を呼びつづける。
自分を受け入れてくれるか、また、彼女自身もこの力を持っているということを受け入れてくれるか。

「レア……」

弱々しくなっていく母の声。
アルスラーンたちはそれを心配そうに見ていた。

レアはただただうつむいて、胸元に拳をつくっていた。
力を入れているが故に震えるそれを、シロンは自身の手で包み込む。

その時、レアの口が動いた。

小さすぎるその声に、アルスラーンたちは耳を澄ませた。
しかし彼らの目にはありえないというように目を見開くシロンの姿があった。

また再度動かされる唇。
今度は先ほどよりも大きく、明瞭に。

ーー知ってた。

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