16 気づけばカゴはいっぱいだ。 山盛りになったカゴをまじまじとエラムは見つめた。達成感が半端でない。 レアの方も既にカゴはいっぱいで、改めて一粒一粒傷やらなんやらを確認しているようだった。 それにしても綺麗なキイチゴだ。 エラムは一際綺麗なそれをつまみ、青い空に掲げてみた。 濃紺のそれは、太陽に照らされて所々反射しながら輝いていた。 その白い光が、夜空に輝く一等星さながらで口元が緩む。 「ーー綺麗ですよね、そのキイチゴ」 「うッ」 彼女はこちらを見ながら楽しそうに笑っていた。 すでに確認も終わっているようで、カゴには綺麗に積まれたキイチゴたち。 恥ずかしいところを見られた、と思いながら手にある夜空をカゴに戻した。 ーーそしてふと思う。 「レアさま、戻るときはいかがなさるのですか……?」 そう、戻り方。 エラムは登ってきたのと同じように絶壁を下るのかと想像する。背筋が震えるのがわかった。 しかし、彼女はその斜め上を行く。 「飛び降ります」 「はぁ!?」 当たり前です、と顔に書いてある。 もう何を言っても無駄ではないかと思いつつも彼は説得する。彼だって自分の身長の十倍はあるであろうところから飛び降りたいとは思わない。 「飛び降りは危険です! まず普通に着地しても骨の一本や二本……下手すれば命だって……っ!」 「大丈夫でございます。落ちるときの着地点として、葉を寄せ集めて落ちた時の衝撃に耐えられる場所を作って置きました。いつもそこを使っております上に、それで怪我したことなどございません」 「それにせっかく採ったキイチゴも散らばってしまうのでは……」 「衣服の中に抱え込むようにしてお持ちください。そうすればこぼれないかと」 安全はその身をもって証明できており、戦利品も守られる。 しかもそれで時間も短縮になるのだ。そんな手を使わないわけがない。 そういわんばかりの彼女の姿勢と表情に、エラムは折れるしかなかった。 「では、そろそろ参りますか?」 「……もう少々お待ちください」 片手で頭を抱える。 今まで幾度と危険と隣会ってきたはずだ。アルスラーンと共にいるようになってからは特に。 それより前にも山の中で自身の君主に近づくおかしな輩を追い払うために木を登り、その上で弦の音を響かせてきた。 木から降りるときだって枝から一気に飛び降りることができる。 しかし、絶壁のくぼみから飛び降りたことなんてない。 おそるおそる顔を出すと、眼前に広がる緑。 その緑の範囲が広いほど、自分が今どれだけ高いところにいるのか痛感する。 きっと巣立ちの雛はきっとこういう気持ちなのだろう。 親鳥から蹴り飛ばされるように追い出されて落とされる鳥社会を思い出して少し同情。 大きく息を吸って、大きく息を吐く。よし、平気だ。大丈夫。 「レアさま、平気です」 「それでは、参りましょうか」 彼女は出口に向かうと共にエラムの左腕を掴み、無理矢理立たせた。 「え?」と呆気に取られるエラムだったが、彼女が今なにをしようとしているのか瞬時に理解する。 身体中に冷たい電気が走ると同時に、キイチゴが詰まったカゴを服の中に閉じ込めた。 「ちょ……ッ! レアさま……っ! なにしーー」 「いっきますよー!」 そらっ! 風がすさまじかった。目も開けていられない。 冷えていくエラムの耳のすぐそばで大男が唸っているようだ。 掴まれた左腕は離さないとばかりに力強く握られている。しかし、彼の意識は遠くまで離れていきそうだった。 顔を歪ませるほどに強い風に乗って、彼女の声が聞こえてきた。 「エラム様っ! 仰向けになってください!」それと同時に引かれる左腕。 今は彼女の言うとおりにしていないと危ない。必死に身体を回転させて上を向く。 目が開けられた。 ついさっきまで自分が居たところが、もの凄い速さで遠ざかっていく。 くぼみがみるみる見えなくなっていく。 快晴の真っ青な空がさらに上から彼らを見下ろしていた。 くぼみの輪郭がちょうど見えなくなったころ、背中にやわらかい衝撃が走った。 鼻に葉の独特な香り。宙を十分に舞ってから自分の顔に着地する葉。 そして頭の上に落ちてくるこぼれたキイチゴ。それは潰れて顔に絵を描いた。 「エラム様、これを」 そう言って彼女が差し出したのは小さな白い手ぬぐいだった。 「ありがとうございます」と礼を言ってから手ぬぐいを受け取って顔を拭く。 澄み切った白の中に、濃紺が入り混じった。 「レアさま、今すぐ洗わせていただきますので、どこか水辺は……」 「結構ですよ。濡れてしまっては運びにくいですし」 「ですが……」 「今までも同じようにしておりますので。全部がその色で染まればそれはそれで綺麗ですからね」 毎日ゆっくりと染物をしているようなものですから。 エラムはそう言われて渋々と返す。ありがとうございましたとまた礼を添えて。 |