髭切と甘いもの

「あるじ、やっと帰ってきたんだね。おかえり。ねえ、こっちにおいで。」

甘い声で誘われる。
何かを含んでいるような笑顔で、「お菓子もあるよ?」なんていう髭切と出くわした。

今日は帰宅早々エンカウントのレア度が高いな、と頭の片隅で思いながら、なまえは答える。

「お菓子?………食べる。」

何か裏がありそうな笑顔と、先ほどの三日月の件で多少思案したが、現在午後3時。ちょうど小腹が空いていたところだ。光忠を筆頭とした刀剣たちの日々の餌付けにより、時間になったらお腹が空くようになっている。おやつの時間には抗えない。

「うんうん、いい子だね。」

お菓子をたべるってだけで褒められる仕事は果たして審神者業以外にあるだろうか?この本丸、審神者に対しても超絶ホワイトである。ホワイトというか、練乳色をしている。
主を独り占めできるという喜びで笑顔がとまんない髭切に、なまえはほいほい付いていく。

二人目の挑戦者が決まった瞬間である。



「はい、主。あーん。」
「………あーん。」

自分で食べるから、という遠慮は『*』の間に三回繰り返されたのだけど無駄だった。

なまえの遠慮に返ってくるのは無言。首を傾げた髭切の可愛いお顔である。ご自慢の長いまつ毛の瞬きだけで伝わる。
仕草ににじみ出るテロップは、「ちょっと何言ってるかわかんないなあ?」としか読めなくて、なまえは心が折れた。

素直に甘やかされた方が楽である。幸い部屋には二人きりだし、咎めるのはなまえの羞恥心だけだ。その羞恥心は刀剣たちがこぞってぶった斬りにくるので、戦線離脱しがちである。

隣り合って座った距離で、髭切が源氏パイをつまむ。ぽろぽろこぼれるこれを、机にも床にもぽろぽろこぼしながら食べさせられている。
なんという不効率。しかしどういう訳かこの不効率と不合理が最速で連帯戦を終えたなまえのスーパー左脳状態を柔らかくほぐしていく。比例するように畳の床は汚れていくので、同室の膝丸はどんまいだ。

さくさくさく。
歯に触れてくだけていく源氏パイ。誉をとったときに、「源氏ばんざい。」となまえにもらってから、ずっと髭切のお気に入りだ。
ざらめがごりごりと、固くなったこめかみをほぐして気持ちいい。バターの味が、もうひとつ、を誘う。

「ねえ、あるじ、美味しい?」
「うん、美味しい。」
「ふふ、うれしいなあ。」

机に頬杖をついた髭切がのほほんと笑う。その笑顔に、なんだかんだなまえも癒されている。
戦闘時からは想像もつかないほど、本丸での彼はいつも穏やかだ。にこにこと笑っている顔は、きれいというよりも可愛い。

髭切の戦闘時を咆哮する獅子と例えるなら、なまえと居る今は日向のポンデライオンといったところか。

「髭切も食べる?」

「ううん、僕はいいんだ。それよりも今は、君の可愛い顔を見ていたいからね。」

歯の浮くようなセリフをいとも簡単にいうのだ。なまえの主としての指針は仲良し主従だけど、こういうのはやっぱり照れる。
孫扱い孫扱い、なまえは言い聞かせて平静を装う。

「ああ。でもすこし味見しようかな?」

「うん、一緒に食べたほうが美味し…」

言いかけたところでにゅっと手が伸びてくる。なまえの唇を拭うように撫でた人差し指をぺろりと舐める。

「へへ、美味しいね。」

「は、………。」

髭切の蠱惑的な猫目が細められる。
ま、孫扱いどこいった。

なまえの脳裏にフラッシュバックする記憶。間欠泉が吹き出すように、頬までふしゅうと熱がのぼった。

前にも一度、髭切に口の中の飴を取られかけたことがある。その時も、「一緒に食べる?」という言葉の意味を取り違えられたのだった。「いいの?」と言いながら頬を撫で、顎を掴んで顔を寄せてくる髭切に、なまえは大いに混乱し、照れた。

この時なまえは誤解を招く言い方をしてしまった自分にも非があった、と反省したのだが、実際のところ髭切は確信犯である。

飴が欲しいとは別段思ってなくて、例えばなまえが狼狽えて赤面している顔とか、照れて俯いているときの真っ赤な耳とかが大好きなのだ。いつも可愛いと思っているけれど、そんな時の主は殊更愛らしくて、あまりの愛おしさで笑っちゃうくらいだ。

髭切は、なまえが自分をどんな風に見ているか知っている。以前、「膝丸と髭切って似てるけど正反対やなあ。」と彼女は言っていた。

髭切は膝丸をよく知っている。つまり、しっかりしていて、せっかちで、くそまじめで照れ屋で奥手な弟の、その逆なんだ。
これは好都合。
しっかりしていなくて、のんびりやで、すこしわがままで押しが強くても許されてるってことだ。

だから、もっと照れた顔を見たい。かわいく困らせたい。
気持ちのままにしてもいいよね?だってどれだけ我慢しただろう。やっと、こうして主を可愛がることができるんだから。

「主、どうしたの?僕、またおかしな事しちゃったかな?」

髭切が悲しそうな顔をするから、なまえはまた、この確信犯を許してしまう。
髭切にとっては他意のないことで、自分が過剰に反応しているだけなのだと、恥ずかしくなった。

「う、ううん。」

答えたあとに、いや、でも一応常識外れだということは伝えておいたほうがいいかもしれないと思い直した。

「でも、こういうことは、…他では、あんまりやらん方がいいかも。」

ごにょごにょと口ごもったなまえ。
ぱち、と目を瞬かせた髭切がふぅんわりと笑った。嫌な予感も束の間。

「ふふ、やだなあ、しないよ?…だって、こうして触れたいと思うのは、主だけだもの。」

カウンターのボディブローが入った。

なまえはしんどい。もう甘すぎてしんどい。奥歯が砂糖でざりざりする。胃もたれを起こしそうだ。耳まで熱くて、視線を逸らした。そういう話はしてないのに、なんでこうなるのか。

その答えはひとえに、この争奪戦において髭切が甘やかすの解釈違いを起こしているからである。

まだ折り返し地点なのに、なまえの右上には早くも疲労マークがついてる。

髭切は高揚感に胸が高鳴るのを覚えた。アルコールでもなんでも、一気に摂取すると危ない。久しぶりの主もまた然り。
可愛い可愛いと言いながら抱きついて地面を転がりたい謎の衝動がこみ上げてくる。この衝動は、千年以上も昔から人に備わっているものだ。それをぐっと堪えて平静を装う。

「たくさん食べたから、飲みものもいるよね。」

「なんかいれてこよっか?」

「その必要はないよ。」

よいしょっと、といって髭切が手を伸ばす。魔法瓶とマグカップが現れた。用意周到である。
なまえは一旦席を外して、甘く溶けそうな脳を外の冷たい空気で洗いたかったのだけど、叶わない。そこは、ぽやぽやしてても源氏の戦刀。なまえの思考パターンなんて、容易く読んでしまっている。

こぽぽぽ、と音を立てて注がれたのはホットミルクだ。ぽうん、と甘くまあるい湯気があがる。

「はい、どうぞ。熱いから気をつけてね。」

「…ありがとう、いただきます。」

ふうふうと表面を冷まして、うかがうように口を付けた。思ったより熱くなくて、ふつうに飲めた。そういえば髭切は猫舌だった。

とろん、と広がるミルクの味は、蜂蜜が隠れていてどこかさっぱりと甘い。じわ、とお腹の中に流れていくのがわかる。さっきから火照らされていたから忘れていたけど、体の奥に残っていた冷たい風が、じゅうっと音を立てて溶けていくようだ。

ほう、とはいた息で張っていた気も緩む。
りんごが木から落ちるみたいに、「おいしい。」が出た。
髭切もまた満足そうに笑って「うんうん。これ、温まるよねえ。」と言う。
部屋の中の空気まで、甘い湯気でぽわんと曇った。

目をあわせて、二人してにこりと笑ったところで、髭切が何かに気付く。

「むむっ。主、すこしじっとして。」
「!?」

言うが早いか、なまえの後頭部を髭切の右手がガシィと掴む。なにこわい!と反射的に出た腕は、すんなりと片手でまとめられて、意味をなさない。

髭切の顔が近付いて、息を止めた。

琥珀色の瞳は猛禽類のように獲物を捕らえている。なまえは目が逸らせないまま、唇の端に、にゅる、とした感触。舐められた、とわかった瞬間に、どんがらがっしゃん。思考はジェンガのように跡形もなく崩れた。無。それからどっかんという音を立てて、羞恥がなまえを襲う!

積み木崩しの張本人である髭切は、満足気だ。
牛乳ひげだって見逃さない。髭切の名に恥じない、駆逐っぷりだった。

「はい、きれいになったよ。…主?どうしたの?」

フリーズしているなまえを見て、ありゃ?と思った。

そう。これまでの確信犯的行動に見えて、今のはまったくの無意識だったのだ。

なまえは、びっくりしすぎて涙が浮かんだ。

体の防衛反応が作動するほど、突拍子もなかったのだ。ばくばくばくと心臓がうるさい。柔らかな眼差しが、すぐそばで鈍くひかったのだ。食べられる!と、食物連鎖のヒエラルキーで圧倒された小動物の気持ちである。

彼女の瞳がうるむのを見て、髭切はやらかしてしまった、と思った。それから、いまのがそんなに嫌だったなんて、と悲しくなった。

「…ご、ごめんね、主…!」

「いや、こっちこそごめん、びっくりして…。」

話したら、ぽろ、と涙がこぼれてしまってなまえは自分で自分にちょっと引いた。乙女じゃああるまいし、これくらいでなんで泣いとんねん。とつっこんだ。

落ちた涙が髭切の胸をぎゅううと痛くした。主に嫌われたらどうしよう、という不安に締め付けられる。
敵に斬られるときよりも、ずっと痛い。こんな痛み、知らない。

「ほんとうにごめん。いやだったよね。もうしないから、…もうしないから泣かないで?」

「ううん、いやとかじゃなくて、びっくりして…。」

…ん??

「あれ、嫌じゃなかったの?」
「うん?…うん。」

……おや??

「…いやじゃなかったんだね?」
「嫌じゃないよ、びっくりしただけ。」

………これは。
こんなのは、つまり舐めてもいいって誤解したいところだけど。

髭切は思う。いまのが嫌じゃなかったんなら、うん、つまり口吸いもやぶさかではないってことだよね?

解釈違い過激派がいたら炎上するような曲解である。
いや、髭切自身も事実を大きく盛ったプラス思考だと気付いている。だけど、主の無防備な危うさに、わざと誘われるくらい、主のことが大好きだ。

僕がどれだけ君を慕っているのか、分かってるのかな?分かってないよね。
彼女の鈍感さが可愛くて、かわいくて、ほんのすこし憎らしい。

痛かった胸が、こんどは熱くなる。
そんなに多くない時間で、こんなにも目まぐるしく感情を動かすのはこの子だけだ。

理性のタガが、がたん、と揺らぐ。
閉めた扉の重たいかんぬきが、がちゃがちゃと揺さぶられる。

外してしまおうか?
そうすれば、この苛立ちにも似た衝動をもう抑えなくて済む。

思いに任せて、組み敷いて、自分のものにして、ぜんぶ彼女のせいにしてしまうことだってできる。僕だけがこの娘の特別で、もう放って置かれることなんてなくて、好きなだけ触れ合えるんだ。そんなふうにできたら、どんなにいいだろう。

髭切の目がすうと細まった。
でも。手は動かない。

してしまうのは簡単だけど、そのあと、彼女はきっともう、今までのような主では居られなくなってしまう。
みんなに平等に、とりわけ優しい子だから、僕に許したことは、きっと他のみんなにも許してしまうんだ。
そしたら僕は嫉妬で、鬼になっちゃうかもしれない。彼女の心を、壊してしまうかもしれない。

…そんなのは、きっと良くないことだよね。

「はあ。」

髭切はため息を吐いて、上ずりそうな気持ちを逃した。

「…髭切?、どしたん?」

深呼吸して涙を引っ込めたなまえが問いかける。

彼らはときどきちっちゃい子どもみたいに愛情をぶつけてくるから、その度に戸惑うし、驚くけど、まったく嫌じゃないのが不思議だった。

彼らの愛情表現は、ストレートで無邪気で、少しの後ろめたさもなく、かわいい。

「僕が言うのもへんだと思うけれど、主は刀に甘すぎるよ。」

「…ん?」

こんどは怖がらせないように、ゆっくりと地面に手を這わせて、なまえへと顔を近付ける。

タガは外さない。

可愛い顔をして困るなまえも好きだけど、主として自分を振るう彼女のことだって、同じくらい好きだから。

「だめなことは、ちゃんとだめって言わなきゃ。」

だから、ちゃんと教えてあげなきゃ。
僕の見えないところで、鬼が生まれるかも知れない。

覗き込んだ瞳は少し潤んでいて、光を反射する薄茶色の光彩は雨あがりのコスモスみたいだ。

「そうじゃなきゃ、こうして、」

ちゅ、とついばむように鼻先へと口付けられる。

「口付けされても文句は言えないよ?」

うっとりと視線を合わせて来る髭切が、ほんとうに口付けを交わしたあとみたいに、溶けた眼差しでなまえを見つめる。

「………!!!」

それも一瞬で、なまえが目を瞬かせているあいだに、いつもの朗らかな笑顔に戻った。

「主はいい子だからできるよね?」

突然の兄属性がなまえを襲う!!
髭切、恐ろしい子!!

そう。髭切は意外と常識はあるほうだ。たまに誤射するだけで。

なまえは顔を真っ赤にして俯いた。ふしゅう、と湯気が出ている。

兄者が甘すぎる。常日頃からシフォンケーキに付喪神がいたら髭切みたいな感じかなと思っていたけどやっぱりそうだったか!言動の甘さに生クリームがたっぷり添えられている。

「…か、かしこまりました。」

あまりの甘さに敬語になる。
三日月といい、今日はちょっとずつ変だ。今日は何の日だっけ!?バレンタインなる日もみんな少し変だったけど、一体本丸で何が起こっているんだ?

「わかってくれたんだね。うんうん、いいこいいこ。」

なでなでなで。
頭をうりうりと撫でられる。にこにことすぐ近くで笑っている髭切。

どうしよう。いつも、甘えたな髭切に逆に甘やかされてるこの感じ、居た堪れない。

と、そこに、にゃーん。鳴き声。
障子の隙間にぐいっと体を滑らせて、真っ白な猫が入ってくる。猫にしてはずいぶんと器用に戸を開ける。

猫ちゃん…!なまえが、ぱっと目を輝かせる。おもに心臓が忙しすぎて、猫の手でもなんでも借りて逃げ出したい。

そんななまえの心境を知ってか知らずか、とこ、ぴょん、と猫が飛んだ。

と、飛んだ!?

そしたらしゅるり、なまえの髪が解ける。
猫を追って振り向いたら、ぷわ、と髪が香る。ちゃり、と猫がくわえているのはかんざし。

「へ、わ、と、とられた!」

猫は、ふふん。と勝ち誇った顔をしている。

「わあ、ずいぶんと挑発的な猫だね。…っくしゅん!」

「くしゃみ?風邪?」

「そ、ぼくは健康…ぅっくしゅっ!」

おっきい身体でちっちゃいくしゃみの兄者が可愛い。
何を隠そうこの髭切、猫アレルギーである。獅子の子で猫舌なのに猫アレルギーである。矛盾。

なまえが立ち上がり、じりじりと猫へ近づく。

「それ、返してほしいな…?」

にゃうううん。前足をぐいーっと伸ばして、どうしよっかなー、というボディランゲージである。

ちら、と上目でこちらを見る猫。
なまえはごくり、とその目を見返した。

しかし、すいっと視線を逸らされて、ものすごい加速で、横をすり抜けられる。

猫が障子のとこまでかけたのにつられて、なまえが追いかける。
しかしぐいっと左足を掴まれた。
髭切である。

「あとでいいじゃない。簪なんて、僕がいくらでも買ってあげるよ。っくしゅ。」

「で、でも…!」

今を逃したら、たぶん縁の下とかに持っていかれちゃうんだ。
物は大事に使いたい派のなまえである。なんてったって付喪神と一緒に過ごしているのだから、なんかもう八百万の神々だってそこらじゅうに宿っているように思えてしまうのだ。審神者あるある。いわゆる職業病だ。

困ってしまった。
けれど、なまえは先ほどの髭切の言葉を思い出した。
だめなことは、だめって言わなきゃ。

「髭切、めっ。もの粗末にしたらあかんで。」
「……!!」

髭切、かんざしに嫉妬である。
でも、主の「めっ」は、良かった…。ありがとうかんざし。

うう、と逡巡する。
ややあって、手を離した。
世の中には、手離すという愛し方もあるんだよね…。となんだか失恋したような悟りを開いている。

なに…??来るの?ついて来れるの?来れるよね!?という顔をした猫。おらあ本気の鬼ごっこ始めっぞかかって来いやあ!!!という勢いで、踵を返して廊下へ飛び出した。

「またあとで!」

ぽん、と名残惜しそうな髭切の頭をひと撫で、なまえも駆けだす。
開かれた障子。ふわ、と解かれた彼女の髪の残り香が過ぎる。遠ざかる足音。

触れられた前髪のあたりをそうっと抑えて、なまえの手のひらを思い出して、髭切はひとりごちた。

「…もう。ずるいなあ。」

だけど、どうしてか心は随分とあたたかい。なまえの表情も、仕草も、ずいぶん懐かしく思っていたのだけど、それは朽ちることも錆びることもなく、同じように自分へと向けられる。

結局、好きになっちゃった相手には、かなわないんだよね。
源氏の重宝も、負け戦を経験する。

「…っくしゅ。…うう、顔洗ってこようっと。」



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