三日月宗近とぬるま湯


「ただいまー。」
「帰ったぞ。」

第一回主争奪戦。
暇を持て余し嫉妬に狂った四振の戦いがすでに始まっているとはつゆ知らず、なまえは玄関の戸をくぐった。

このゲームのルールは簡単。
本丸に帰還したなまえを四人が思い思いに甘やかす。
そして彼女に、『一緒に居たい』と言わせた者が優勝である。
戦利品はなまえのその後の時間。ちなみになまえの都合は一切加味されて居ないのであしからずご了承ください。

「荷物を運んでくる。」と申し出てくれた大包平を見送って、なまえは手を洗おうと廊下の角を曲がった。
と、出会い頭に三日月宗近がぬっと飛び出してきた。

「っわ、」
驚いて一歩後ずさったなまえの手のひらはいとも簡単に捕らえられる。

「戻ったか。おかえり、主。」
「え、ただいま…?」

なまえが見上げた三日月は、だんだんと深刻そうな顔になる。くもっていく表情に、なまえは何事かと心配になった。

「…三日月…?」
「こんなに冷えてしまっては、手を洗うのもつらいだろう。こちらへ来い。」

冷えた指先はしっかりと三日月の手の内に握り込まれていて、返してもらえそうにない。
あっこれ拒否権ないやつや。と瞬時に判断したなまえは、手を引かれるまま、大人しく三日月へ着いていくことにした。

有無を言わさず連れてこられたのは、囲炉裏のある部屋。
この部屋は皆の共有スペースであり、よく酒飲み集団が集まって一杯やっている。囲炉裏でそのままスルメを炙ったり、湯を沸かして熱燗を作ったり出来るのだ。
つい先日も大きなお鍋でくつくつと煮られるおでんを食べながら酒盛りをした。

この部屋にくるのはいつも夜だったからだろうか。
今は冬の真昼の、ほの白い光に照らされていつものにぎやかな面影は無く、同じ部屋と思えないくらい、がらんとひらけて見えた。

囲炉裏をかこむように置かれた卓の上の、湯桶が目に止まる。
なんだろう?と思っているうちに、「ここに座れ。」と促された。
湯桶には水が張ってある。

火の傍はほんのりと暖かい。
座れと言ったきり三日月は黙ってしまったので、なまえは促されるままに事の成り行きを見守ることにした。

囲炉裏にかけていたやかんから、湯桶にそっとあたたかなお湯が注がれる。
こう言ってはなんだが、普段の三日月はあまり自分から何かをするタイプではないので、こんな仕草は見慣れない。
今日はいつもと様子が違うな。となまえは思う。はてさていったいどういう心境の変化だろうか?

湯の温度を確かめるように桶をひとかき。
三日月の白い手を水滴がすべる。この乾燥の季節をもろともしない肌の水分量である。

「うん、良いな。」

頭に『?』を浮かべているなまえを横目に、三日月は懐から小瓶を取り出すと、ぽたた、と湯桶の中に垂らした。

とたんに、ぷわりと良い香りが部屋の中に浮かぶ。
白檀だろうか。清廉でありながらどこか温もりを感じさせるような、三日月らしい、気高くも寛大な匂いだ。

「何いれたん?」
「んー?……良い匂いの油だな。はっはっは。」

はい、エッセンシャルオイルと呼ばれるものですな。

普段使うことはないが、手が荒れやすいとこぼしていたなまえの言葉を三日月は覚えていた。
そこで町に出た折に万屋の娘に尋ねて買い物をしたのだ。
その店員に、「恋人さんにですか?」と聞かれて「まあそんなとこだ。」と答えるあたり、三日月はちゃっかりしている。
次回なまえを連れていこうと思っているのだ。何しろいちどは恋人扱いされてみたいのである。

なまえが匂いに気を取られているうちに、三日月が背後にまわる。
後ろから抱くようにして、両手を掴まれた。

やはり冷たいな、と三日月が眉根を寄せる。
湯加減を間違えれば霜焼けになってしまうほど、なまえの手はきいんと冷えていた。

「三日月の手、あったかい。」

「ああ。俺が温めてやろう。」

と、そのまま湯桶の中へ両手を浸される。
かなりぬるめのお湯だが、冷え切ったなまえの手には丁度よく温かだ。

ちゃぷ、ちゃぷん。
湯の表面が波立つ。
透明の膜の中、三日月の両手に握り込まれた手が、ゆるゆるりと溶けだすのがわかった。

肌がだんだんと温度を覚えるにつれて、その手に感触が伝わる。

籠手を外した三日月の手のひらは広く、綺麗な顔をしていてもちゃんと男の人なんだ、と知らしめるように硬く平たい。刀を振るう強くてしなやかな手だ。

慈しむように、三日月のおやゆびがなまえの手の上を滑る。
くるくると円を描くように手のひらを揉まれると、すっかり凍りついていた指先が、体温を思い出していく。

「あったかい。…気持ちいい。」

「そうかそうか。主が良いと俺も嬉しいぞ。」

ついた息と共にこぼれた言葉に、こめかみの上から返事があって、ようやくなまえは距離の近さに気が付いた。
背中に伝わってくる呼吸や、耳のすぐそばに寄せられた顔がくすぐったくて、頬に熱が集まるのを感じた。

なにこれ、うわあ。なにこれ…!!
普段お世話される側の三日月に、こうも慈しむようなことをされている今に、全く慣れない。

なまえの混乱をよそに、指と指の間へと絡ませるように三日月の指が押し入る。
大きな骨格。否応無しに体のつくりの違いを思い知らされる。

ちゃぷちゃぷという柔らかな水音が、午後の白い光に晒されながらひと気のない広い部屋の空気に波紋をつくる。
ぬるい、ぬるいお湯の中で、柔らかくなった肌が溶け合って、くっついてしまいそうだ。

三日月の大きな手は、遊ぶようになまえの手を包む。

いつ終わるかもわからない時間にいたたまれなくなってくる。なにせ相手は本丸一のマイペースである。
ううう、と羞恥の限界を迎えつつあったなまえに、三日月がとうとう口をひらいた。

「だいぶ温まってきたな。」

どうだ?というように顔を覗き込まれる。

三日月がなまえの濡れた手を拭いてやる。
すべすべに、柔らかさを取り戻した両手に目をやって、彼は満足げに頷いた。

ふ、と三日月が微笑んだ。その吐息が、なまえの頬にかかる。近い。

「うん…!もう大丈夫!」

近すぎて顔を直視したら、美しさで心臓が止まりかねないので、なまえは固くなりながら答える。いのちだいじに。

そんな様子が、三日月の心をむずがゆくさせた。
ずうっと置いてけぼりだったのだから、もっと擦り寄ってきてもよいのに、もどかしい。
なまえのどんな顔も久しぶりで、ああ、俺はこの子が恋しかったのだ、と思い知らされた。

そして、目が合わないのが、寂しい。と思った。

「あるじ。俺は寂しかったぞ。」

猫を撫でるような、殊更甘い声だ。
どういう風の吹きまわしかと勘ぐっていたなまえだったが、さみしかった、その一言にきゅうと胸が締めつけられた。彼女は、かわいい態度にめっぽう弱い。

そういえば、こうして話すのもすごく久しぶりな気がする。
忙しかった、は言い訳だ。
いや、ほんとうは、なまえだってさみしかったのかもしれない。

「うん、ごめん。」

「許さん。」

言いながら、抱きすくめられる。
お腹に回った腕に、ぎゅうとすがるように力がこもる。三日月の広い胸へぴったりと引き寄せられて、なまえの小さな背中はすっかりかくれてしまう。

「えー。…ふふ。」

言いながら、まんざらでもなくて、笑いが込み上げてくる。スキンシップが嫌いじゃないのはお互いさまだ。むしろ、この三日月のスキンシップ好きは、なまえによって顕現された影響かもしれなかった。

三日月がうりうりと、肩越し、首元にすり寄ってくる。暖かな息が無防備ななまえの首筋を擽る。

「ちょっ…と、くすぐったい。」

「あいすまぬ。我慢してくれ。」

さすが三日月。一歩も引く気がない。
今この時まで、ずっと我慢していたのだ。だから少しくらい、なまえにもつきあってもらいたい。

なまえの首元からは、外の風のような、涼しい匂いがした。それをすべて吸い込んで、塗りかえてしまえたらどんなに良いか。
そんな欲など、この娘は知る由もないのだろう。三日月は、それがすこし、後ろめたい。

「……っ。」

腕の中で、なまえの肩がふるふると震えている。なんと彼女はほんとうにくすぐったいのを我慢しているらしい。

気付いた三日月の口角が、上がる。
愛おしいと自分ばかりが思っているわけではないらしい。
たしかに愛されている、そう感じられて、歓ばずにはいられない。

まだまだ離す気はなくて、もうすこし、もうすこし、いじわるをしていたかったのだけど、ふわりと頭を撫でられて、三日月は顔を上げてしまった。

普段のなまえは三日月をあまり撫でない。
というのも三日月がなまえをよく撫でるからである。
この二人に「撫でて」というカンペを見せたら、三日月はなまえの頭に手を伸ばすだろうし、なまえは三日月のほうへ頭を寄せるだろう。そういう関係が、無意識に築かれているのだ。

だから、ふあ?という顔で三日月が顔を上げたのも道理。はた、と違和感を感じてなまえが至近距離で三日月を見つめ返したのも道理。

目が合って、三日月がふんわりと笑った。ふくふくと溶けるような笑みだ。
なまえは、固まる。かっかわいい…!三日月に対して純粋にそう思えたのは初めてかもしれない。

髪をすいていた指を、三日月に取られる。
そのまま手のひらに顔をすり寄せて、するりと三日月の鼻筋、頬に触れる。

「俺と同じ匂いだ。いや嬉しいな。」

ほんとうに嬉しそうに笑うので、なまえは照れてしまう。はにかんで微笑み返す。

穏やかな時間に思えたのも束の間。

なまえの赤い頬に、潤んだ瞳に、三日月の目の色が、きらりと変わった。よからぬスイッチが押されたらしい。

三日月がなまえの足首を掴む。

「な、なに!?」

「次は足を温めてやろう。」

「えええ!」

三日月の目が据わっている。
なまえは身の危険を感じた。
もともと飢えていたのだ、なまえに。不足していたところで過剰に摂取してしまったものだから、暴走している。

「いやいや、足はいいよ!」

「なぜだ?」

「なぜって、なんか申し訳ないし!」

「俺がしたいのだからいいだろう?」

足を取られて、ごろんと引き倒される。
きゃああ、というなまえの悲鳴も、おじいちゃんにとっては、じゃれた子猫の甘え声のごとし。おおらかな微笑みでもって聞き流してしまう。

「よいよい、じじいに任せておけ。」

「いや、ちょっ、とこれは無し!」

自称じじいなだけの、絶世の美人に、足を撫で回されるなんて羞恥で死ねる。

なまえは必死の抵抗である。
着物を着ているので、持ち上げられた足で裾が捲れる。懸命に手を伸ばし、どうにかこうにかパンツが白日のもとに晒されるのを阻止している。

よいではないかよいではないか、いやまったく良くない!という攻防である。

と、そこで部屋の扉が、ざっと開いた。

「おい、この正月飾りはどこに…、っ!?」

襖を開けた大包平は絶句した。
目下繰り広げられているのは、長らく博物館で一緒だった小憎い天下五剣が主に無体をはたらこうとしている図である。

突然の第三者登場に、なまえと三日月の動きがぴたりと止まる。

ぽかん、と大包平を見上げるなまえと目が合って、そのまま泳いだ視線の先、陽に当たって白く光るなまえの生足が目に入り、大包平の頬に熱が集まる。
いったいなにが行われようとしているのか。

「…いや、これは、違くて…。」

なぜか弁解してしまうなまえも訳が分からなくなっている。
その上で三日月は突然入った横やりに、ぎらりと目を細めた。完全に我を失って、殺気立っている。

「大包平よ、空気は読むものだぞ。」

しばしの間。
大包平の視線が空中を泳いだ。

まさかとは思うが、物理的に空気を読もうとしているのか…!?なまえは気が遠くなった。そうじゃない…しかし、もはやつっこむ気力も無い。

偶然にも、大包平が視線を浮かせた先には掛け軸があった。書かれた文字は『初志貫徹』である。
初志貫徹。大包平は己の心に問いかけた。
俺は刀剣の横綱。くそじじい率いる天下五剣に勝るとも劣らないこの実力を見せつけてやるつもりだ。

ここでじじい相手に引き下がっていいのか?
……いや、良くない。それはすなわち敗北を認めることだ!!

「空気は吸うものだろう!!このエロじじい!!表へ出ろ!!」

かくして、三日月から解放されたなまえは、命からがら廊下を歩く。

これから立て続けにやってくる、刺客たちの存在を知る由もない。

なまえ甘やかし選手権は、まだ始まったばかりである。



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