バレンタイン企画 | ナノ



6/10



今日は光忠と二人で出掛ける約束をしている。一ヶ月も前からバレンタインの予定を押さえられたら、今日こそ何か変えられるんじゃないかと期待してしまう。

好き、言えない気持ちを指先に宿して、手に取ったチョコレートを鞄に忍ばせる。

普段はまとめている髪の毛をおろして、きちんと巻こう。スイッチを入れたコテの、赤い点滅を見ていたら、どきどきと胸まで熱くなった。のぼせないように吐いた息は、鏡ごし、桃色に映る。

新しい服やおろしたての靴は、精いっぱいの意思表示だ。あなたと並んで歩きたいという、歯がゆい想いに背中を押される。紛うことなく、私は彼に恋をしていた。

「あーるじー!みっちゃんがお待ちかねだぜ?」
言いながらひょこりと顔を覗かせたのは貞ちゃんだ。はっと時計を見あげて驚いた。待ち合わせの時間をすでに10分も過ぎている。
「わ!もうそんな時間?」
「おっと、悪い。身支度の途中かい?急がなくていいぜ。」

鏡越しに目が合うと、貞ちゃんは満足気ににっと笑う。
「へえ、可愛くしてるんだな!髪、俺が手伝ってやるよ。」
「…ありがとう、お願いします。」
「おう、任せとけ!」
後ろ髪を、器用な指先が撫でるように掬って、コテがしゅるりとなめらかに滑る。ぱちっと毛先のところで止まって、くるくるくるり。とても手際が良い。貞ちゃん、人の体も初心者なはずなのに、なんでこんなに器用なんだ。
落ちた髪は肩をすべり、嬉しそうにぷるりとはねた。

「ほらよ、こんな感じでどうだい?」
「貞ちゃんすごい…美容師みたい!」
「へへ!まあな!」
得意げな貞ちゃんに笑い返して、鏡の向こうの見慣れない自分を見た。いつもより華やいで、緩んでしまう頬に少し戸惑う。
「…変じゃない?」
「可愛い顔してなに言ってんだ。はーあ、みっちゃん、喜ぶだろうなぁ〜。」
貞ちゃんが呆れたように笑う。

「…ほ、ほんと?」
可愛く、できているんだろうか。光忠と貞ちゃんはよく似ているので、彼が言うなら大丈夫な気がしてくる。
「可愛いぜ、主。俺が保証してやる!」
とん、と背中を叩かれて、貞ちゃんの自信がくっついたように背すじが伸びた。
「そっか…うん、ありがとう!」
「ああ、楽しんできな。」

貞ちゃんに見送られ、玄関を出てから少し歩くと、正門の前に、光忠の姿が見えた。疼くように、胸が跳ねる。なんてかっこいいんだろう。立っているだけで、人目を惹くんだ、この人は。これはきっと惚れた弱みじゃない。

光忠は、気遣いの人だ。言わずとも、こちらの意を汲んで動いてくれる。口下手で、上手く話せない私は、何度彼の思いやりに救われたかしれない。
誰と対峙するときも、光忠がとなりに居てくれるだけで、守られているという安心感があった。
気付いた時には人見知りの壁もよそよそしさも乗り越えて、私は光忠に恋をしていた。

「遅くなってごめん!」
小走りで近付くと、きゅるんと巻かれた髪は肩でくずれるように弾み、ふわふわと空気に踊った。はしゃいでいるのがばれてしまいそうで、少し照れてしまう。知ってほしい、気づかないでいてほしい。一秒で矛盾する気持ちが胸の中で、ひらり翻って戸惑う。

今日は一段と寒い、吐き出した息は濃く、ミルクのように空気に溶ける白。
息をついて目が合うと、光忠は少し驚いて、くずれるように笑う。
「ううん、大丈夫だよ。」
ああ、この顔だ、と思った。屈託のない笑みに、心を直接撫でられたような心地になる。不安や心配事は、橙の瞳が細められるだけで、いとも簡単に消えてしまう。光忠と会って、格好つけることと気取ることは、違うことなんだと知った。

「髪型、いつもと違うね。よく似合ってるよ、可愛い。」
視線を合わせるや否や、照れる言葉を平気で言われて、閉口する。いざ正面立っていわれたら、面映ゆい。
「そっ…そんなことない…。」
素直に、嬉しい、ありがとうと言えないなんて、可愛くないなぁ、と思っていたら、俯いた視界の中で、指先をそっと掴まれた。

おでこの上で、ふふ、と笑う声が聞こえる。
「ね、手を繋いでいこうか?」
「…うん。」

今日はいつもと違う。そんな予感に支配されて、顔をまともに見れない。

優しく奪われた右手の指先に、大きな手が絡む。柔らかに握られた手が、寒空の下で火を灯すように温かい。鞄の中のチョコレートが溶けないように、そっと深呼吸をした。

冬の街。
人は少なく疎らで、いつも以上に静かだ。
光忠がいる右側だけが、ぽかぽかと陽だまりのように暖かい。
「主、寒くない?」
「大丈夫。」
「よかった。」
かけられる言葉のひとつひとつが暖かくて、白い息がふんわり、光って聞こえる。

買い物をして、お茶をして、これはきっとデートだ。

時間は瞬く間に過ぎる。チョコレート、いつ渡そう。そもそも告白なんてできないかもしれない。いつもよりずっと足の速い陽が傾き始める。
密やかについたため息が、ほうと登って、雲に溶けたら、空にちらちらと影が見えた。

「雪…?」
「ほんとだ、雪だね。」
夕陽に雪雲が重なって、あたりが薄暗くなる。
ゆっくりと落ちていた雪は、徐々に早さと量を増し、こんこんと降り積もる。
本丸に帰るまでに凍えてしまいそうだ。
びゅう、と吹いた風に身を固くしたところで、繋いだ手を引かれた。
「雪が収まるまで、少し待とうか。主、こっちへおいで。」

細い路地の軒先で、雪宿りをする。
さんさんほろりと降る雪を見上げる。駄々をこねるように帰りたくない私の心を埋めるように、雪の粒がいたずらに笑った気がした。

光忠もまた、ほう、と息をついて空を見ている。穏やかな横顔を、独り占めしていることが、嬉しく、はがゆい。

「…荷物、一つくらい持つよ。」
なんとなく、黙っているのが居たたまれなくなって、声をかけた。買った物はすべて光忠にやんわりと奪われて、そのまま彼の右手にぶら下がっている。
「大丈夫、僕が持ちたいんだ。それに、君はもう持ってくれてるからね。」
「…なにを?」
首をかしげたら、繋いだ手を持ち上げられる。意図が読めないまま、見つめ返すと、光忠が照れくさそうにはにかんだ。
「僕は君のもの、だからね。」

そうだ、私は彼の持ちぬしで、主だ。
だけど私は、光忠が自分のものだと思った日なんてない。いくら従えることができたとしても、心に手綱は付けられないのだ。

一方通行の所有権は、なんてつまらないんだろう。光忠になら、なにをされてもいいのに。奪って、独り占めして、離さないで、願うことは、許されないのだろうか。

切なさが、背中を押す。
ふわふわと揺れる髪にくっついた雪の粒が、このままで良いの?、囁く。

今日が終わってしまう。

…このままじゃ、嫌だ。
新しい服も、靴も、髪も、チョコレートも、ぜんぶ今日のため。
いまここに居るのは、光忠のための私だ。

雪が止む頃には、魔法が解けるように、いつも通りに帰るのだろう。
皆がいる本丸で、私は皆にとっての主に戻る。

髪をひと撫でして、雪を払って、息を吸った。
「…光忠に渡したいものがある。」
「えっ、」
目を見張る光忠をむんずと挑むように見上げた。バレンタインにデートをしておいて何もなかったら、ただの買い出しだ。
「荷物、置いて。」
繋いだ手を離さないまま、紙袋をたくさん下げた光忠の右手を指差す。有無を言わさない私の態度に、光忠はそっと従う。
「…うん。」

とくん、とくん、とくん。
鼓動が速くなるけれど、落ち着け、と自分を諭す。
鞄からチョコレートを取り出して、光忠へと手渡した。
「これ、あげる。」
「僕に…?」
「うん。」
「わぁ…ありがとう…!すごく嬉しいよ。」

ぱあっと花開くように笑うこの人は、なんて、近くて遠い。

「…みつただ…。」
好き。光忠のものになりたい。
それだけを言いたくて、見つめるけれど、言葉は声にならずに、あいまいな吐息が空気に解けるばかり。

「どうしたの?」
光忠が、言葉を待っている。

このまま帰るなんて、嫌だ。
…嫌なのに。
「あのね…、あの…。」
わかってほしくて、そばにいてほしくて、同じ気持ちになりたくて、違う私になりたいのに、どうして言えないの。
繋いだ手にぎゅうと力が入る。応えるように握り返してくれた指先が胸に引っかかるみたいに、くるしい。

「あの、…っ。」
「…うん。」
目を合わせていられなくて、俯く。意気地なしの自分がくやしくて、下唇を噛んだ。
「……なんでもない。」
やっと出た声は、気持ちからかけ離れたもので、自分にがっかりする。
視界のなか、光忠が身じろぐ。
チョコを仕舞った右手で、顔にかかる髪をそっと、耳へと掛けられる。

「…困ったなぁ。」
落ちてきた言葉に、そっと光忠を見上げたら、眉尻を下げて笑う優しい顔。
困らせてしまった。主である私からの恋慕は、やはり迷惑だったろうか。

髪をかけた指先が、頬をつうっとなぞる。
誘われるように顔を上げたら、秘密を明かすように光忠がそっと口をひらいた。

「…僕は君がほしかったんだ。一日だけでも、君の時間を…その、僕だけのものにしたくて。…それだけで幸せなはずだったんだけど…。」

言葉に追いつけなくて、まばたきをする間にも、やわく頬に触れた手は熱く、優しい声は止まない。

「今日だけじゃ、足りないみたいだ。ごめんね、主、…僕は君が好きなんだ。」
「…へ?」
「ねぇ、ぜんぶじゃなくていいから、二人きりのときの君を、僕にくれないかな?」

胸のところに舞い込んだ雪が、ふるり、震えて溶けた。何度も何度も頭の中で言葉を反芻して、やっと意味を理解して、頷く。
「…うん。」
私も好き、光忠のことが好き。言葉に出来ない想いのかわりに手をぎゅうと握ったら、そのまま引き寄せられて、包むように抱きしめられた。暖かい体温が、擦りよせた頬、冷えた皮膚へそっと染み込む。

「…ありがとう。」光忠の声が直接、合わせた胸に伝わる。お礼を言いたいのはこっちなのに、先を越されてしまった。どんよりとした雪雲が割れて、夕陽が差し始める。

「じゃあ今は、この髪も僕のだね。」
髪に鼻先を寄せられて、吐息が耳をくすぐる。そのまま、ちゅっと頭にキスをされる。
「…う、ん。」
やばい、やばいやばい、どっどっどっと心臓が耳の中で鳴っている。

くすぐったい。
耳も、どこかしらない胸の奥も。
目に涙が溜まる。恥ずかしくて嬉しくて、あふれる想いに、霜焼けになってしまいそうだ。
やめてほしい、やめないでほしい。相対する感情に、なにも言えず口を噤んでいると、
「ふふ、頬が熱いね。」光忠がひどく楽しそうに、耳のそばで笑った。
「この耳も…僕の、かな。」
ちゅうっ。
耳たぶに、全身の血が集まってしまったのではないかというくらい熱い。雪に反射した夕陽が眩しく、降ったそばから溶けていく。

そのまま頬を掴まれて、視界がぼやけるほど近くに、顔が寄せられる。冷たい鼻先が擦りよせられて、はあ、と二人してこぼした白い息が、水に溶いた絵の具のように混ざる。

「…光忠、恥ずかしい。」
人通りが少ないとはいえ、いつ誰が通りかかってもおかしくない。
このままでは死んでしまうかもしれない。なけなしの理性を総動員して、光忠の胸板をそっと押さえた。

光忠の目が、愛おしそうに細められる。
ほんとうに抵抗する気が無いことは、すっかりばれてしまっているらしい。
指先を取られる。暖かい、ひろい手は、それだけで胸の高鳴りを助長する。

「だめだよ。…ずっと望んでいたことが叶ったんだ。…あと少しだけだから。ね?」

甘えるように、唇に唇がくっついて、お互いをお互いのものにする。
心の奥の想いをあばくように、口付けはどんどん深くなる。
「今は、僕だけのものなんでしょ…?」
口付けの合間に吹き込まれた言葉は、焼きついてしまいそうな、熱を持っている。
こんどは幸せで、言葉を失くした。

吐息を奪われて竦む足の間に、光忠の足が差し込まれる。体を支えるように、重心を取られて、身を預けてしまう。
大きな手のひらに背中ごと引き寄せられたと思ったら、下唇が、食べるように口に含まれる。味を確かめるみたいに、ぬるりと舌が這う。こそばゆくて、どうしようもなくて、ぎゅうと目を閉じていると、ちゅうと音を立てて、唇が離れる。

そうして今度は瞼の上に、キスをされた。
ちゅっという音が弾んで、おそるおそる目を開けると、今度は頬に唇が降りてくる。

慈しみ、愛おしむ仕草のひとつひとつがやおら眩しく、夕焼けを吸った雪に、世界が燃えるような橙色をしている。
胸板を押し返したはずの手は、いつのまにかすがるように光忠の服を握っていた。

「主。」
呼ばれて目が合った。瞳の奥の焔が、背中越しに差す夕陽に重なりあう。
取られた手が握り直されて、指の間、苦しく押しいる光忠の指。簡単には離れそうもない。

「ねえ、あーん、して?」
ねだるように、耳たぶをもう一度、ちゅっと吸われる。
「…?…」
まぶしい光に見染められるように、ぼんやりと、理由もわからないまま口を開く。

「うん、…いいこだね。」
開いた唇をにべもなく塞がれて、背中から這い上がった手は頭の後ろに。ほとんど上を向くような格好で、光忠の舌を食べさせられた。

どろり、甘さでふやけてしまいそうだ。つま先にきゅうと力が入って、苦しい。
上顎をちゅるりと舐められて、歯の間を遊ぶように味わうと、舌がすくい上げられるようにして光忠の口の中に招かれる。
ひとつになった咥内で、舌先がこすれ合って、ざらざら、にゅるり、知らない衝動が胸に押し寄せて、たまらない。

苦しいのは、自分の意思を離れた呼吸のせいだけじゃない。
溶け出した頭の中で、すべてを舐め取られる感覚に、こわさと、諦めにも似た気持ちが湧く。

どんな言葉も相応しくないような想いに替えて、光忠の背中に手を回したら、さらにぎゅうと、隙間なく抱き竦められる。

どこかで聞こえる足音も、凍てつくような風も、何もかも遠く、遠くなって、いま私はこの人だけのために居るんだと理解して、涙が落ちて、雪と混ざった。

帰り道、私たちの足跡は、甘い橙色をしていた。


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