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初めて出会った時は、戸惑った。 初期刀の山姥切国広くん。 寡黙な上に、頭からすっぽり被った布のせいで、表情だってよく見えないんだ。 「写しの俺を選ぶとは、あんた、何を考えているんだ?」 何を考えていると言われても、直感で選んだから答えなんてもってなくて。 「…いちばん良いな、と思ったのがあなただったから。」 それしか言えなかった。 その時まんばちゃんは、「…なんだ、それ。」とだけ言って、ふいとそっぽを向いて、ピチチ、と呑気な雲雀が春を歌って、部屋に舞い込んだ花びらが綺麗で、光を浴びた彼の髪が眩しくて、それから、それから…私たちは始まったんだ。 あれからずいぶん経ったけれど、まんばちゃんを選んで良かった、と思わない日はない。 まっすぐに相手の本質を見抜こうとする静かな目も、責任感が強くて自分の役割を全うしようと努める姿勢も。私は彼の不器用な直向きさが大好きだ。 「おい、入るぞ。」 噂をすれば影、まんばちゃんの声だ。 「はーい。どうぞ。」 「茶を淹れてきた、…そろそろ休んだらどうだ。」 障子が閉められたところで、はたりと目が合う。目が合うと、まんばちゃんは、はあと呆れたように溜息をついた。 「…って、人がせっかく気を回してやったのに、何をしている?」 見ての通り、私は一足先に休憩していた。 「今休憩中。そろそろ来てくれるかな、ってまんばちゃんのこと考えてた!」 さすがは愛しの初期刀。休憩のタイミングもぴったりだ。 「これこそ阿吽の呼吸!」 ふふ、と自然に笑みがこぼれる。 まんばちゃんは「ふん。」と鼻で笑ったけれど、それがくすぐったい照れ隠しだということは手に取るように分かった。逸らされた目は柔らかいし、その頬が素直に赤くなっていることを、本人は知らない。 「…別に、偶々だろ。」 かちゃり、お盆が机に置かれる。湯呑みの中では私の好きなお茶が、ちょうど良い暖かさで湯気をふくりと立てていて、これだけ知り合えた時間の流れを愛おしく思った。 「照れ隠し?」 「なっ…!?…っうるさい!」 頭の上の布を引っ張って、顔を隠してしまう。可愛い人だなぁ、と思う。どれだけ一緒にいても、こういうところは変わらない、それがなんだか愛しくて笑いが込み上げてくる。 「ふふ、可愛い。」 もう口癖のようになっている言葉をこぼしたら、胡座をかく動作の合間でぼそりと「可愛いのは…あんただろ。」という声が聞こえた。 「…へっ!?」 今のってまんばちゃんの声?らしくない反撃に驚いて顔を見上げると、自分でも驚いたようにはっと見開かれた瞳と視線があった。みるみる顔が赤くなっていく。 「…忘れろ。」 「忘れないよ、嬉しい。」 「……っ。」 また俯いてしまった。白玉みたいなまあるい頭。言った本人が大いに照れているものだから、私はむずりと緩む頬をそっと抑えた。 「さっさと飲め…。」 「…はあい。あ、そうだ。」 今日はバレンタインだ。この人の他に、誰にあげようという? 「…?」 きょとりと首を傾げたまんばちゃんへ、包みを取り出して得意げに笑ってみせた。 「ふふ、じゃじゃーん!」 「なんだ、これは。」 「バレンタインのお菓子です!」 「ばれんたいん?」 「ばれんたいん。好きな人に甘いものを渡す日だよ。」 ぶわっと赤面したままむんずと口を引き絞ったまんばちゃんは、おかしな顔になっている。 それで、今日は茶菓子をいらないと言ったのか、俺に、渡すつもりで?主もなかなか捨てたものではないな、と思っているに違いない。たぶん。 「まんばちゃん、いつもありがとう。」 「…俺は、別に何も…。あんたこそ…いや、いい。」 「え、なに!最後まで言ってほしい。」 まんばちゃんはそろりとこちらを伺い見て、拗ねたように短く息をついた。 「はぁ。…俺みたいな写しを選んで、苦労しているだろう。」 ぽつ、ぽつ、降り始める雨のような言葉選び。 はじめのころは、ぽいと投げられるような会話だった。いまは、もう違う。ひとつひとつ私に向かって、私を思って、私を頼って落ちる言葉。 「…後悔…したこともあったんじゃないか。」 笑っちゃうなぁ、なんて今更。 そんなの、「ないよ。」 即答できる。 「後悔とか、一回もしたことない。私がいまこうして居られるのは、まんばちゃんが居てくれたからだよ。」 眠れない夜、なにも聞かずにそっと隣に居てくれたこと。 たくさん失敗したけれど、躓く度、そっと歩調を緩めて、決して私を一人にしてくれないところ。 どれだけ救われたか知れない。 「…物好きめ。」 ふっ、と笑った横顔にたまらなく嬉しくなる。雪解けの花のような、その笑顔を見つけるだけで、すごく幸せになる。 「お茶菓子代わりに一緒に食べよう!」 「…ああ、開けるぞ。」 「お願いします!」 少し大きな爪はすこし深爪気味で、大きくて、まあるくて、骨張った指。 自分よりずっと頼もしい両手に、ぼんやりと、この綺麗な人は、やはり男の子なんだなと思う。 さらさら、金色の髪が流れる横顔。綺麗、言ったら怒るだろうから、心のなかに留めておく。 ぱかっ、箱に空気が通って思考を引き戻す。姿を見せたのはカップケーキだ。 「…これは、随分久しぶりだな。」 まだ人数が少ないときは、おやつによく作ったのだけど、大所帯になってからは、なかなか作れないでいた。 ふんわり、先ほどよりさらに緩んだ口元をみて、もっともっと嬉しくなった。 「食べてみて。」 「…いただきます。」 まふり、まんばちゃんが齧り付く。 ひとくちが大きいから、口いっぱいに頬張っている。もくもくと咀嚼する姿は小動物みたいで可愛い。 「…ん。」 布の陰になっている瞳が、ぱちりと瞬く。頬がほんのり赤らんで、下まぶたが緩んだ。美味しそうな顔。私の好きな表情のひとつだ。 「んむ…。」 「ふふ、美味しそう。」 「…んう。」 「ゆっくり食べて。」 「ん……、……あまり見るな。」 口の中のものを飲み込んで、まんばちゃんがじとっとした眼差しを向けてきた。 あまり見るなと言われても、 「いや、見たい。」 「なぜ見たがる。…べつに面白いものでもないだろ。」齧りかけのマフィンが盆にそっと置かれる、喉が乾いたのかなと思った矢先、やはりまんばちゃんがお茶を飲む。 なぜ見たいのか。 そんなの、考えたこともなかった。 「うーん、顔みたら安心するからかな?」 まんばちゃんは、口数が多い方ではない。だけど、誰より素直で、けして嘘をつかない。 それは彼の表情のひとつひとつも同じで、幸せそうに緩んだ顔をみたら、それだけですべてを肯定してもらったような気持ちになる。 よく見えなかったまんばちゃんの心模様が、日を追うごとに分かるようになった。 それが誇らしくて、幸せで、ずっとみていたいな、と思った。この静かな神様が、幸せそうに憩うところを。 「まんばちゃんの考えてることが、わかるから。それが嬉しい…というか。」 説明するのが難しい。 まんばちゃんは、湯呑みを置いて、今度は呆れたようにため息をついた。 「…はあ。顔を見れば分かるという割に、あんたは無自覚なんだな。」 「無自覚…?」 「ああ。俺がいまなにを思っているかわかってないだろう?」 「喉乾いたな、以外で…?」 「…。」 他になにかあっただろうか? 瞳を見返せど、返ってくるのは静かに凪いだ視線のみ。 「…??」 まったく分からない。 首を傾げたら、表情ひとつ変えないままで、まんばちゃんが口をひらいた。 「…あんたを好きだ、と思っている。」 「はっ!?」 突然投げられた好意に、どっくんと胸が跳ね上がる。どどどどどどういう意味!?と一瞬大いにたじろいだけれど、照れ屋なはずのまんばちゃんがあまりにも平然としているので、そういう意味じゃないのかもしれない。 …そういう意味じゃ、ないよなぁ。だってまんばちゃんだし。心の奥でそれをすこし悲しんで、いつも通りにつとめて言葉を選んだ。 「う、…うん?ありがとう、私も好きだよ。」 そっと見返したまんばちゃんは、むすりとふてくされたような表情で、私はすっかり困ってしまった。 まんばちゃんが畳に手をつく。 向かいあわせに座ったまま、こちらへ体が寄せられる。 「…そうじゃない、俺が言っているのは、こういうことだ。」 いいながら、猫が這うように、するり。 下から覗き込むように顔が寄せられて、はらり、まんばちゃんのフードが取れて、そのまま、ずいと口元へ、ふにゃりと柔らかいものが、唇を塞いだ。 暖かく静かな部屋の中に、ちゅっとかわいい音が落ちる。 ぱちりと瞬きをしたら、至近距離にまんばちゃんの顔がある。なにが起きたのか分からなくて、固まる。 今のって、いまのって?今のってなに? 「い、いま…。」 キスされた。まんばちゃんに。 理解したとたん、ぷしゅっと頭がショートするのがわかった。熱い、異常に。 あれもこれも全部、走馬灯のように駆ける。星が星座になって、神話になって、刀が男の子になって、私は審神者になって、それからそれから?キスして、どうなるんだっけ? 言葉が出てこなくて、ただただすぐそばのまんばちゃんを見返した。 苦しそうに寄せられた眉に、ぎゅっと痛みを堪えるような瞳に、胸がしぼられた。 ただ赤い頬だけが、私の知るまんばちゃんで。私の頬を撫でる手なんて、まるで知らない男の子のようだ。なのにどうして、こんなにも安心するんだろう。 傾いた西陽が、部屋に差す。 春が、気配をかくしてそっと近付く。 あのときと同じだ、眩しくて、綺麗なのは、部屋に舞い込んだ花びらじゃなくて、山姥切国広くん。私の、たったひとりの。 彼も覚えているだろうか、桜の眩しいあの日、初めて会ったときのこと。 「…あんたが好きだ。」 まっすぐな言葉で、胸を掻き回されて、ころりと、ようやく自分の想いを知った。 「…私も好き。」 彼の指先にさぐりあてられて知る。初めて会ったあの日から、ずっとずっと傍にあった、恋心を。 疑うような目をするから、同じ気持ちをわかって欲しくて、こんどは自分から顔を近づけた。 「…っ。」 気持ちをはこぶように、唇を押し当てて、こういうことでしょう?と瞳をあわせた。 たっぷりと揺れて揺れて、やがて逸らされた目がおずおずとふたたびあわさる。そうして、まぶしいものでも見るように、そっと細められた。 「…後悔させない。」 膝の上、きゅっと握られた手がたまらなく愛おしい。白くなってしまった握りこぶしに、手を重ねる。 「しないよ。」 まんばちゃんの手は、少し冷たい。 懐かしい春が、すぐそこまで来ていた。
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