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和泉守兼定と2月14日 「よお!邪魔するぜ!!」 言って襖が開け放たれた。和泉守兼定…兼さんである。いつも騒がしいが、今日は一段と声が張っている。邪魔するんやったら帰ってーという言葉を飲み込んで、読んでいた本から顔をあげた。 「ん、なに?」 「…いや、べつに…。何か用があるってわけじゃねーんだけどよ。」 言葉の歯切れの悪さとは裏腹に、ずんずんと一直線に部屋を横切ってすぐ近くまでやってくる。大きな所作で、隣に胡座をかいて座った。ばさりと羽織をさばく仕草が好きだな、と思う。そのまっすぐな志によく似合う、まぶしいくらいの浅葱色。 兼定はそれっきり言葉を発することなく、頬杖をついて、まじまじとこちらの顔を見つめている。 …ぜったい何かある、と確信する。 しかし全く心当たりがない。 本人が話したくなるまで待とうか、と本に視線を落とすと、さっと本が取り上げられた。 「おい、愛しの恋人さまが来てやってるってぇのに、随分とそっけねぇ態度じゃねーか。」 自分で愛しの恋人とか言うのはどうかと思う。けれどそれを言ったらきっと拗ねてしまうので、目だけで訴えた。…いったい何だというのか? 視線に耐えかねてか、あからさまに顔を逸らしながら問われる。 「あんた、俺に渡すもんとか…ねーのかよ。」 渡すもの…?なにかあっただろうか? 「給料日は来週だけど…?」 「はあ!?ちげーっての!」 違った。どうしよう、ぜんぜんわからない。渡すものってなんだっけ? 「…今日は何月何日だ?」 「2月14日…?」 べつになんの記念日でもない、はず。 兼定は意外と記念日関係にマメだ。なにか理由をつけては、祝いたがる気質なのだ。気恥ずかしい二人の記念日に始まり、誰それの顕現記念だとか、特付き記念だとか。 このままだと、彼のカレンダーは赤丸だらけになるんじゃないだろうか。 そういうのに疎い私は、随分と彼の存在に助けられた。みんなで集まって、祝い事をする。この本丸の刀たちは連帯感と仲間意識が強い、それはきっと、和泉守兼定のおかげだ。誰かの喜びを、自分のことのように嬉しがることができるのは、素晴らしい才能だと思う。 また私は、何かを見落としてしまっているのだろうか。 「はああ、まだわかんねーのか?」 「ごめん。まったく分からない。」 兼定は、呆れた、という顔で懐に手を突っ込んだ。 何かが取り出される。小さな箱。陣羽織の青に、兼定の髪紐と同じ色のリボンがかかっている。俺アピールがすごいな…と思ったところで、ふわ、と甘い匂いが鼻先を撫でた。 チョコレートだ。 チョコレートだ…。 「えっ、うわ、バレンタイン!?」 「その単語は知ってんのか…。ほらよ。」 ぶっきらぼうに、箱が差し出される。 「…私に?」 赤くなった頬を誤魔化すように、ずい、と手のひらに箱が渡された。 「あんた以外にやる奴いねーだろ!」 それもそうか…。と納得して、手の中の小箱へ視線を落とした。 逆チョコとは、さすが最近流行りの刀というべきか。 なんて、頑張って茶化そうとしても、愛されてるなぁ、と熱くなる胸が、くるしい。 「いま食べてもいい?」 「…おう。」 リボンを解いて、ぱかっと小箱が開く。香った一層甘い匂いに、ふわふわと頬が緩んでいく。歪な形のトリュフが、ごろごろと入っている。それだけで、彼が不器用に厨に立つ姿が浮かんで、とても愛おしくなるのだから、相当だ。 「いただきます。」 どこか緊張した様子の兼定を見やって、一粒口へと運ぶ。ココアパウダーの苦味が、すぐさまほろりと崩れて、どろりとした濃厚な甘さが口いっぱいに広がる。ぷわ、と鼻に抜けたのは、ぶどうのリキュールだろうか。 見た目のゴロツキ感とは裏腹に、甘い甘い大人の味がした。 「どうだ…?」 空のような青い瞳と視線があう。 「…すごい、美味しい。」 ぱあっと少年のように、兼定の顔が輝く。にまにまと口元が緩んだところまでは可愛かったのだけど、ふふん、と誉を取ったとき以上の渾身のドヤ顔をぶちかまされた。 「…ま、俺が作ったんだから美味くて当然だなぁ!おら遠慮しねーでどんどん食え!」 兼定はすごく嬉しそうだ。 こんなに嬉しいのは私の方なのに、ちゃんと伝わっているだろうか。もっと、全部、こんなにもあなたが愛おしいということを、伝えたい。 …胸が詰まる。好き、がくるしい。 「ん?んな黙ってどうしたんだよ?」 押し黙ってしまった私を気遣うように、兼定が背中を丸めて顔を覗き込んでくる。 「その…ごめん。チョコ、用意してなくて。」 「はっ。別に気にしてねーっての。あんたのことぐらい、よぉーく解ってるつもりだ。」 にっと、どこまでも裏のない表情で、笑いかけてくる。いつも子供っぽくて意地悪なくせに、こんな時ばかり、ずるい人だ。 底抜けに優しくて、かっこよくて、強くて、本当にずるい…大好きな人だ。 こんなに愛しいと、どうしたら伝わるだろう。 近付いた顔に、手を伸ばしていた。 …つたわって。 驚いた青い目がすぐ近くで瞬いた。 …伝われ。 祈るように、唇と唇を合わせる。 「…大好き。」 そっと唇を離したら、その隙間から勝手に言葉が落ちてきた。 「ねえ、好き。大好き。」 「は、」 一呼吸あって、ぽかんと兼定が口を開く。 あまりに間抜けな声を出すものだから、笑ってしまう。 「ふふっ。」 ぶわわっと赤くなった兼定の頬を見て、安心した。よかった、ちゃんと届いたみたいだ。 「なっなっ、はあ!?なにしやがる!」 「何ってキスだけど。」 「んなこと聞いてねぇ!あんな、いきなり…もったいねぇだろ!」 「え?」 もったいないってどういうことだ。と考えていたら、持っていたチョコレートが奪われると同時に、ぐいと腕が引かれた。 「…足りねぇ。」 ぐるる、と耳の底を撫でるような声が聞こえた。視線が縫い付けられたように逸らせない。狭くなる視界の片隅で、兼定がチョコレートを器用にころり、机に転がすのが見えた。腕の中に閉じ込められて、すんなりと顎を捕まえられる。行き場をなくした手は、縋りつくように兼定の肩を掴む。 ああ、だめだ、とどこかで思いながら、目は勝手に閉じる。 これではまるで、私だって、足りなかったみたいだ。 ちゅう、と唇が食べられた。 骨張った手が、髪を掻きあげるように撫でる。耳の軟骨に、乾いた手のひらが擦れて、ふ、と息が漏れる。 開いた下唇をはむりと兼定の唇が食む。 どちらの息も、焼けるように甘い。 奪うような口付けに、ぐらぐらと思考が沸いてゆく。 熱に浮かされた頭で、この人が好き、ただそれだけを、覚えて居られれば良いや、と思った。
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