バレンタイン企画 | ナノ



8/10




※ちらっとおばけがでます
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先ほど日付が変わって、現在は2月14日の午前1時を回ったあたりだろうか。

眠れなくて布団を抜け出したけれど、特にやることもなく部屋に寝転んで、自堕落に過ごしている。

火鉢でよくよく暖められた空気が、なんだか息苦しく思えて、だらりと床に寝そべったまま、中庭に面する障子を開けた。

開けて、息をのむ。
中庭、池のほとりの石灯籠のそばに、とても懐かしい人影があった。

ぼんやりと霞んでいた思考は水を打ったように醒めて、夜だというのに、不思議とはっきり認識できるその顔をまじまじと見た。

そこに居たのは、私の叔父だった。
「え。」思わず溢れた間抜けな声と共に身を起こす。
「なんで。」
会えるはずがない。だって叔父は、もうこの世に居ない。

混乱で揺れる。記憶の膜がふるえる。

厳しい、人だった。
審神者の素質があると判断された私は、叔父の元で育てられたのだ。
審神者になったら、男士の姿で顕現される付喪神に囲まれて暮らすことになる。
知識だけでなく、武道の心得まで叩き込まれた。

どうしてこんなことを、なんで、私が。
突き付けられる理不尽に、たくさん泣いた。
泣いて、泣いて、泣けなくなった。

叔父の死は、あっけなかった。
いつも一緒にいる人が、突然居なくなること。残された者は座っていた椅子を失うように、地面にころんと転がって、あっけにとられるのだ。
喪服の黒、平べったいお経の声、どんよりとした寒空。
叔父の元で暮らし、生傷の絶えなかった私に、集まった人々は一様に同情して見せた。

女の子なのに。可哀想に。これでやっと解放されるね。なんて言いながらも、誰も私の手を取りはしない。
審神者、という神職に対するやっかみ。得体のしれない者を、好きこのんで手元に置きたいと思う人なんて居なかった。

自分より惨めな生き物に同情したふりをして、救う気のない薄っぺらな顔の方がよほど滑稽だった。
泣けなくなって、良かった。と思った。
もしもまだ涙が枯れていなかったら、きっとこの人たちを大いに喜ばせることになっていただろう。
黒い額縁のなかでも、寡黙に口を閉ざしている叔父の方にそっと感謝した。
いつのまにか、強かに振る舞うことでしか、自分を守れなくなっていた。

死んだはずの叔父が、なぜ。

…事実を受け止められず、まばたきを繰り返すうちに、少しずつ、その人影はこちらに近づいてきているように見えた。

見ていては駄目な気がするのに、目が離せない。

疑問が坩堝のように渦巻く頭のなかで、このあり得ない状況を怖い、と判ったとき、ギシッと廊下が鳴いて、は、と糸が解けるように体が動いた。

「そんな格好で、寝冷えをご所望かな?」
「…青江…。」
「寒かったからね、君を温めてあげようと思ったんだ。」

言いながら、青江が部屋に入ってくる。
後ろ手に締められた障子で、吹き込んでいた冷たい風が止まり、部屋の中には明るさが留まった。
甘い匂いがして、肩に入っていた力がそっと抜ける。

「まるで死人にでも会ったような顔をしているねぇ。唇が真っ青だ。」
言いながら伸ばされた手が頬を滑り、親指で唇を撫でられる。くすぐったくて身を引くと、青江は、ふ、と微笑んで暖かなカップを差し出した。

「とろっとろの熱いのを持ってきたよ。」
「…ありがとう。」
言い方はともかく、受け取ったカップの中身はホットチョコレートだった。
「火傷しないようにね。」
青江は、私を撫でるような話し方をする。彼とこうして居るだけで安心してしまうのだから、効果はてきめんに出ている。

ふうふう、と息を吹き込んで、そっと唇をつけた。
「…美味しい。」
「それは良かった。」
じわり、体中に染み込むようにチョコレートの香りと、濃厚な甘さがかじかんで狭くなった胸を広げるように落ちてゆく。

「ねぇ、青江。」
「うん?なんだい。」
「…叔父さんが居た。」
「…そう。」
青江は少し目を伏せて、何かを考えているようだった。

青江は私の生い立ちを知る数少ない一人だ。
叔父が居なくなったあと、審神者として独り立ちしたのだが、寝つけないことがしばしばあった。青江はいつも自然にそばにいて、話し相手になってくれた。

彼は優しい。
決して私に無理強いしないのだ。
「眠くないなら、眠らなければいいのさ。」
そうして頭を撫でられてやっと眠くなる私のことを、ひどい天邪鬼だね、と笑う。

強くあることや、正しくあることを求められてきた私の殻は、まるで彼には見えてないみたいだった。
ごく普通のことのように、ただ隣合うように、私が私でいることを認めてくれている。

「なんだったのかな。」
答えなんて求めてなかったけれど、思考に浸ってしまった青江を呼び戻すように声をかけた。

「さあねぇ…?でも、僕が居たら会えないんじゃないかな?」
言いながら、立ち上がろうとする青江を引き止めた。
「青江まって、行かないで。」

「…ふふ、冗談だよ。君を狙う輩がいるのに、僕が側を離れるわけがないだろう?」

まんまとからかわれてしまった。
ずるい、としかめ面をしているとなぜか青江は楽しそうに距離を詰めてくる。

「ねえ、良いことを教えてあげようか。」
「良いこと…?」

秘密を打ち明けるように、青江が目を細める。

「与えたほうの気持ちなんかどうでもいいのさ。大事なのは、受け取った君がどんな気持ちになったかだよ。」

そう言って、拾われた私の手が、青江の手によって胸にあてがわれる。
自分の心臓の鼓動が手のひらに反射する、呼応する。

受け取った、私がどんな気持ちになったか。すぐに、叔父のことを言っているんだとわかった。

「…君は、どう思ってるんだい?」

まっすぐに見つめあう。蝶の羽のようになめらかな前髪がさらりと流れて、青江の色違いの瞳が私を見た。

ずっと考えていた。
もう訊くことの叶わない、痛みを覚えるほどの厳しさの意味や、その向こうの思いを。
…だけど、私の気持ちでいいのなら。
あのぼろぼろだった時間の意味を、私が決めていいのなら。

「…愛情……だったらいいな。」

願うつもりで口にしたら、胸に仕えていたあの滑稽な親族の表情や、今しがた見た影が、ふわり、マグカップからのぼる湯気と一緒に消えた気がした。

青江が目を細める。
重なったままの右手を、胸に優しくきゅうと押し当てられた。

「ほら、ちゃんと伝わっていたんじゃないか。」
「うん?」
「君は間違ってないよ。」

ずっと、誰かにそう言って欲しかったのかもしれない。

氷のように喉の奥を冷やし続けていた過去が、優しく空気に溶けて霧散する。
そして、やっと、ほんとうの自由になれた気がした。

ふわり、と青江が微笑む。

「ところで今日はバレンタインデーだろう?」
「そういえば、そうだっけ。」
先ほど日付をまたいだのだった。
まさかバレンタインにホラー体験をするなんて、神様はどんだけ私を鍛えたいのか、と目が遠くなる。

「…それで、僕は君のためにあまあいチョコレートを持ってきた訳だけど。」
「えっ。」

思いもよらない話題転換に、お腹のなかのホットチョコレートが、思い出したかのように突然ぶわりと熱を発する。

「僕のこの思いを、君はどう受け取ってくれるのかな?」
「…それって、」
どういう意味?と言いたかったのに、青江に人差し指を唇に当てられて、声にならなかった。

「聞いても答えてあげないよ。」

青江は、目を逸らしてくれない。
閉ざされた唇に熱が篭って、頬があつい。

視線が繋がってしまったように、色違いの瞳が混ざる。
チョコレートの甘い湯気、火鉢、くもる雪見障子に閉じ込められて、たった二人きりだ。

「ふふ、可愛い顔だねえ。これで君は、もっと僕のことを考えてくれるかな?」

胸がくるしくて、くるしくて、でもそれが幸せだなんて。思っていたよりもずっと、私は冷えていたのかもしれない。

握られたままの左手。
触れあった手と手が、温かくて、あつくて、指先から初めて愛を知るような気がした。


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