長谷部と相合傘


11/30〜拍手お礼文。

そとはしとやかな雨。
細く透明な春の雨。

さらさらと雨樋を流れる水の音がする。その途中で、ぽちゃん、ぽちゃん、と大きな水滴が水たまりへ落ちる音。葉を打つ雨のさらさらとした音が近く遠く響き、静かで賑やかな、優しい雨の日。

縁側に腰掛けて、いつもよりも視界の通りが悪い、ふわりとぼかした世界をあなたは見ていた。
雨の匂い、土の匂い、瑞々しく、ほろろと柔らかな、命の香りがするだろう。
お気に入りの庭が、水彩画のように滲む。

「主、文をお持ち致しました。」
雨音の中でも、凛々しく鼓膜をたたく長谷部の声に、あなたは振り向く。
右後ろから、目線を合わせるように、長谷部もまた膝を折って座る。

「いつもありがとう。」
唐突に伝えたくなって、あなたが口を開くと、へし切長谷部はいちどぱちりと瞬きをして、息を飲んだ。
それから、ふわ、と呼吸とともに笑う。
「主命を果たしたまでのことです。」
ビジネスライクなその返事が、こうも鮮やかに聞こえるのは、彼の笑顔があまりにも素直だからだろう。

「…私も何かしたいな。」
それは空から雨が落ちるのと同じように、ごく自然に湧いて来た気持ちだった。
「何か、ですか?」
長谷部は首をかしげて、あなたの横顔を見つめる。肩に乗っかる髪の端で、綺麗に笑うあなたの頬のふくらみ。そのなだらかな曲線を見ている彼のまなじりは、溶けてしまいそうに柔らかい。
「喜ばせたい。」
あなたが振り向いて、まっすぐにかち合った眼差しのむこう、雨粒がきらきらと瞬いた

なんでもわがまま言ってみろ!と胸を張ったところ、なぜか散歩を強請られた。
こんな雨の日に?という疑問は、心底嬉しそうな長谷部の「はい!」に吹き飛ばされてしまう。

「用意をしてまいります。」と戻って来た長谷部は、傘を一つしか持って来なかった。
ばつの悪そうな顔をして下げられた視線。赤い頬を見て、これが彼の精一杯の甘えなのだとあなたは気付く。

「主、足元にお気をつけください。」
素足に下駄を引っ掛けて、縁側から庭に出る。差し出された傘をくぐり、長谷部の腕に掴まると、いつもまっすぐな姿勢がさらにぴんと伸びて、笑いが込み上げてくる。
すでに濡れている長谷部の右肩が目に留まって、濡れないようにと身を寄せると、赤い傘の下でも分かるくらい照れるのだから面白い。

「行こう。」
笑うあなたを見て、長谷部は雨に祈る。どうかこの喧しい心臓の音をかき消してくれ。

雨粒に隠れる、傘の中。狭いガラスの檻にくり抜かれたように、互いのことだけが鮮明に見える。
じい、とあなたが長谷部の横顔を見上げると、唇をきゅっと結んで何かを堪えるような顔をする。
「どうかした?」
知ってて聞くのは意地悪だろうか。
「…いえ、その…。」
長谷部が言い淀む。続きをわかって居ても、声が聞きたい。目も耳も、君に向いてひらいている。

「主…うれしくて、変な顔をしてしまいそうです。」
言いながら、表情は綻ぶ。いつも勝気な顔の長谷部は、笑うと幼く見える。この気持ちにいつまでも慣れない、困ったようなへたくそな笑顔をする。

「ふふ、その顔好き。」
目が合う。磁石が引き合うように。見合わせて、笑って、一拍。
それから二人して、いつまでも見ていたいなぁ、と声に出さずに思うのだ。

二人の足元だけが代わる代わる雨上がり。青々とした芝生が、裸足のつま先に口付けるように水滴を落とす。
雨の庭は新鮮だ。まるで知らない世界のように色を変える。寂しげな表情の下で、命の音がうるさい。

やがて池にかかる橋へと差し掛かり、あなたは足を止める。
輪になって踊る、水面が唄うように光っている。薄い雨雲を透かして、光の道が降りている。太陽がそこまで来ているようだ。

「雨、止みそう。」
空を指差して言うと、その先を長谷部の目が追う。人差し指の先、名残惜しそうに雫がとまるさま、長谷部が眩しそうに目を細める。
「…止まなければいいのに。」
ごく自然に出てしまった言葉に、長谷部ははっとして、あなたの顔を見た。
まっすぐな、あなたの視線とぶつかって、雨音が遠のく。

人の命は、うたかた。彼は思い出す。

瞬間、世界がコマ送りになって、雨粒が地面に落ちるまでの一瞬一瞬の震えまで、すべてが焼きつくような気がした。
大好きな彼女のひとつひとつ。仕草や表情が雨の粒に反射して、その表面をつるりと滑ってゆく。

すべてが惜しい。惜しくて惜しくて、くるおしい、愛おしい。どうすればいい。

過ぎてゆくこの時を、雨粒の中閉じ込めて、好きな時に取り出して生きることができたらどんなに良いだろう。

「長谷部ってたまに、無茶なこと言うよなぁ。」
目を伏せて、笑う、あなたの頬にかかるまつげの影の儚さに、長谷部の胸は締め付けられる。

晴れてゆく雨雲のように、あなたもいつか居なくなってしまうんでしょう?問えたなら、楽になれるのか。切なさが胸にせり上がってきて、情けない。置いていかないでなんて言えなくて、泣きそうだ。

腕を掴んでいたあなたの手が離れる。
離れたと思ったら、傘を持つ手に、小さな手のひらが重ねられた。
この小さな手が、自分を自分たらしめている。この小さな手に、何度救われたことだろう。

「雨が止んでも、このまま帰ろう。」
暖かく、頼もしいあなたの声が傘の中、灯をともす。
あなたの残すひとつひとつの言葉は、長谷部の記憶の中でいつまでも光って、彼の心を温め続けることだろう。

雨よどうか止まないで。空に祈る代わりに、君の美しい横顔をそっと、胸にしまった。


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