山姥切国広と初対面


外は夕焼け空。
なまえは廊下を歩いている。

こちらにきて数日。
ようやく生活にも、刀剣たちにも慣れたが、極端にエンカウント率に差がある。
あんまり話せてない刀がちらほらいる。

噂をすれば影。
廊下の向こう突き当たりの角からひらりと姿を現したのは、山姥切国広。
「あ!まんばちゃん!」
「…くっ…!」

なまえが床を蹴り走り出すのと、山姥切が踵を返して立ち去るのは、ほぼ同時だった。
フードに手を掛けて、究極の早歩きで逃げる山姥切国広。長谷部ほどではないが、まあ早い。

きゅっと磨き上げられた廊下は、足袋を履いているいま、つるりとすべる。
素足ならば、となまえは悔いながら、それでも走る、走る。
数多いる刀剣男士たちの中で、山姥切はレア中のレアだ。会ってもこうして逃げられるし、同じ場に居ても構われ上手な他の刀剣たちに気を取られている隙に居なくなっている。
今日こそは。という思いがなまえを駆り立てる。走れ、走れ!

突き当たりの角、先ほど山姥切が居た地点をすべり抜けるように曲がる。さらに向こうの曲がり角、ひらりと翻る白い布が見えた。と、思った矢先。
するり、蹴ったはずのつま先を床がいなす。次の瞬間には、ばたん!と音を立てて床に突っ伏していた。

転んだ。

大人になって転ぶと、痛いとかより恥ずかしい。恥ずかしくて立てない。
しーんとした廊下で、ぽつり、心細い。誰か笑ってくれ…となまえは廊下でうつ伏せに突っ伏した。

…また山姥切は行ってしまった。
嫌われているんだろうか。

転んでしまった情けなさに、その思いが追い打ちをかけて、何故か泣きそうになってくる。
視線の先、滲んだ廊下の向こう。
視界に入ったその姿に、なまえは目を疑った。

おずおずと、こちらを覗く山姥切国広が居る。フードのように被った布の下で、ひときわ輝く青い瞳が思案するように揺れている。

これは、チャンスではなかろうか。
「…痛い…。」
なまえはつぶやいて、突っ伏した腕に顔を埋める。いまは心も痛い。ほんとうだ。

対する山姥切国広は大いに動揺していた。
追いかけられたので、反射的に逃げたら、後ろのほうでばたんと音がした。
立ち止まって振り返る。ぱたぱたと駆けてくる足音は消えて、曲がり角の向こうは静まり返った。

もしかして、転んだのか…?
写しなんかを追いかけるから、そうなるんだ。ふん、とため息を吐いたが、胸のもやは晴れない。
写しなんかを追いかけるから、写しなんかを追いかけて転ぶなんて、俺に、そんな価値は無いのに。

そのまま立ち去ろうとしたが、できない。立ち去ってしまえば楽なはずなのに、何かとても大切なものを裏切ってしまうような気がした。
引き止めて、後ろを振り返らせたものこそが山姥切国広、彼を彼たらしめるその優しい心なのだけれど。

角まで戻って、廊下の先を伺う。索敵はそこまで優秀ではない。そっ…と覗いたその先に、床に伏せるなまえがいた。
唇を噛んで、いまにも泣きそうな顔でこちらを見ている。
なまえのそんな顔を、山姥切はこれまで見たことがなかった。何時だって能天気に、朗らかに、笑っている姿より他に浮かばない。そんな彼女に、あんな顔をさせてしまった。

顔が伏せられて「……痛い。」とこぼれた言葉。自分が転んだわけではないのに、つきんつきんと胸が痛みだす。

彼もまた、なまえのことを悪しからず思っていたが、面と向かって対面すると、果たしてどうしたら良いのか頭が真っ白になってしまうのだ。

山姥切の写しであること。
生まれながらにして、誰かの模倣であること。それは、彼の胸の中にずっとある、にわかに痛みを伴いながら。

だけど、写しだからといって、主にあんな顔をさせていいはずがない。いや、させたくない。

意を決して、歩み寄る。
どきどきと喧しい胸の音から逃げるように、ずんずんずんと一直線になまえに向かった。

伏せられた後頭部に向かって話しかける。
「どうして俺に寄ってくるんだ。あんたに構われたい刀ならそこらじゅうにいるだろう。」

なまえは、どすどすと聞こえてきた足音に、もしやと思っていたが、やっぱり戻ってきてくれたらしい。
少し上げた視界に入る、白い靴下とグレーのスラックス。

どうして寄ってくるんだと言われても、そこに山姥切がいるからだとしか言いようがない。
まともに話すのは、これが初めてだ。がっつりコミュニケーションを取ってやる。しおらしい伏せ姿の中は、下心でいっぱいだ。

「…痛くて立てない。」
半分くらいはほんとうだ。会うたびに逃げられて、なまえの心は折れかかっている。
「転んだのか。」
みればわかる。
「まんばちゃんが逃げるから。」
君が逃げるから、胸が痛くて立てない。

まんばちゃんって誰だ…?俺か。
「…すまない。」
「…へ?」
「あんたをこんな目に合わせたのは、俺の責任だ。」
どうしたことか、思いの外山姥切が事態を重く捉えている。
「所詮は写しの刀。煮るなり焼くなり好きにしろ。」
誤解が生じている。なまえは転んだぐらいで相手を煮たり焼いたりする趣味はない。

「じゃあもう逃げやん?」
「逃げ…っ!」
おもむろにガシィっと、なまえは山姥切の足首をひっつかんだ。そんなことをするから逃げたくなるんだ、と山姥切が思ったのももっともである。
「離せ。」
「いや。」
「もう逃げないと言っている。」
ほんまに?となまえの瞳が雄弁に問う。不安で揺らいだ目。
山姥切はやはり不思議に思う。俺なんかになぜそうも構いたがるのかと。

「私としゃべるん嫌じゃないん?」
「…は?」
「嫌なんかなって思ってた。」
「嫌な、わけないだろう。…ただ、どうしたらいいのかわからない、だけだ。」
嫌じゃない。
戸惑いで、わからなくなるだけで。
「そっか。じゃあもう痛くない。」
するりと足首から手が解けた。
「起こして。」
ツンケンされると余計に手間を掛けさせたくなる。無理にでも構って欲しい。邪険にされようとも、反応が欲しい。
嫌われてるわけではないのだとわかってしまえば、なまえにもはや怖いものなどなかった。

はぁ。と隠すことなく盛大にため息を落として、山姥切が膝を付く。
腕を掴んで、案外強い力で引き起こされた。
「これでいいだろ。」
「ありがとう。」
「怪我は、ないのか。」
「うん?大丈夫。」

「…。」
沈黙がものを言う。フードの下を覗き込むと、空色の瞳が翳って揺らいでいた。
責任を感じているのだろうか?
ほんとうにもう痛くないのだけれど。
山姥切国広がぶっきらぼうでつっけんどんなのは、その優しい心を守るためなのだろう。

「…やっぱり大丈夫じゃないかも。休んでいっていい?」
「勝手に休めばいいだろう。」
なまえの体を引き起こした手を、そのまま握られている。山姥切は居心地が悪い。手を引かれるまま、歩きだす。
夕暮れが穏やかに、景色を染める縁側。

「おい。手、離さないのか。」
「まんばちゃんが一緒に居って。」
「…なんで俺なんだ。」
「だってちゃんと話したことなかったから。」
全員と話す義務などないのに。
だがどうしてか、握られた手を振りほどく気にはならなかった。
転ばせてしまった負い目なのか、彼女が主だからなのか、それとも別のなにかがそうさせるのか、わからないまま山姥切は手を引かれている。

ふたり並んで腰掛けて、夕焼けを見つめた。開け放たれた後ろの部屋に長い影法師が並ぶ。
「きれいな夕焼け。」
「ああ、写しの俺には勿体無い景色だ。」
「そう?似合ってるけど。」
「やめろ。」
「はーい。」

遠くの山に、カラスの影が飛んで行く。
夕暮れの涼しい風が頬を撫でて、屋敷の中に流れて行く。

「…写しの刀と話したって、いいことなんてないだろ。」
「写しって、そんなに悪いことなん?」
「……。」
「??」
「俺は、俺じゃない誰かの模倣でしかない。」
意を決するように、山姥切国広はこぼした。

山姥切の写しであること。
本科と比べてどうであるのか、彼を評する言葉はいつもそれに終始する。

それはまるで、自分がどうであろうと、誰かの真似ごとにすぎないのだと、言い聞かせられるようだった。

自分自身の良し悪しなんて、やつらとっては取るに足らないことなのだろう。
そんなはずはない。
そんなはずはないと思っても、事実、自分は本科との比較の中で生きてきたのだ。

なまえもまた考える。
自分がもし、誰かとそっくりに作られたものだとしたら、そしたら、自分とその誰かの区別は、どうやってつければいいんだろう。

そんな思いで山姥切が苦しんでいるのなら、なんとか和らげたかった。
あの頃とは違う。
和泉守が言っていた。こうして、言葉を交わせる今を生きているのだから。

自分自身だと思っていたそれが、だれかの真似に過ぎないのだとしたら?
どうやって自分を見つければいいんだろう。

なまえは山姥切と目を合わせた。
彼女の、山姥切と。
「でもここでこうやって、私と話してる山姥切国広は、ひとりだけやろ。」

山姥切は黙って言葉を待っている。

「好きな食べ物はなに?」
「…急になんだ。」
「なにが好き?」
「…茶碗蒸しの中の、銀杏。」
「ふふっ。」
「なにが可笑しい。」
「ぜったいかぶらんやん!」

茶碗蒸しならまだしも、その中の銀杏をチョイスするとは。山姥切、きみのオリジナリティはすでに想像を超えているのではないか。

「これでひとつ分かった。私の山姥切国広は、茶碗蒸しの銀杏が好きな山姥切国広。」
「変な覚え方をするな。」

「んー、じゃあ、びっくりして、逃げて、でも転んだ相手をほっとけなくて、引き返してくれる、優しくて手を振りほどけず、審神者に付き合わされてる、茶碗蒸しの銀杏が好きな山姥切国広は、私が知ってるひとりだけやろ。」
言いながら、繋いだままの手をきゅっと握った。

うまく伝えられるだろうか。
話せても、言葉を交わせても、伝えられないことの多さよ。

「もっと教えて、もっと一緒に居れば、もっと鮮明になってくよ。」

人は誰かと関わって、初めてひとりきりになれる。
たったひとりきり、誰かにとっての、唯一のきみになっていくんだよ。

「まんばちゃんが自分のことをわからなくなったら、私の目に映ってる、唯一の山姥切国広を見ればいい。私が知ってる、たったひとりの山姥切国広を。」
山姥切の透明な青い青い瞳に、なまえの顔が映っている。
きっとなまえの瞳の中にも、彼が認める彼の姿がある。

大勢の、顔も名前も知らない人混みで、きみを君たらしめるもの。
それはひとえに、人との繋がりだ。

「こうして話して知り合ったから、もう、まんばちゃんは、ほかのどの山姥切とも違う。」
なんて、少しくさかっただろうか。

「…ふ。」
「うわ!笑った!」
「俺だって笑うときは笑う。」
「なにが面白かったん?」
「まんばちゃんって何だ。」
「そこ?」
ついつい呼んでしまっていた。彼の愛称。暗い彼に反して、まんばというひと昔前のギャルを連想させる言葉、その取り合わせが、どことなく好きで、なまえもまた山姥切をまんばちゃんと呼んでいたのだった。

「いや?」
「いやではないが、切るところがおかしいだろ。」
「うーん、じゃあなんて呼ばれたい?」
「別に、好きに呼べばいい。俺はあんたの山姥切国広なんだろ。」
「じゃあやっぱりまんばちゃんかなぁ。」

山姥切は、なんとなく、なまえがなぜこうも自分と、自分たち刀と関わりを持ちたがるのかが分かった気がした。

自分が自分であるということの確認と、自分がここに居るということの証明。それは、一人では到底できっこないのだ。

写しの刀であることは、これからも、この先も変わらずに彼を苛むかも知れない。
でも、それでも良いのだろう。
なまえにとって、自分が唯一の山姥切国広であるということ。
ならば、この鬱々とした感情と向き合うことだって、自分らしさのひとつかも知れなかった。

沈んでゆく夕日に、空は夜へと染まってゆく。オレンジと濃紺のあいだ、その光を受けた山姥切国広の空のような瞳も、柔らかく、優しく、滲むのだった。



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