馴れ合わないとは言ってない


秋の始まり。

昼過ぎの鰯雲が泳いで、秋晴れの柔らかい日差しがゆるりと空気を暖める。
気持ちのいい天気に甘やかされて、なまえが縁側でぼんやりとしていると、足元にもふり。何かが触れた。
「がう。」
五虎退の虎くんだ。背中の模様、彼はやんちゃな長男であると見受けられる。
「ん?どしたん?」
なまえの足に額をぐりぐりと擦り付けてはとことん、と庭に駆け出る。
はて、となまえが首を傾げると虎もまた同じように首を傾げて、また寄ってくる。
今度はぐいぐいと、着物の裾を咥えて引かれた。どうやらついてきて欲しいらしい。

なまえがひょいと草履を引っ掛けて庭へ出る。虎はぐるぐると喉を鳴らして、こちらだよと誘うように先を行く。

その姿を見つめる影が一つ。
縁側へやってきた野良猫に光忠特製の煮干しを与えていた大倶利伽羅である。とことこと無邪気に虎を追うなまえの後ろ姿を見かけて、ひとつため息をついた。誰か居ないのか。気配を探るが誰の気配も遠い。
…一人で出歩くなとあれほど言っているのに。たとえ庭であろうと、何かあってからでは遅いんだぞ。
ちっと舌打ちをして、大倶利伽羅が芝生へ降り立つ。ふわ、と風を孕む柔らかな腰布が美しい毛並みのようについてくる。

なあん、と甘えた声を出して白猫が大倶利伽羅の足元へじゃれつく。
「…まだ食いたいのか。」
握ったままの煮干しの袋。猫はずいずいとふくらはぎへとその身をすり寄せて、構ってくれと全身で訴えてくる。歩きづらい。
「ふん、勝手にしろ。」
言葉こそ冷たいのに、その声は柔らかい。猫と意思疎通出来ている。これには鳴狐も驚きだろう。
お許しを得た!と言わんばかりの表情で、しゅるりしっぽを立てて猫もまた大倶利伽羅の後を追う。
見失わないように、それでも悠々となまえの後ろ姿を追う大倶利伽羅は、さながら親猫のようである。

虎の背を追って、なまえは一つの木陰へ辿りつく。
木立の影からわらわらと姿を現したのは残る四匹の虎。その後ろで、五虎退がすやすやと寝息を立てて眠っている。
初秋の風は季節を運び、日差しの奥で凛と冷たい。こんな所で寝てたら風邪を引いてしまう、なにか掛けるものを持って来なければと思い至ってすぐ、視界にすらりと大倶利伽羅が現れた。
「わ。大倶利伽羅、どしたん?」
「それはこっちの台詞だ。」
射抜かれるような金色の瞳にも、つっけんどんな物言いにも、なまえはもう萎縮することはない。その向こうにはちゃんと優しさが存在していることを知ってしまったからだ。

「一人で出歩くなと言われているだろう。」
「虎くんがついてるからいいかなって。」
なまえは冗談交じりでへへ、とごまかすように笑う。それに対して大倶利伽羅は呆れたと言いたげな表情でただ見返してくる。
だめだ、空気に耐えられない。
「…ごめんなさい。」
「ふん。」
分かればいい、と鼻で笑って、大倶利伽羅がちらと五虎退に視線を投げる。
「寝ちゃってるみたい。」
「ああ。」
と、煮干しの入った袋を差し出される。頭に『?』を浮かべながらなまえがそれを受け取ると、衣擦れの音。大倶利伽羅は腰布を外して五虎退へふわ、と掛ける。

優しいな。と思ったけれど、言っても返ってくる言葉はきっといつものあれなので、なまえは大倶利伽羅の穏やかな横顔を黙って見ている。
そこへ、にゃう、と脚をぐいぐい押される感触がする。虎五匹と猫一匹に包囲されている。お目当はどうやらこの煮干しらしい。こんなのを持っているなんて、大倶利伽羅、全力で馴れ合う体制じゃないか。というのも心にしまっておく。
「これ、あげてもいい?」
「ああ、勝手にしろ。」

許可をもらったので、しゃがんで煮干しを取り出す。はい、と差し出すと、くんくん。少し匂いを嗅いで、ぱくと食い付いた。咀嚼して、きらり、虎くんの瞳が輝くのがわかった。どうやらとても美味しいらしい。

その様子を見て、虎たちは一斉になまえへ群がる。ぴょんぴょんと跳ねて、腕に、膝に、しゃがんだ背中にまでよじ登ってくる。ぐいぐい、着物がよれる。
ひょいと軽やかに背中から肩へ登ってきたのは白猫。肩からなまえの手の先へと前足を伸ばす。毛並みが首をくすぐってこそばゆい。
まるで統率が取れていないこの状況。とって食われそうである。

「落ち着いて…!」
と、なまえが声をあげたところで、ひょいと猫がつまみ上げられた。もちろん大倶利伽羅に。次いで腕を引っ張っていた虎もまたひょひょいと抱き上げられる。
そのまま目の高さまで持ち上げられて、ねこも虎もしゅんと静かになる。
「…大人しくしろ。」
なまえと残りの虎たちはぽかんとそのやりとりを見上げる。え、しゃべれるの?同じ顔をしている。
地面に降ろされた二匹はさっきまでの荒くれ具合が嘘のように、お座りの体制である。
大倶利伽羅、完璧に手懐けている。
猫っぽいもんなぁ、となまえは無理やり納得した。
二匹に倣うように、ほかの虎たちもまた同じように並ぶ。

「言う事聞くん?すごいなぁ。」
「アンタは立て。」
有無を言わさぬとはこのことか。
言われるがままなまえが立ち上がると襟元へ手を伸ばされる。胸ぐらを掴まれる!となまえがびくつくのを無視して、大倶利伽羅が襟を正す。首元を整えて、一拍、じろりと目が合う。

察したなまえが手を横に広げると大倶利伽羅の腕が脇へ伸びる。身を寄せられると同時に、合わせがきゅっと直った。
大倶利伽羅、彼もまた伊達男だ。光忠ほどではないが、他人の格好にまでよく気がつく。
「…終わったぞ。」
「ありがとう。」
「がう。」「にゃー。」
煮干しはまだですか?とお座り待機の虎たちが鳴く。微笑ましい。

「これってそんなに美味しいんかな?」
ひとつ、煮干しをつまんで観察する。
大倶利伽羅もまた同じように煮干しへ視線をやる。
「さあな。アンタも食べてみればいいんじゃないか?」
ふっと半笑いで言われて、なまえは閉口する。大倶利伽羅の軽口は、ときどきすこし意地悪だ。
なまえがううん、と悩んでいる様子を見て、大倶利伽羅もまた、煮干しの味が気になってくる。虎も猫も、こんなに夢中になるぐらいだ。いったいどんな味付けがされているのか。
「食べないのか?」
「うーーん。」
煮干しとにらめっこするように、食べるのを躊躇っているとおもむろに手首を掴まれる。大きくて暖かく乾いた手のひら、もちろん大倶利伽羅のものだ。

え、と思った時には顔が寄せられて、つまんでいた煮干しをそのままぱくりと食べられた。
指先に、ちょんと触れた唇の、柔らかく湿った感触。まるで口付けられたように、人差し指と親指から熱がまわる。
熱い。血がぶわわと全身に駆け上がり、頬が茹だる。

は、と固まったなまえに、素知らぬ顔でぱりぽりと煮干しを噛む大倶利伽羅。味付けは薄めだな…と考えている。

無意識なのか!?無意識なんだな!?

大倶利伽羅は獣っぽい。自然な仕草が、豪速球で可愛いときがあるのだ。誰にも懐かない一匹狼にこころを許されたようで、無性に嬉しくなってしまうのだからずるい。
そんな考察お構いなしに、大倶利伽羅はばりぼりと煮干しを噛んで、飲み込む。
「…まあまあだな。」
光忠特製の煮干しは、なんとも上から目線の講評をいただいた。

頬が熱いのが悔しくて、なまえは俯く。
もちろん大倶利伽羅はなぜなまえが目を逸らすのかわからないようで、不思議そうに首を傾げた。
「どうした?」
「…なんでもない。」
そうは見えないが、彼は言いたくないことを無理に暴こうとはしない。

ぽうと熱い頬を撫でるように風が吹く。かさかさと木の葉が身を寄せ合うように震える。

んう、と五虎退が身じろいだのにはっとして、なまえは照れをごまかすように屈んだ。虎に煮干しを差し出す。先ほどまでとはうって変わって、虎は上品にぱりりとそれを頬張る。

突然口数が減ったな、となまえの後頭部をぼんやり見つめていた大倶利伽羅もまた、彼女の隣にしゃがみこんだ。

視界にすっと差し出された左手には竜の尾。煮干しを乗せると彼もまた虎に与えはじめる。

ぱくぱくと気持ちいいくらいの食べっぷりにだんだんと見ているこちらまで頬が緩んでくる。
ごく自然な沈黙が穏やかに立ち込めて、時間までが歩幅を合わせるように流れる。

ふと見上げた大倶利伽羅の横顔は、驚くほど柔らかで、なまえは笑みを濃くする。
「ふふ。」
「…なんだ。」
「んー?なんでもない。」
なんでもないんだ、こんなの。
大倶利伽羅が優しく笑っていることも、たくさんのありふれた日常であればいいと思う。

新しい季節の匂いがする。少し強い風が、ひんやりと秋の気配を忍ばせて、駆ける。
その冷たさになまえが肩を竦めたのを大倶利伽羅は見逃さない。それは彼女が彼の微笑みを見逃さないのと同じように。

「…戻るぞ。」
大倶利伽羅が立ち上がって、眠っている五虎退をそっと抱き上げる。
しゃがんだままで一歩二歩、先を行く姿を眺めていると、大倶利伽羅は立ち止まって振り返る。
「おい。」
なんとなく、甘えてみたくなったのは初秋の風の冷たさのせいにしてしまおう。
「…足痺れた。」
大倶利伽羅はわざとらしくため息を吐きながら、五虎退を胸にもたれかかるように抱え直す。空いた片手が差し出された。仏頂面なのは、気恥ずかしいからだろう。

なまえはくすぐったさに笑いながら、伸ばされた手を掴んだ。

引き上げられた手の大きさ。
引き上げた手の小ささ。
お互いを別の生き物だと知らしめられて、それでもなお、手を取り合って歩く。

繋がった影を、夕焼けが名残惜しそうに引っ張る。

ころころと後ろをついてくる虎が欠伸をして、厨からは、夕ごはんの匂いがする。

足が痺れている。…なんて到底思えないようななまえの軽い足取りに、気付かぬふりをしたまま手を引く大倶利伽羅もまた、可愛いうそつきに違いない。

「馴れ合うつもりは?」
「…ない。」

前を向いたままで、『うそだよ』と言ってるみたいに、繋いだ手をきゅっと握り返された。



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