鶯丸とお茶する
呼吸が弾む。熱い、熱い手合わせ。
滴る汗も気にならない。
相手の一挙一動に意識を集中させる。重心の移動、力の流れの読み合い。
ばち、ばちと火花が戯れるような打ち合い。
「チャァァ!」
と膝丸が斬りこむ。
力をこめた、重い一撃だ。
きいいいん!ひときわ大きく鋼の弾ける音、鶯丸が刃を返し、振り下ろされたそれを受け止めた。
息が詰まるような緊迫した鍔迫り合い。
鶯丸は、好戦的に目を細める。
「…どうした?飲みたいのか?」
笑みすら浮かべて、勝ち気に宣った。
沈黙。
飲みたいってなんだ…?
膝丸は眉間に皺をよせて考えを巡らす。
刃を通して、互いの力が競り合う音が静かな道場の空気を震わせる。
その重みを感じさせない軽やかさで、手合わせを見学していた髭切が笑いだした。
「あはは、じゃあそろそろ休憩にしようか。」
ようやく膝丸は全てを悟る。
飲みたいのか?で、なぜ好戦的な顔をするのかという疑問が浮かんだが、ため息とともに吐き出した。
さらにいうならあれは打ち込みに伴う発声であり、断じて「茶ァァァ!」ではない。
「茶ァァァ!」だとしたら、彼はカテキン中毒のカテキン丸と呼ばれるほかない。
…するりと力をいなして刀を収めた。
戦意はすっかり鎮火してしまう。
そう。
お茶といえば鶯丸。鶯丸といえばお茶。
両者は切っても切れない存在だ。
本丸の千利休。茶と握り飯を巧みに操り憩う。それが彼、鶯丸である。
*
執務室。
資材管理。先々のイベントを予測し、それまでに必要な資材を算出する。在るに越したことはないのだが、働かせすぎるというのも逆に不効率だ。
そうして最低値を算出しておけば、遠征回数、任務遂行ノルマが分かる。それを刀剣たちに振り分けて、一ヶ月の出陣計画を組む。
なまえはひどく疲れていた。
昨夜は寝つきが悪く、でも妙に頭が冴えて昼寝をする気にもなれない。
みんなが働いているこの時間に、自分だけ眠る、というのはどうも気が進まなかった。
しかしこれではあまりにも効率が悪い。甘いものでも探しに行こうか、と部屋を出かけたとき。
「失礼する。」
返事を待たずにざっと開けられた襖から顔を覗かせたのは鶯丸だ。
「主、少し顔を貸してくれ。」
「うん、なに?」
「細かいことは気にするな。こっちだ。」
ちょうど頭が煮詰まっていたので、なまえはこれ幸いと鶯丸へついていく。
廊下へ出ると、昼下がりの柔らかな日差しが目の奥をきゅうと締めつけた。
すらりとしたジャージの背中。
ぴょこぴょこと跳ねる鶯色の髪が踊るように光をまとって綺麗だ。
うん、ジャージ?
鶯丸はたしか今日の畑当番ではなかったろうか?
「うぐ…っ、…!?」
うぐいすまる、となまえが呼びかけたとき、ざっと鶯丸に口を塞がれて、飛ぶように部屋へと連れ込まれた。
「静かにしろ。」
壁を背に、後ろから人質よろしく羽交い締めにされる。
薄暗い部屋のなか、明かり取りのガラス戸に影が映る。畑当番の相方、小狐丸の影である。
きょろきょろと廊下を歩いてゆく。
鶯丸、さぼり確定だ。
なまえ自身もさぼりのようなものなので、なんとも言えないが、彼がまともに畑当番をしているところを見たことがない。
これは主として叱っておくべきだろうか?
「行ったようだな。」
ようやく解放されて、ふうと息をつく。
「またさぼり中?」
「いや。休憩中だ。あんまり根を詰めすぎても、良い茶葉は育たない。」
…茶葉から育てているのか。
小狐丸は大豆から育てているが、うちの本丸はみんな素材にこだわる傾向がある。
そのため各々好き勝手に畑を持っている。当番でなくても、それぞれ作物と触れ合って、その成長を喜ぶ。
はぁ、となまえがため息をつく。
「主、いくぞ。」
「どこに。」
「気にするな。」
「気にする。」
鶯丸は聞く耳を持たない。なまえの手を握ったかと思うと、すっと障子を開けて縁側へ。庭へ降りて、脱ぎっぱなしにしていた靴に足を突っ込んだ。
なまえは当然立ち止まる。裸足だ。
「靴ない。」
「そうか。」
そうかって…となまえが突っ立っていると、鶯丸はおもむろに背中を向けた。縁側に立っているなまえの頭一つ下、均整のとれた背中が丸められる。
「どうした、早く乗れ。」
「え!?なんで!いやや!」
おんぶされろということか。
「なら裸足で行くか。」
ちらり、肩越しに振り返った鶯丸は、からかうように笑っている。恥ずかしさを見抜かれているような表情に、なまえは少しむっとする。
「なに、周りの目なんて気にするな。むしろこうされてるほうが自然だろう。」
「どういう意味…。」
なまえは言いながらしぶしぶと、背中から首へ腕を回す。鶯丸は言ったら聞かない。ひょいと重心を取られて、見ていた以上に広い背中へ乗せられた。袴をはいていて良かった、となまえは安堵する。
「いつも誰かに持ち運ばれているだろう。」
「そんなことない!」
「ふ、では主が刀を持ち運んでいるということにしておくか。」
「そうしよう。」
いつも持ち運ばれてる。だいたい小狐丸と岩融と鶴丸のせいだ。あの三振りは、主とどこかへ行くなら持った方が早い!と思っている節がある。すごい速さで間を詰めてくるので、気付いた時には担がれているのだった。
「はあ。」
「さっきからため息が多いな。」
「うん、疲れた…。」
鶯丸は、そうだろう、と心のなかで独りごちる。朝から執務室にこもりっぱなしだ。
我らが主は、いささか真面目がすぎる。仕事をしていない時でさえ、誰かしらがなまえと戯れている。
なまえ自身はそれをなんの負担とも思っていないようだが、人の身を得た鶯丸は思う。
なにもしない時間こそ、この体には必要だ。
春の終わり、日差しはうららかに新緑の葉を透かしてなまえの髪を、頬を、撫でる。
鶯丸はそれきり言葉を話さず、木漏れ日をくぐり、歩いてゆく。木立の中、名も知らぬ鳥の声と柔らかな葉の触れる音が、二人を包んでいる。
鶯丸の背中に触れている腹がとても暖かい。てくてくと心地の良い歩幅も合わさって、なまえの瞼はとろんと落ちてくる。
うつら、うつらと船を漕ぎ始めて、やがてベールのような眠りがなまえを包んだ。
…。
ちゅるちゅぴぴ、と鳥のさえずりが耳に落ちてくる。
ふわ、と柔らかな風がなまえの前髪を持ち上げて、目が覚めた。
「起きたか。」
「うん…。」
ぼうと鶯丸を見上げる。…見上げる?
膝枕をされていたようだ。いつの間に。いったいどれだけ寝こけていたのだろう。
なまえは身を起こして伸びをする。きゅうと全身に血液が行き渡る感じがして、意識が明瞭に醒めていく。
ゆらゆらと、木漏れ日がさす。一面の芝生は柔らかい、小川のほとり。せせらぎに合わせて憩うように、光が揺れている。
青々とした芝生に散りばめられた白いクローバーの花は天の川のようだ。
なまえは一目でこの景色の虜になってしまう。
「きれいなとこ。ここどこ?」
「さあな。裏山の少し手前のあたりだ。主も飲むか?」
さすが鶯丸。こんなところでもお茶を嗜んでいる。
ガラスの茶器に、季節を閉じ込めたようなきれいな緑が光っている。
「水だしの緑茶だ。」
言いながら、切子細工の美しいコップへと茶が注がれる。とぷとぷと、丁寧な仕草で。
「いただきます。」
そうっと唇をつけると、爽やかな香りがふわっと鼻を抜けてゆく。こくり。甘ささえ感じるような、柔らかな渋みが口の中を撫でる。
「うわ、美味しい。」
「そうだろう。」
鶯丸は当然だと言わんばかりに勝気な笑みを浮かべている。なまえはつられて笑いが溢れる。
「ふふ。」
なまえの笑顔を見て、鶯丸もまた笑みを濃くする。
やっと笑ったか。
鶯丸は、なまえのことをよく見ている。なんせ、気に入ったやつを観察するのが趣味だ。このところ難しい顔をしているなまえのことが、密かに気がかりだった。
使命に縛られて、それでもその重みを感じさせない我らが主。彼女のそばに居ると、戦をしているということがせせらぎの向こうのことのように、遠のく。居心地が良いのだ。
それは他の刀剣たちにとっても同じらしく、彼女のそばにはいつも誰かが憩って居る。
鶯丸は考えた。
ならば彼女は、いつ休むのだと。
使命や立場を重んじることの重要さももちろん心得ているが、それを忘れる瞬間だって、きっと人の身には必要だろう。
もっとも、鶯丸自身が彼女とこうした時間を過ごしたかったのもまた事実であるが。
「鶯丸、なんか嬉しそう。」
「ああ、主が笑っているからな。」
なまえはやはり気恥ずかしくなって、ごまかすようにまた笑う。
「ふふ、じゃあずっと笑っとこ。」
使命など、宿命など、軽いものだ。彼女にとっては、目の前でこうして幸せそうにしている刀たちの姿がなにより大切だ。
そのために自分に出来ることがあるならば、そんなものは苦ではない。
木漏れ日の眩しさに、芝生の柔らかさに、鶯丸の優しさが重なる。
なまえはこの瞬間、一度すべてを忘れて、与えられるあたたかさにその身を浸した。
美しい、五月の箱庭。
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