燭台切とラッキースケベ



「はぁ、もーうちょっとあってもいいよなぁ。」
脱衣場。風呂上がりのなまえは鏡に映った自分の姿を眺めて、悩ましげにため息を吐いた。

彼女の悩みの種は豊かとは言えない胸。理想よりも幾分か小さいそれは、一向に育つ気配がない。
「なくはないんだけどなぁ。」
むに、と両手で胸を掴んで、きゅうと寄せる。
「このぐらい欲しいなぁ。」
うーん。やっぱりないよりあった方がいいよなぁ。
「はぁーあ。」
寄せた腕をそのままに、何度目かになるため息を吐いたときだった。
がらっ。なんの前触れもなく扉が開いた。
鏡越し、ばちり。と目があう。
そこに居たのは燭台切光忠である。

「…っ!?!?」
人間、驚きすぎると声が出ないんだ。
手ブラをしたまま固まるなまえ。

一瞬が永遠のようにも感じた。
ぽたり、濡れた髪から雫が落ちる。

瞳を見開いた光忠の顔がぶわっと燃えるように赤くなる。止まっていた時間が動きだす。
「うわああああ!っごめん!ごめんね!」
光忠は両手で目を覆う。そもそも右側の目は覆わなくても良いはずだけれど、そんなことは吹っ飛んでいる。
「みみみみつただ!!ドアドア!ドア閉めて!!」
「うわあ!ごめん!閉めるね!!」

がらぴしゃっ!

…おかしいな。
はて、となまえは首を傾げる。
閉められた扉。なのになぜ光忠の背中が見えるんだ…?
脳が情報を処理するのに時間がかかる。
…これは?…うん?
同じ空間にいる…?
なんでまだ中にいるんだ光忠!!

「なんっ、なんで!?」
「あれ!?うわ、そうだよね!すっすぐに出るよ!!」

がたがたん。

がたがたがたがたたん!!

「…あ、開かない。」
「え。」

どうやら建て付けが歪んだらしい、さすが打撃75。

「開かないってなんで!?」
「そんなの僕にもわからないよ!」
混乱とは恐ろしい。
開かないわけがなかろう、となまえは脊椎反射で光忠の脇から扉に手を伸ばす。

脇腹の下にひょいと伸びてきた腕に光忠は大いにたじろぐ。かつて見たことがないほどの、肌色を目の当たりにする。

「うわあ主!こっちにきちゃだめだよ!!」
「うわそっかあああ!!!」
ぎゃあとなまえは光忠の視線から胸を庇うように扉に飛びついた。
裸の背中が目の前に滑り込んで、光忠はばっと上を向く。

どうしてこうなった?
どうしてこうなったんだ!?
二人の脳は完全に沸騰している。

そのとき。廊下から声。
「おーい、光坊ー!」
つ る ま る だ 。
…やっかいなのがきた。来てしまった。
瞬間、なまえと燭台切の心はひとつになった。この場をくぐり抜けよう。
なにもなかったことにするために。平穏な明日を過ごすために。

決意がおりた瞬間だった。
すっ…と、なまえの手のひらを、扉がすべる。いとも簡単に。
音ひとつ立たず、扉が動く。
鶴丸は扉の扱いが上手い。そんなどうでもいいことが、まさか最重要事項になる時が来ようとは。

なまえと光忠には開けられなくて、鶴丸には開けられるという魔性の扉。
なんでやねん…なまえは渾身のツッコミを入れた。心の中で。
「…っ。」
そうして息を飲んだ瞬間。
ズパアン!!
開きかけた扉が閉じた。

間一髪。後ろから光忠が押さえてくれたようだ。
しぬかと思った…!ばくばくばくとなまえの羞恥メーターはもう振り切れている。ついでに言うと脱衣場の扉の生存も危うい。さらに言うと光忠の汗も尋常ならざる量である。

とりあえずの危機回避成功というところで、「はあ。」と耳のすぐ上に落ちてきた吐息。ぞくり。なまえは身を竦ませた。突然意識にあがる距離感。
背中の素肌に、光忠がくっついている。
え?え?近い!近いだろ!!近いよな!?

光忠の腕に囲まれて、胸板と扉で文字通り板挟みになっている。憧れの壁ドンスタイルだが、こちとら裸である。壁ドンってこんなにハードなシチュエーションだったか?
裸なのにあったか…暑い!
光忠は扉を押さえることに必死で、気付いていない。

「なんだ?開かないな。光坊ー?そこに居るのか?」

息を押しころす。
いま、近いと言えばきっと光忠は飛び退くだろう。そして、その後のことは…想像したくない。

「なっ、なあに?鶴さん。何かあったの?」
光忠の声、振動が体へとじかに伝わる。
お前どんだけ良い声してんねん…。
熱い、熱い。背中から、溶けてしまいそうだ。もういっそ溶けたい。
今なら囁かれるトマトの気持ちが分かる。はやく収穫してくれ…。そして煮るなり焼くなり好きに料理してくれ。

「おお、やっぱりそこに居るのか!扉が開かないんだが、何かあったのか?」
「な、にもないよ?なにかつっかえてるのかなあ?はは。」
「聞きたいことがあるんだが。なあ、そっちから開けてくれないか?」

なまえは光忠を見上げるように振り向く。
アイコンタクトである。
『ぜったいあかん…!』
『わかってるよ…!』

「今、手が離せないんだ。悪いけど、このままで聞くよ!」

心頭滅却すれば火もまた涼しと念じながら、なまえは光忠の腕の中で祈る。頼むからはやく立ち去ってくれ。そして開放してくれ!

「…なあ、光忠。主を見なかったか?」
「ひぇ…っ」むぐり。
なまえの口から出かかった声を、燭台切は頭を抱える形で後ろから抑え込む。

もしかしてもう気付かれてるのか!?ありうる。鶴丸ならありうる。彼のコミュ力ならば、本丸に居る全員の現在地情報など手に取るように把握できるはずだ。
なまえに冷や汗がたらたらとにじむ。

そんななまえの様子を察して、主を落ち着かせてあげなきゃ!と思い至った光忠は、上半身を丸めるようにして、なまえの耳元に顔を寄せた。

ずいっと背中で動く気配に身をすくめると間もなく、耳たぶのほんのすぐ側で囁きかけられる。
「しーっ。」
「っ?!」
「…主、こえ、だしちゃだめだよ。」
吐息をたっぷりと孕んだ声をとろりと耳に流し込まれた。

死角からの予期せぬ攻撃に、腰が抜けそうである。全身のうぶ毛が逆立って、髪から滴る雫が肌を撫でるのでさえ、くすぐったくてたまらない。
なんやねん光忠ころす気か!?
もういい…帰りたい。部屋に帰って布団にくるまりたい…つらい。

一方で光忠は、冷静さを取り戻しつつあった。こうして腕の中に抱き込んでいれば、なまえのあられもない姿は見えない。

そう、どんなときでもカッコ良く決めるのがこの伊達男である。それがたとえラッキースケベの真っ只中であろうとも。

腕の中の主をちらりと見る。
口を塞いだ左手のひらにかかる息は不規則で、ふるふると震えている。
…主…。かわいそうに。このまま裸でいたら、風邪引いちゃうよね!

もちろんなまえは羞恥で震えているのであって、羞恥の原因は光忠本人にあるのだが。
右耳に寄せられたままの鼻先に、このままだとフェロモンの過剰摂取で死ぬのも時間の問題かもしれない。と本気で危惧している。

光忠は無自覚だ。誰よりもかっこよさにこだわるのに、色気は垂れ流しというのはどういう了見か。

「おーい、光坊、聞いてるかー?」
とんととん、と目の前の扉が叩かれる。
「ああ、ごめんね。えーっと、主は見てないよ、どうかしたの?」
様子を伺うなまえの視線を拾って、光忠はにこりと微笑みかけた。
僕がなんとかするから、大丈夫だよ。橙色の瞳が頼もしく頷く。

対面時のパニックはさておき、伊達男スイッチが入ったらしい。女の子の素肌を、晒しちゃあいけないよね!
その左目にはすでに晒されたわけなのだが。切り替えも格好よくいこう!!

「いやなあ、主が風呂に居ると聞いたもんで、きみたちが鉢合わせになっては大変だろ?だからこうして来たんだが。…そうか、主はもう出たあとか。」
「ああ…。そうみたいだね。僕は予備のタオルを戻しに来たんだけど、主のことは見てないよ。」

光忠は、空いた左手で燕尾服のボタンを外しにかかる。右手は扉を押さえたままだ。

利き手ではないこともあって、うまくボタンを外せない。燭台切は料理こそ得意だか、手先が器用というわけではない。
仕方がない。ちょっと格好つかないけど、主にお願いしよう。

「…ねぇ、ぼくのうわぎ、脱がせて。」

ぴくりと身を震わせたなまえは怪訝な顔をして光忠を見上げる。
…なぜ、いま、脱ぐのか?
イケメンの思考回路は全くわからん。しかも言葉のチョイスがさっきから微妙に際どい。自意識で格好良いのか、無意識でエロいのかどっちかにしてほしいところだ。

廊下の向こうから鶴丸の朗らかな声が聞こえる。
「なら俺も続けて入るとするか!」
「えっだ、だめだよ!」
「なぜだめなんだ?」
「いや、ええっと。ああ…鶴さんに話しておきたいことがあるんだ。心当たり、あるでしょ?」

なんで?というなまえの視線を受けて、光忠は困ったようにはにかんだ。
再び、アイコンタクトである。
『ごめんね、目瞑ってるから。』
はぁ、と一息吐いて、なまえも頷く。たしかにその胸板じゃあ暑そうだ。
『いいよ。』

ぱたりと閉じられた瞼。
黒くて長い睫毛が、頬に重なるように影を落とす。閃くような夕陽色が隠れる。


さて、なまえはボタンを外しにかかる。しかしシュールだ。まさか生涯において、伊達男の上着を裸で脱がせるなんてシチュエーションに陥るとは夢にも思うまい。

はい、とれた。
上着脱ぎたいんだっけか。左の襟に手を伸ばして、肩からするりと上着をおろしてやる。目を閉じたまま、光忠が左腕、右腕と交互に抜き取り無事に上着を脱ぎ終わった。

「あー。心当たりなあ、まあいくつかあるが…。ああ!主の部屋の掛け軸に小さくウォーリーを書き込んだあれか!?」
「なんっ」むぐ。
なにやってんだ鶴丸。
掛け軸にウォーリーだと!?なんてことをするんだ、気になって見つけるまで寝られない…。

なまえは油断していた。
光忠に後頭部をひっつかまれて胸元に押し付けられる。鼻が痛い、苦しい。
ベストの襟元、ぱりりとしたシャツ越しに、光忠の体温が伝わる。

隆々とした肉付きの良い体。裸の自分より着衣の光忠のが色気あるんじゃなかろうか。
しかしその男らしい体格とは裏腹に、彼の腕の中は安心するような柔軟剤の匂いがした。

「おっと、…いま声がしなかったか?」

びくりと体を震わせるなまえの肩にふわりとなにかがかかる。
左肩に引っ掛けて、そのままくるりと包むように右肩へ。光忠の上着だ。
襟まできちんと整えられて、すっぽりと全身が覆われる。
なまえはそこで初めて、上着を脱がさせられた意味を知る。ただの羞恥プレイじゃなかったのだと。

「鶴さん、そんなことしてたの。」
「なんだ、まだ見つけてなかったのか!なら光坊も今度探すといい。うまく紛れているからなぁ。なかなかの自信作だぜ!」

光忠はなまえの肩にそっと触れて、その身を離す。
「主、いいかい?露天風呂から中庭へ逃げて。あとは僕がなんとかしておくよ。」
「わかった…!ありがとう。」
頷いたところで、一歩詰め寄られる。トンと背中に扉が触れて、黒手袋が頬に伸ばされた。
なにが始まったのかと混乱しているなまえをよそに、どこか楽しげな光忠が顔を寄せてきた。
髪が耳へとかけられて、ふわり、息が首筋をなぞりあげる。

「主、家族のように思ってくれるのは嬉しいけど、君は女の子だってこと、忘れちゃだめだよ?」

…もちろん、僕たちが男だってこともね。



さて、部屋に戻ったなまえは寝床を整えていた歌仙に雅じゃないと叱られる。

ん待たせたねぇ!と脱衣場を飛び出した光忠は鶴丸に「ははは!ずいぶんお楽しみだったなあ。」といじられる。当然ばれている。

この出来事以降、風呂場にはしっかりと鍵が取り付けられた。

残された課題は、日に日に大きく尾ひれをつけるこの噂をどう扱うか、だ。



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