大海を征け


演練を行うであろう建物へと到着する。
美しい平家造りの和風建築。浅葱色の瓦屋根と、建物へ続く木製の囲いは美しくモダンな雰囲気で、近現代風の博物館といった佇まいだ。

音もなく開いた自動ドアをくぐって室内へ入る。そこにはたくさんの人がーーーという名前の期待に反して、誰もいなかった。

例えるならば、大きなホテルのロビーのような空間。入り口向かって正面は、先の平野が見渡せるように一面ガラス張りの窓となっていて、明るい光が燦々と差し込んでいる。
だだっ広い空間には、いくつもソファーが並び、多くの人を迎え入れて然るべき場所…という感じを受けた。

その空間に一人と一振り。投げ出されたような 心地になって、名前と鶴丸は顔を見合わせてポカンとしてしまった。
こんのすけよ、見ればわかるって言ってたけど、演練場ってここであってるのか?と彼がここにいないことが悔やまれる。

「…まあ、とりあえず座るか?」

ううむ、と名前と同じように首を傾げていた鶴丸国永だったが、気を取り直して彼女の手を引いた。

無垢材の床によく合う、深みがかったグリーンのソファは和洋折衷の趣きがあり、この空間を作った人のこだわりが感じられる。
二人掛けのソファへと、鶴丸は名前を座らせた。

鶴丸にエスコートされるがまま、大きなソファにちょこんと腰掛けた名前だったが、どうにも落ち着かない。部隊のみんなの姿も見えないし、待ち合わせ場所を間違えてしまったような心細さがつのる。

「鶴丸も座る?」

隣に立って辺りを見渡している鶴丸に、名前は自分の隣をぽんぽんと叩きながら声を掛けた。

「いや、俺はいま、きみのつむじを眺めてたい気分なんだ。」
「え、なにその気分。」

打てば響くようなツッコミが返ってくる。ふふ、と笑っている名前のつむじを、実際見ながら、鶴丸もゆっくりと頬を緩めた。

ありがとう、そう言われて嬉しかった。
だが、素直に喜んでいいものかと自問する自分もいたのだ。こちら側へ連れてきた、俺が守らねば、彼女を傷つけないために責任を果たさねばと考えてきた。しかし、彼女は無邪気で危なっかしいばかりの女の子ではないらしい。

名前のもつ楽観は、ただ無垢にゆるいばかりではない強さがある。ばーん、と開かれた門の中にはきっちりと筋の通った覚悟のようなものが見えた。
何が来ても大丈夫、とそんな風に笑っていられるのは、幸せも悲しみも受け入れて、向き合うだけの強い覚悟があるからだ。
己が身に降りかかるできごとを、楽しむつもりでいる。まるで、波を待つ、船乗りみたいに。

鶴丸国永は、ここに来て名前の認識を改めた。男前、なんてはぐらかしたけれど、彼女はただ一方的に守ってやるだけの対象にはなってくれそうにない。

自分の主が名前であるということ、それが非常に頼もしく思えた。きみなら大丈夫、彼女には、そう思わせてくれるだけの力がある。こうして隣に居られることが、刀として誇らしく、嬉しかった。

「主。」
「んー?なに?」

確かめるように呼んだら、間延びした返事が返ってくる。そんな当たり前が、いまはここにある。その喜びを静かに噛み締めて、鶴丸は彼女の朗らかな楽観にしばしその身を委ねることにした。

「…どしたん?退屈?」
「いや、きみのつむじは存外おもしろい。」
「……鶴丸。」
「なんだ。」
「変やで。」

名前は、好奇心旺盛な鶴丸のことだから、興味の赴くまま勝手にどっか行きそうやなーと思っていたのだが、予想に反してずっとそばに付いていてくれる。しかも興味の対象がここに来て自分のつむじである。いったいどういう心理状態なのか。美しい神様につむじを観察されるという経験を未だしたことないので、反応に困るし、つむじがむじむじする。

鶴丸は笑っている。変なのはきみ譲りかもなあ、なんて不名誉なことを言うから、名前はつむじをおもしろいと思ったことはないと弁明した。弁明しながら、いつになく砕けた雰囲気の鶴丸に、なにかが吹っ切れたんだろうということを察して、内心ほっとしていた。願わくば、ずっとそうして他愛ない事で笑っててほしい。

そうこうしていると突然、りりりりりり、と鈴が震えるような音が聞こえた。

びくっと体を揺した名前を庇うように立ちはだかり、鶴丸国永は鯉口に手をかけ音の出所を探る。

りりり、という鈴の音が収束し、繋がって、りーーーという耳鳴りにも似た音に変わる頃。

なんでもない、ほんとになんでもない空間がぐにゃっと蜃気楼のように歪んで、すとんと二つの影が降り立った。

「ふう、無事到着しましたね、石切丸さん。」
「そうだね。体の具合は平気かい?」

おだやかに笑って相手を気遣う父性カンスト系御神刀の石切丸と、その隣には白い羽織りに身を包んだショートカットのボーイッシュな女の子。

演練相手の審神者さんだろうか。ふわりと靡いた羽織りの中、気取らない雰囲気の白いシャツと細身のスキニーパンツがとてもよく似合っていて、彼女が審神者でないとしたらあるいは清潔感の付喪神かもしれない、と名前は思った。

「こいつは驚いた。」

所謂テレポーテーション現場を目撃して、警戒を解いた鶴丸はほわ、と驚きに喜んでいた。つむじへの興味から解放されたようで何よりである。
そのひとときの間に、立ち上がり、相手方へと駆け寄る名前。

「わー!よかったー!!あなたが演練相手の審神者さんですか!?はじめまして審神者名といいます、よろしくお願いします!」

よかったよかった、会場間違ってなかった!はじめまして会えて嬉しいです鶴丸はなぜかつむじにご執心だしこのまま一生演練始まらなかったらどうしようかと思いました!という思いを全身に乗せて握手を迫っている。

名前、距離の詰め方が尋常じゃない。
雅を前にした歌仙兼定を彷彿とさせる歩幅だった。人好きと心細さが相まって、ぶんぶん振られたしっぽが見える。

相手方の審神者は、名前の踏み込みにしばし目をまあるくして戸惑っていたものの、やがて優しく微笑む。その背中に、石切丸が促すようにそっと触れて、握手が交わされる。

「はじめまして、伯耆国所属の沙和と申します。こちらこそ、よろしくお願いします。」

鶴丸国永もまたコミュ力お化けと化した自らの主に驚きつつ、名前の隣に立った。
刀剣たちの間でも握手が交わされる。

「私は石切丸。この子の本丸で近侍を任されている身だ。どうぞよろしく。」

「鶴丸国永だ。いやいや、派手な登場には驚かせてもらったぜ!よろしく頼む。」

「ははは、演練の受付会場に行ったら、新しい転送装置が導入されたということでね。私たちもこの身の浮遊感に驚き半分、といったところだよ。」

「……そうか。人の身を得て跳ねることはあれど、浮くなんてのはずいぶん珍妙な心地だったろうな。」

会話の内容から察するに、演練にはまず受付という手順があるらしい。

しかし、そこは名前にとって未来の施設。今しがた目の当たりにしたテレポーテーションなる技術や3Dの空間投影器などが、彼女の目に触れるのはあまりよろしくないと政府が判断した。

それゆえ政府によって受付は省かれて、直接この場所に移動させられたようだ。十中八九、名前が過去から現し身を得ているための情報規制の一環だろう。
御神木くぐっての瞬間移動はセーフなのかと問いたくなるところだが、この特殊な待遇に関してはあまり触れないほうが良さそうだ。そう、名前と鶴丸は察する。

名前は、沙和と名乗った彼女の目を見る。黒鳶色の瞳は清らかで優しく、なるほど、近侍に据えられた御神刀である石切丸とよく似た安心感がある。謙虚で物腰の柔らかそうな佇まいに、一目で信頼に足る人物だと感じた。それは、彼女に流れる霊力を名前が意図せず感知した結果でもあった。

審神者に流れる霊力の質は、その人物の感情や行いによって変わる。たとえ人知れず何かをした時も、自分だけは自分のことを知っている。
生まれ持った量の差はあれど、その質に関してはとても正直である。誰も自分には嘘が付けないということだ。

もちろん名前は神的なことはよくわからん質である。したがってシンプルなド直感でもって、彼女を信頼することにした。
この人ならきっと頼っても大丈夫そうだ。頼ったとしても、深く詮索せずに、居てくれるだろうと。

「すみません。たいっへん申し訳ないんですが、実は演練するのはこれが初めてでして…。ご迷惑をお掛けするかもしれませんが、いろいろと教えていただけたら、とてもありがたいです。」

「…え、あ!そ、そうなんですか…?」

演練では似通った戦績の本丸どうしが組み合わされる。沙和は、同期より少々遅れて審神者になったため、その遅れを取り戻すべく人一倍の努力を積んできた身だ。
その努力の成果もあって、彼女の審神者レベルは中堅以上のもの。

演練の受付方法からマッチングまでの手順はだいたい本丸に配属されて、すぐにこんのすけによる実地指導があるはずである。
にも関わらず、この中堅レベルに至ってはじめてとは。そんなこと、あるのだろうか?

名前に答えつつも、沙和は、はて、と疑問を抱いた。しかしこの審神者名という子には後ろ暗さや悪い感じもしない。それどころか神職に従事する者特有のお堅さや鋭さもない。ごくごく普通の女の子に見えた。そもそも演練が初めてという、嘘をつくメリットもないのである。

うーん?と考えつつ、隣の石切丸さんを見上げる。困ったときの石切丸さんだ。沙和は彼を、とても信頼している。

「おやおや、そんなこともあるんだね。」

沙和の視線に気付いた石切丸はいつものおおらかな笑みで、会話に加わった。
その表情を見て安心する。御神刀である彼に嘘は通用しない。

ちょっと不思議だけど、おそらくなにか事情があってのことだろう。と、慮って言葉を続ける。

「私でよければ、何でも聞いてくださいね。」

「……すみません。ありがとうございます!ほんとにいい人でよかった!」

「いえ、そんなことは…!えと、ひとまずお茶でも飲みますか?」

沙和が指し示した先には、喫茶スペースがある。木の棚へとずらり並んだ多種多様の茶葉とポット。そして名前にとってはどこをどうみてもドリンクバーにしかみえないドリンクバーの機械。すごく…サイゼリア…と名前が思っていると、なんだかレトロですね、と沙和が笑う。

レトロ…そうかレトロなのか…もしや私ってめちゃくちゃおばあちゃんってことになるのかな…。と思考が逸れかけた名前だったが、はっ!と気を取り直して言う。

「あれ自由に使っていいんですか!?なら私が淹れてきますので沙和さんたちは座っててください!」
「えええ、いえいえ私が淹れますよ…!」
「いやいやいや私にやらせてください!」

言うや否や歩き出した名前の後を、沙和がすぐさま追いかける。お茶汲みスペースにざかざか進んでいく二人。競歩かな?

同時に急須へ手を伸ばし、顔を見合わせたところで、ふっとどちらともなく破顔して吹き出した。互いに変なところで折れなくて、それが可笑しかったのだ。

ひとしきり笑って、では一緒に淹れましょうか、とまだくすくす笑いを引きずりながらも、あれこれ茶葉を選んでいる。

二人の人の子の、楽しそうな後ろ姿を横目に、鶴丸と石切丸もまた言葉を交わす。

「打ち解けたようで何よりだ。すまんな、うちの主が世話になる。」
「仲良きことは美しきかな、だね。私の主もあれで少々人見知りなものだから、誤解されることもあるんだ。緊張がほぐれたようでよかったよ。」

「ほう、君は主のことをたいそう好きなんだなあ。」
「おや、それは鶴丸さんも同じじゃないのかい。」
「はは、違いない。が、好きというのは案外難しいもんだ。」

笑って話す鶴丸国永を、石切丸は優しく見やる。この眼には、ひょっとすると何もかもが見えているのかもしれない。

「…そうだね、難しい。だけど私はこの気持ちを、とても良きものだと思うよ。主にはこの気持ちをとおして、心というものの様々な側面を、教えてもらった気がするんだ。」

この石切丸は顕現されたときから、沙和という主とともに過ごしてきたのだろう。それだけ、鶴丸よりも長く主と…人の心と向き合ってきたということだ。

鶴丸は俄かに目を見開き、それからすとんと府に落ちたように笑った。

名前がこちらに来てからというもの、休まることを知らないこの心。自分のものだというのに、驚いてばかりいる。

「振り回されてばかりだが、他ならぬ君が良きものだと言うのなら、きっとそうなんだろうな。」

この気持ちが、名前にとって良きものであるといい。仮初の時だとしても、笑って過ごせたならいい。願いにも似た想いを抱きながら、鶴丸は名前のもとへ歩み寄る。

二人の審神者は、茶葉ありすぎですよね、鶯丸の聖地、なんてずいぶん気楽に言葉を交わしている。

「きみたち、茶葉でお悩みなら鶴丸ブレンドはどうだ?」
「…私は、遠慮させていただきます…。」
「あはは、それって美味しいん?」
「んー?そうだなぁ、美味さは保証できないが、驚きは保証しよう。」
「こらこら、食べ物で…飲み物でも、遊んではいけないよ。」

演練部隊の到着までもうしばらく。
ほろろと砕けた時が流れる。

神々と共にある人の子らは、その重さを背負ってなお、無邪気に笑っている。
ただそこにあるだけで、前を向かせる力を持った、好き、をたずさえて。


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