ひとり一振り

内番と遠征の指示を歌仙に任せて、名前はこんのすけとともに鍛刀部屋に向かっていた。

鍛錬場からのかけ声や、めいめいに寛ぐ話し声などで、本丸内は歩いているだけで賑やかだ。耳を傾けて、名前は思わず微笑んでしまう。

「主さま、嬉しそうですね。」
こんのすけの言葉に名前は頷く。
「うん。改めていいところやなーと思って、ここ。」

襲撃があったときの殺伐とした雰囲気がまるで嘘のようである。戦いと隣り合って生きていることさえ、忘れてしまいそうなほど平和だ。

こんのすけもまた、名前の穏やかな横顔を見上げて、表情を柔らかくした。

「ええ。わたくしもそう思います。帰ってきたいと思えるような本丸こそが、彼らの強さの糧となるのでしょう。」

庭を彩る花々、よくよく澄んだ空気は雪解け水のように清らかで、その景色はあるか知らぬがさながら桃源郷のよう。

終わりの見えない戦の最中に身を置いていても、ここはたとえ一瞬でもよい、それを忘れることができるように設けられた場所なのだろう。
重く息苦しい戦いを終えて、長い潜水から還るように、ほうと息をつける時間が流れる。
胸が、幸せに沈黙するような。

こんのすけがなんの気なしに言ってのけた、帰ってきたいと思える本丸。
名前は言葉を受けて、思い馳せた。帰ってきたいと思うのって、生きてたいと思うことだ。そしてそれは、いったいどんな時だろう、と。

たとえば美味しいごはんを食べた時とか、五臓六腑に染み渡る温かいお味噌汁。あったかい湯船に浮かんで、長く息を吐きながら四肢を伸ばすときだとか。

そうだなあ、と思案しながら、少なくとも名前は、大義だけじゃあ生きてられないなぁと思う。歴史修正主義者を討ち、過去を守るために戦うために生きるなんて、できっこない。

夢や理想は、進む方角を教えてくれはするけれど、日々の歩みを続けさせるものは、傷を癒して立ち上がらせるものは、そんな大そうなものじゃなくて、もっと身近に息づいている血の通ったもの。

予約したゲームを待ちながら、しおりを挟んだ本の続きが読みたくて、月曜のジャンプが楽しみで、そんな理由で生きてたい、生きてたっていい。
だれかは眉を顰めるかもしれない、口汚く罵る人がいるかもしれない、生きるって綺麗なことだけじゃあない。

美味しいごはんが食べたくて、大好きな誰かに会いたくて、意地も欲も必要だ。ときにそれは生きたいと明日を願う上で、夢や理想よりずっと頼もしかったりする。

「帰ってきたいと思える場所かぁ。」
こんのすけに答えながら名前は、審神者として目指すものが少しわかった気がした。ここへ帰りたい、そう思える場所であるために努めようと思ったのだった。

庭に面した渡り廊下に差し掛かると、遊ぶ短刀たちの声が聞こえる。
視線を向けると今剣と小夜左文字がこちらに気付いた。ぽかぽかの陽だまりが落ちる中で、名前には、可愛さの塊が息をしているように見える。

「あーるじさまー!ぼくらとあそびませんかー?」
大きく手を振る今剣と、小さく会釈してくれる小夜左文字。なんだろうあそこ天国かな?遊びたい、大いに遊びたいんだけれども。
「ごめんー!いま職業訓練中やねんー!」
声をかけてくれる今剣に、これから鍛刀に行くところなんだと答えると、小夜と二人してぱたぱたと駆け寄ってくる。

「ではぼくらもおともします!ねぇいいでしょう?」
「…駄目、ですか…?」
「だめじゃない!全然まったくだめじゃないよお供ありがとう!」

名前、ノンブレス。相変わらず可愛いに激よわである。
心細さが少し埋まるようだった。こちらに来て二日が経ち、男士たちとの距離感やコミュニケーションには多少慣れたものの、鍛刀や刀装などの現実離れした物体錬成は思考停止で受け止めている状態だ。霊力なんていうのも、こんのすけが可視化してくれたもののそれの扱いに関してはふわっとしたイメージ理解に留まっている。
そんな自分に物の心を励起する、顕現なんてできるだろうかと、とても不安だったのだ。傍についていてくれるだけで、心安らぐというものである。

鍛刀部屋には、長谷部が待機していた。歌仙から近侍の任を引き継いだとのことである。さすが、やる気がまんまんの二人はすでに話し合ったらしく、内番や料理当番、掃除当番などの人員配置は歌仙が、資材の管理に関わる鍛刀や刀装に関しては長谷部が補佐をしてくれるという。

「おはようございます。主、こちらをお納めください。」
「おはよう、これなに?」
「先三ヶ月分の資材管理の計画書です!」
「えっ、すご…。」

どどどどやあ、と得意気な長谷部。その晴れやかな表情の背景には旭日旗が揺れて見えるようである。
ぴしっと揃えられた両手で手渡されたのはA4サイズのコピー用紙。五枚ほどがホッチキスで綴じられており、表紙には『資材管理計画』と書かれている。ぺらりと表紙をめくると玉鋼、冷却水とそれぞれにタイトリングされたページ。日課の鍛刀や手入れでの減少するであろう資材量が記載されていて、さらにはグラフ化までされている。

資料をぱらぱらと確認している名前に、刀装や手入れでの減少量はあくまで目安ですが…と長谷部が口添えする。へし切長谷部の部下力、まさかここまでとは。名前はほえーと関心するばかりである。

「ありがとう、さすが長谷部…てかこれ、パソコンで作ったん?」
「主のお役に立てて何よりです!はい、歌仙が持っていたものを借りて作成いたしました。小判管理のほうは博多が作成中です。」

歌仙パソコンもってるのか…iPad採用にも抵抗なかったし、刀剣男士の文化適応能力は名前が思うよりずっと高いみたいだ。
というか執務にパソコン使えるなら、正式に本丸へと導入したいところである。名前はあとでこんのすけへ打診してみる心算だ。

「小判管理もしてくれてるんや!あとで博多にもお礼しよう。長谷部も、すごい見やすい資料、ありがとう。」
「いえ。俺はただ、最良の結果を主へと。近侍として、当然のことをしたまでですよ。」

この長谷部の台詞、"近侍として"のところにめちゃくちゃ力入ってるし、言いながら、本人めっちゃ嬉しそうなのである。
頬を上気させ、得意げな長谷部からぱぱあ、と溢れる桜に、今剣と小夜左文字がうざ眩しそうに目を瞬かせている。なんと正直なリアクション。

鍛刀部屋に入ると、昨日鍛刀した刀がすでに出来上がっていた。二時間半の鍛刀時間が示していたとおり、刀掛の上には打刀へし切長谷部が置かれている。

「これって、長谷部やんな?顕現したらどうなるん?」

名前はこれまで、枠の関係上一振り教に入信していた。でも長谷部118振り集めた超人へし沼民も見たことがある。スクショは畳みたいだった。そのあたり、リアルな本丸ではどうなるのかが疑問であった。

彼女の問いかけに答えたのは長谷部だ。
「そのへし切長谷部を顕現されますと、俺がそちらの依り代へ移ることになります。」
「長谷部が?長谷部のままで?」
「はい、他の俺ではなく、この俺です。」

なんかあほっぽい質疑応答だが、つまりへし切長谷部一号をすでに顕現した状態で別の長谷部二号を顕現しようとすると、二号の器に一号が入った長谷部が出来上がるらしい。

つまりは、練度1の状態の体に、既存の長谷部が記憶などを引き継いだ状態で乗り移るということだ。
その時点で一号の体は一号の刀本体へと戻るため、動いて活動できる長谷部は常に一振りということになる。

「なるほど、じゃあ長谷部が二人ー!?みたいな状態にはならんってことやんな?」
名前の質問を受けたこんのすけが頷く。
「はい。ふつうにやれば、長谷部殿が増えることはありません。まあ特殊な術で、同時に同種の付喪神さまを降ろすこともできなくはないですが…。」
そして何故だかバツが悪そうに目を逸らした。

「はせべさんがふたりってすごく…。」
「面倒くさそ…いえ…なんでもないです。」

面倒くさそうって言っちゃってる!今剣と小夜左文字、小さな子の素直さは、時にめちゃくちゃ鋭利である。げんなりした顔がとても正直だ。お小夜に見受けられる宗三左文字の影響たるや。

「あ、ははは確かにおんなじ人が二人もおったらどっちがどっちか分からんくってややこしそうやもんな!」

ひえっ、めっちゃナチュラルに長谷部ディスられてる!しかも長谷部二人はめんどくさそうってそれは激しく同意の核心ついちゃってる!と危機を察知した名前がすかさずフォローに走る。人間関係の危機管理能力が発揮された瞬間だった。

名前の心中を知ってか知らずか、長谷部もまた頷いた。
「ええ。俺は一人で充分ですよ。」
大倶利伽羅みたいな台詞になっているが、長谷部もまた、もうひとりの自分を相手にするのは面倒だと思っている。よかった、やっぱり本人でさえもそう思ってたんだね。

「顕現、やってみますか?」
「へ、いま!?」
「ええ、大丈夫ですよ、俺ですし。」
「元の体に戻れるの?」
「はい、二度顕現していただくことになりますが…。」

長谷部としては、得体の知れない新刀剣を顕現するよりは、自分をまた別の依り代に降ろされる方が安心だった。
肉体を得てすぐ主に斬りかかるような刀はこれまで居なかったが、刀身を扱うのだ。慣れない主が怪我をしてしまうのだけは、絶対に避けたい。
鶴丸はじめこの本丸の刀剣たちは、名前に対していささか過保護である。かの襲撃後、彼女をひとりにしないよう刀剣たちの間で情報共有がなされた。ただし、ごくごく自然に、名前にストレスを与えないように、との伝達だ。

顕現、顕現かあ、と名前は少々尻込みしたものの、もし出来なかったとしても、それを早めに知ってたほうがいいし、後回しにしてもいいことないよなあ、とやや逡巡しつつも頷いた。

「…うーん、うん。そっか、分かった。じゃあやってみる。」
「あるじさま、がんばってくださいね!」
「大丈夫、あなたなら平気だよ。」

おずおずと決意した名前の両わきにくっついてくれる二振り。名前はその可愛さに霊力の高まりを感じた!なんだかいけそうな気がする!…と、まぁそれは彼女の気のせいなのだが。先ほどまでの弱気はなりを潜め、その瞳にはやる気がふつふつと満ちていく。

名前の表情の変化を見上げて、こんのすけがひとつ頷き、声をあげた。

「かしこまりました!では主さま、わたくしの指示に従ってください。」

鍛刀の案内を進めるこんのすけも、実は内心どっきどきしていた。有人本丸への配属にずっと憧れていたのだ。この!チュートリアルを!したかった!昔々政府本部の研修で見たその瞬間を、自分がエスコートする。長年の夢が今、叶おうとしている。

「まずはこちらへ、そして刀をお持ちください。」
「うん、わかった。」

名前は言われたとおりにこんのすけのそばに寄り、刀掛けから刀身をそっと持ち上げた。へし切長谷部。金霰鮫青漆打刀拵の、でこぼことした鞘の手触り、柄巻の手に馴染むようなしなやかな感触。持ち上げた刀はずっしりとした重みがあり、たしかな存在感を宿している。素人目にも、ただならぬものであるという感じがした。

「そのまま、あちらへおかけください。」
こんのすけに導かれながら、例の仰々しい玉座へと名前が座る。大切そうに抱えられたへし切長谷部の刀身。長谷部はそれをみて、なぜだか胸が詰まった。初めて顕現されたときの、動かぬ主の御身。それに戸惑い、憂いたことを思い出した。主に怪我をさせまいと申し出たことだったが、あの手に握られて顕現されるというのは、とても誉れなことに思えた。

「では、刀を抜きながら、へし切長谷部をお呼びください。」

呼ぶ?呼ぶっていうのはこういうことで合ってる?と思いながら名前は両手に力を込める。かちゃりと鞘から刀を引き抜きながら、声をかけた。

「へし切長谷部、おいで。」

吸い込んだ空気が、名前の喉を通って音になり、意味を持ち、彼の刀の名前になった。物語が魂を囲う身体を得る。
鞘をすべり、刃が覗くその隙間からぶわり、湧き上がる桜の花弁。それは人魚の鱗のように眩しく光り輝き、名前は目を閉じた。部屋中に氾濫するまばゆさを追うようにして、清廉な花の匂いが部屋を充して強く香る。
こんのすけと二振りの短刀は思わず息を飲んだ。

目も開けていられないほど凄まじい花嵐の最中で、刀を握った名前の両手に、誰かの手がそっと添えられる。
奪われた視界でその手は頼もしく、名前から重みを預かり受けるようにして、己が刀身をしっかりと支えている。
すうと抜かれ、まっすぐにぶれないまま、やがて鋒が姿を現すころ、渦巻く空気に舞い上がった花弁が、ようやく重力に従い落ちはじめる。

名前がそっと目蓋を開くと、そこには長谷部がいた。ちょうど名前がこちらに来た時と同じような、それはそれは真摯な眼差しで。
「…はせべ…?」
顕現、できたのだろうか?
名前がおずおずと溢した声に、長谷部が柔らかに微笑む。そして支えた手で、きん、と抜かれた刀を鞘に戻すと、名前からそっと受け取った。

「へし切長谷部と申します。主命とあらば、なんでもこなしますよ。」
「えっ…長谷部…??」
「…冗談ですよ。俺は貴方の長谷部です。お見事です、主。」

長谷部って冗談言うんや…。にしてもあまり笑えない冗談である。慣れないことはするもんじゃない。名前は一瞬ひやっとしたものの、どうやら顕現は成功したらしい。

「やりましたね!あるじさま!」
「…すごかったよ…おめでとう…。」
「ようございました!主さま、お体に不調などもございませんか?」

旧へし切長谷部の本体を抱えた今剣に続き、小夜とこんのすけも嬉しそうに声をかける。

「ありがとうー!はあ、ちゃんとできてよかった…。とくに不調もないよ。長谷部も大丈夫?」
「はい。俺も平気です。ですが…やはり使い慣れた体とは少し違うようですね。」

長谷部は自らの体の具合を鑑みる。同じ形をしていても、新しい靴を履いたときのように少しの違和感を覚えた。おそらくこれが練度の差なのだろう。

この後、長谷部は元の体へと無事顕現し直される。二つの体を持つという不思議現象に興味津々の名前に、何がどう違うん?筋肉?とぺたぺた体を触りまわされ、真っ赤になって硬直しつつ天井を見上げて何かに感謝する長谷部は、短刀たちによってしばらくモノマネのネタにされるのであった。

試しに使った長谷部二号は刀解するのも忍びないとの意向から、名前の部屋の床の間に飾られる。私室に鎮座する国宝を、なんか武家屋敷っぽいなあ、と名前は呑気に眺めるのだった。

ともあれ、こうして名前の職業訓練〜はじめてのけんげん〜は無事幕を閉じた。

ちょうどその頃、名前の耳元に一期一振から帰還の連絡が入る。


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