懐かしい春の歌


「えっ。これ使うん?」
「ええ。これで出陣の管理をしていただきます。」

健康的な7時の起床は大変快いものだった。自分を囲うように眠る短刀たちのかわいさときたら、朝っぱらからきゅんとときめいた。

暁の頃に早起きの太刀が起き出すまで、交代で夜警をしていてくれたらしい。今日も今日とて艶々の白米をよそいながら光忠が教えてくれた。

だからだろうか。ぐっすりと眠れたのは。

暖かい毛布に、幾重にもくるまれたような安らぎが名前の眠りを覆い隠していた。

そして現在、名前は出陣についての説明を受けている。
しかし冒頭から、彼女はすでに不満そうだ。たしなめるクダギツネ。

その原因は現在名前の手のひらの上にある端末である。

「どうみてもiPadやん。」

言っちゃった。こんのすけがビクウ!と周囲を見渡し声を潜める。

「しーっ!言っちゃいけません!」

いつどこで林檎の検閲が入るかもわからないのだ。クダギツネの気配り力は大したものである。

「だってもっとこう、なんか審神者的な水鏡とか霊力ぽいやつ使うと思ってた。」
「…主、気持ちは分からなくもないが仕方ないだろう。」
「雅に欠けへん?」
「………。」

腑に落ちない名前を見かねた歌仙がなだめるように言うが、雅かどうかと問われると、確かに雅じゃない気がして黙ってしまう。

しかし実のところ歌仙兼定、この端末に興味津々だ。何を隠そう彼はノートパソコンでデータハッキングをやってのけた過去がある。家電や電子機器の凄まじい進化に、同じ道具として一目置いている。ちなみに今目を付けている家電は加熱式水蒸気オーブンレンジだ。あれの業務用が欲しい。

これら電子機器の進化の過渡期こそ、名前の生きていた時代である。

歌仙兼定は改めて、名前の手のひらの上の端末を見やる。こんな薄っぺらい板の中に、いろんなものが入っているのが純粋に不思議で感動を覚える。

デザインというのは機能性を兼ねてこそだ。和泉守ではないが、見た目だけじゃ話にならねえのである。
軽くて薄く、手に馴染むフォルム。アイコンで整理され、説明書の要らない簡潔な操作性…。

これは…雅…なのでは?

歌仙の長い睫毛が、納得するようにぱちぱちと瞬いた。ふむ、と頷くと、頭のてっぺんの雅アンテナもぴょこりと同意する。

ともすれば主を説得するのが近侍の役目である。これは正当な目利きだ。断じて端末を使ってみたいだけじゃない。断じて。

「弘法大師も筆を選ぶことはしなかったんだ。君だって平気さ。」

「弘法筆を選ばず、ってやつ?」

「…なにより、この道具を介したとしても、君が実際に使うのは僕たちだろう?」

「っ!か、歌仙…!」

名前の瞳がぶわっと煌めく。うちの近侍が今日も雅で尊いという主馬鹿を遺憾なく発揮し、感動した。名前は心の中で何度も頷く。確かに歌仙の言う通りだ。なにを媒体にしようが、そこはさしたる問題ではない。大切なのは、実際に戦う彼らに的確な情報を与えられること。おおよその操作に想像がつく端末のほうが、きっとやりやすい。

「たしかに。んじゃこれで。」

あっさり答えた名前。
…己が主張が通ったとはいえ、歌仙兼定は主のちょろさが心配になった。口車に乗せられて偽物を掴まされたりしないだろうか。

「い、いいのかい…?」
「うん。歌仙が言うなら間違いない。」
「……!」

そうか。歌仙は思い至る。
目利きにおいて、物を見ることはもちろんだが、それよりももっと確かなのは人を見ることだ。その店が信頼に値するか知りたいのならば、その物の売り手と親しくなるのが手っ取り早い。物言わぬ商品よりも、時に雄弁な人の方が、ことの真偽を判別しやすいのである。

『歌仙が言うなら。』
きっぱりと。当然のように言った名前に、歌仙兼定は嬉しくなった。きゅうと唇を噛み締めて、主からの信頼を実感する。頬がうっすらピンク色に染まっている。

…これは、期待に応えなければならない。歌仙は決意を胸に拳を握った。
以後、このなにもかもやり込みがちな文系近侍によって、この端末には様々な機能が追加される。思いもよらない思考のピタゴラスイッチが成したフラグである。雅って深い。

「……いや、…あの、ハイ。」

なんと言われましても、この端末を使っていただく他無いのですが…。こんのすけは喉まで出かけた言葉を飲み込む。主さまと近侍殿が今日も仲睦まじい。

政府から、この本丸の文化レベルを名前が元居た時代に合わせるようにきつく言い渡されている。が、そもそも本丸の暮らしは、名前が居た時代とそう変わらない。
大きな違いと言えば、時間遡行装置ぐらいだ。あとは家具家電をすこーし進化させれば良いくらいだ。
というのも、刀剣男士が適応できるレベルで、ちょうど良く便利なのが名前の居た時代だからである。これは政府直轄部隊で実地試験済みだ。

むしろ名前の時代の文化レベルに合わせた結果、オーブンレンジやお風呂の追い炊き機能が追加されて、一部の男士たちは桜の花びらを舞わせた。ただ、ウォシュレットなるものには警戒心剥き出しである。便器から水が飛び出すなんて、主の住んでる時代が心配になった。

そのうちスマホが一人一台支給される未来も見える。広告ビジネスにこれ一台で乗り込む博多のまあるい後頭部も見える。

「というわけでこんのすけ、説明よろしくお願いします。」

切り替えた名前がぺこりと頭を下げる。
彼女のやや後ろに控える歌仙の誇らしげな顔。

こんのすけは、この本丸最初のチュートリアルを思い出した。いまやたいそう賑やかなこの本丸も、このお二人から始まったのだ、と。

その時は、審神者と初期刀がこうして並んで立つ姿を見られるなんて、夢にも思っていなかった。

マニュアル通りの初出陣のあと、歌仙にしこたまシメられたのだって、今や尊い思い出である。ほんのりと熱くなった目頭を数度瞬きでごまかして、しゃんと座った。

「…かしこまりました。」



かくがくしかじかです。

相変わらずわかりやすいこんのすけの説明を、名前はすぐさま理解した。
…いや、理解したというよりも、ゲームとほぼ一緒やん。というのが彼女の正直な感想である。

大きく違うところといえば、出陣先の時間と場所をこちらで指定できるという点くらいだろうか。

「出陣先の情報は、どうやって調べたらいい?」
「その都度ラインで送ります。」
「うわあめっちゃフランク。」

いや友達との待ち合わせかよ。カジュアルなベンチャー企業み溢れる時の政府の管理体制に名前はちょっと不安になる。
そりゃあ昨日のぐだぐだな作戦も頷けるというものだ。

「だいたい一日どれくらい出陣したらいい?」

「そうですね。最低でも一日あたり二度の出陣を行えば、生活に困らない程度の充分な稼ぎを得られます。」

「……待って待って。審神者って歩合制なん?」

「ええ。そうです。…主さまにも分かりやすい例えを使うなら、ギルドでクエストを受注しますと、必要な詳細が送られて参ります。そして任務を達成すれば、それに見合った報酬が振り込まれるということです。」

「わかりやすい。ありがとう。」

なんと自由な勤務形態なんだ審神者。
なるほど確かに、それならば本丸によって実力がまちまちでも、任務の振り分けの手間が省ける。難易度の高いものは、その分得られる報酬も相応のものなのだろう。

しかし、自本丸の実力や資源量を見誤らないようにしなければならない。任務遂行に躍起になりすぎると、刀剣男士たちに無理をさせてしまう。

「任務によっては、他本丸の審神者さまと共闘していただけるものもあります。」

「それは政府が組ませるってこと?」

「いえ。審神者さまからの協力要請と申告が必要です。それゆえ演練場や審神者会議でのコミュニケーションも本丸にとって重要な財産となります。」

「へええ。了解!」
「…………。」

審神者かあ、審神者…。どんな人たちなんだろう。と名前は想像を巡らせた。彼女は初対面でも肩を張らないコミュニケーション楽観派である。やっぱりせっかく同じ場所で働くのだから、仲良くなりたいなあ、と素直に思った。

その傍らで、歌仙は沈黙した。
他本丸の審神者とコミュニケーションを取る!?それならば自分も主に恥をかかせないように、他本丸の近侍と相応の交流を持たなければならないのでは?人見知りなところはむしろ名前と真逆である。

……………。
どうしたものか、適切な話題が見つからない!他本丸の近侍が全員自分かお小夜ならあるいは…。と無理な方向に考え込んでいる。

と、ぽすぽすと腕をつつかれる。名前だ。めくるめく思案から浮上した歌仙が「ん…?」と目を合わせる。

こんなふうに考えに耽っていたとしても、名前を優先して彼女が話しやすいように微笑むのは、さすが初期刀と言ったところか。

「歌仙は居てくれるだけで大丈夫やで。」
「……っ。」

動揺を見透かされたように思えて、歌仙は息を詰めた。
だけど名前は、そんな彼の胸中の不安をひと息に消し飛ばしてしまうように笑うのだ。

「私、たぶんめっちゃしゃべるねん。だから歌仙はそんな感じで微笑んで、時々フォローして。」

歌仙が人見知りをすることも、そのうえで、この本丸の初期刀として皆と関わりあってきたことも、全部知っている。

名前はいたずらっぽくはにかみながら、今までありがとう、という思いを込めて言った。

「今は一緒におれるから、頼りにしてな?」

たくさん頑張ってくれたんだろう。彼女の声色には、そんな労いが込められていて、きゅうん、と今度は歌仙がときめいた。
下唇を噛む。眉尻が下がる。涙の膜が張る。

「…あるじ…っ!」
「っわ。」

そういって、歌仙は思わず名前を抱き込んだ。
歌仙兼定、彼は文系のはずだが、感情表現においては肉体言語の方が遥かに雄弁なのである。

ぎゅうう、と抱き締める。
歌仙の頭の中から、もはや語彙が吹っ飛んでいる。

今まで、無意識のうちに気を張っていたのだ。

やっと主と相見えることが出来る、あの日、歌仙はそう思って顕現した。
突きつけられた現実は、言葉を交わせぬ姿の主だったのだ。

だけど、それでも確かに感じられた彼女の存在が、自分を奮い立たせていた。
この本丸を取りまとめるのだという強い意志を持ち続けられたのは、遠い遠い隔たりの向こうに、名前が居たからだ。

歌仙は胸のうちで、きゅうと喜びを噛み締めた。桜吹雪の向こう、物言わぬ瞳のまた向こうに、想い続けた主が今、腕の中に居るのが信じられない思いだった。

突然の抱擁に、名前はたたらを踏みながらも応じる。歌仙の腕の中は香を焚き染めたような良い匂いがする。今日も雅で体育会系だな、とおおらかに受け止めて、背中に腕を回した。

「…………。」
「…………。」
「…………。」

抱擁が長い。
歌仙の胸囲広いな…とそろそろ名前は飽き始めているし、こんのすけは庭の蝶々を目で追っている。

「………………。」
「………………。」
「………………。」

だがしかし長い。
これが生中継なら放送事故かと誤解を受けそうな、大胆な間の取り方である。
じりじりと抱き込まれる感覚。名前のかかとがやんわりと浮き出して、徐々に呼吸が苦しくなってくる。
こんのすけは、もはや肉球で器用に端末をいじり始めている。いちゃつく両親と、冷めたJKの構図にも見えなくない。

「…………………。」
「……………か、歌仙?」

応答がない。が、名前はもう限界である。窒息しそうだ。

「歌仙…っ、息っ、くるしい!」
「……ああ、すまない。」

はあ、とため息を漏らしながら歌仙が抱擁を解いた。
ぜえはあと息を切らした名前。こんな過酷なハグ、聞いたことない。

かたや歌仙兼定はまだ名残惜しいと雄弁な視線を名前に向けていた。春の湖のように、あたためられた翡翠色の瞳がうらうらと揺らいでいる。

こんのすけがそんな二人を横目に宣言する。
「さあ!では早速出陣いたしましょう。主さま、手をつけやすそうな任務を見繕っておきましたゆえ、お選びください。その後、出陣部隊の編成を行いましょう。」

この小さな狐が刀だったら、雰囲気切という名を賜ったことであろう完璧な空気の転換っぷりだった。

名前と歌仙はどちらともなく視線を交わして、頷きあう。
新しい気持ちが胸に踊って、負ける気がしない。それを確かめ合うみたいな、互いの表情に笑みがこぼれた。

縁側の向こうを駆け抜ける春一番が、この本丸、二度目の始まりを歌いあげる。

眩しい春霞に燦然と舞う桜吹雪が、懐かしいあの日と重なって、それぞれに、目を細めた。



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