愛の力というやつだ

ちゃぷちゃぷという水音が柔く頭をふやかしていく。
岩造りの露天風呂は一人で入るにはだだっ広くて、なんだか申し訳ない気持ちになる。

湯の表面に反射した灯が、めらり、めらりと美しさを衒う。
波立つ光の鱗模様が、濡れたうなじで揺れている。名前はぐうっと伸びをした。てゃぷ、と黄金色の濁り湯はなめらかに彼女の肌を滑った。

「はー。」

ため息なのか深呼吸なのか、自分でも判断がつかなかった。平たい石の縁に頭を乗せて、空を見上げた。落ちてきそうな星々が、ぐるり空に散らばっている。よく晴れた春の夜。涼しい風が、頬を撫でていく。たったそれだけで、伸びやかな気持ちになった。

長い一日だった。
…でも。
覚悟が決まった。

まだ新しい記憶をたどりながら、名前は自分の気持ちを振り返る。
『俺が、きみを連れてきたんだ。』
あの瞬間はただ無我夢中で、見逃していたけれど、あのとき私はたしかに、嬉しかったんだ。

ならば、その気持ちに報いよう。
そう思った。

自分を取り囲んだ、みんなの表情が焼きついている。行かないでと願いながら、動けないでいる顔を、思い出すだけで切なくなる。
もうあんな表情はさせない。

ぱしゃりと顔にお湯をかける。
みんなと居るために、出来ることは全部やろう。そう決めてしまったら、楽になった。

あたたかく、なめらかな湯。思考を解くと、じゃぶじゃぶと岩の隙間から湯が流れている音が聞こえ出す。掛け流しの温泉。とても豪華だ。それに広い。うずうずと童心が疼いてしまって、背中の壁を蹴った。対岸のふちまで、ざぶん、とひと息に移動する。
掴んで触れた岩はひんやりと冷たく、火照った肌に気持ちがよくて、腕に頬を乗せるようにして伏せた。
なんという贅沢〜〜。と思っている顔だ。

手の甲に触れた頬が、もっちりすべすべしている。もしかしたら美肌効果もあるのかもしれない。なるほど、それで刀剣男士はみんなつやつやしてるのか。とぼんやり考えた。

「…いいお湯。」

「ああ。俺もそう思うぞー。」
「風呂は命の洗濯というくらいだからな!」

…ん????

独り言に返事が帰ってきて名前はぴしりと固まった。真顔になる。ス、と伏せた腕を解いて、姿勢を正した。

「背中を流してくれると聞いた。いや嬉しいな。」
「おいおい、そんなに畏まらなくていいんだぜ?さっきみたいに泳いだっていい。」

いや、ちょっと待って?
おかしいよな?うん?おかしいよな??
おそるおそる、顔だけで振り向いた。

…………居る。
ふたり……二人居る…!!

鶴丸国永と三日月宗近がいい笑顔で、こっちを見ている。
これが現実だとすると、さっきまで神々しい雰囲気を纏って酒を酌み交わしていたのは幻なのか?背景に絢爛と咲き誇る夜桜までしょってたのに?
いや、何を隠そうこの二振り、現在絶賛ほろ酔い中である。とことんシリアスに向いていない。さすが名前の刀。もちろんいい意味で。

は、はわああああ、と名前の思考が崩れる。開いた口が塞がらないとはこのことか、と体感してようやく知る。ほんとに閉じない、下顎。くちびるが、畏れなのか怒りなのか、わなわな震えて言葉が出ない。
なんで、と言うよりはやく、後ずさるように体が動いた。
ばしゃり、掻いた湯面がやぶれて跳ねて、映っていた星も散らばる。

「はっはっは、そう照れるな。近う寄ってもいいんだぞー。」

なんで、なんでさも当然のようにここに居るのか。私の常識間違ってる?いや、間違ってないはずだ。たしかに一人で入るのは申し訳ないなあと思ってたけど!えええ!あああああかんやつやん!

余裕でキャパオーバーである。

名前が散り散りになった言葉を繋げようとしていたら、すぐ近く、お湯の中に白い影が見え、た、瞬間。ざばあ!と鶴丸国永が視界いっぱい現れる。

「どうだ驚い「きゃああああああ!!!」……た、か…。」

鶴丸国永、酔っていても名前の悲鳴にしっかり傷ついた。「か」をいう頃には締め出された子どものような顔になった。…逆になんで悲鳴をあげないと思ったのか。
抜き身(ヒトフォルム)にタオル一枚は、いろんな意味で危険すぎる。



「ほんっとに信じらんないよね。」

ぶおおおというドライヤーの音。清光に髪を乾かしてもらいながら、名前は放心していた。労わるように髪を撫でていく指先が心地よくて、やっと気持ちが安らいだ。

お風呂に入る前、
『主、何かあったらすぐ駆けつけるから、窮屈かもしれないけど、これ着て入って。』
と加州は名前に浴衣を渡していた。

昼間あんなことがあったばかりだ。政府の裏が取れた今、もう襲撃は無いにせよ、主が一人になる瞬間は心配でたまらない。
かと言ってお風呂の中まで着いて行くわけにはいかないし…という配慮の結果だった。まあ、お風呂の中まで着いていった奴らがいたのだけど。

あいつらには常識から叩き込むしかない。加州は静かに決意を固めていた。
でも常識っていったって、主が風呂入ってるときは一緒に入るな…ってとこから伝えんの?さすがに初歩オブ初歩すぎて気が滅入る。

有事の際にすぐに駆けつけることが出来るように脱衣所の外で待機していた加州が、名前の悲鳴を聞いてどれだけ肝を冷やしたか教えてあげたいところだ。まさか侵入者が身内だとは夢にも思わない。

罰として件の二振りは廊下で正座中である。
そもそも脱衣所の外には加州がいた上に、露天風呂に面した中庭は、にっかり青江が巡回していた。あの太刀たちはどうやって浴室に侵入したのか?青江が鶴丸国永に問うたら、「愛の力ってやつだな。」と真顔で言っていた。ときに愛というのは、不可能を可能にするらしいが、使う場面は考えてほしい。もっともである。

「はい、乾いたよ。」

髪の表面をさらり、自然な仕草で撫でられて、名前は顔を上げる。

「うん。加州、ありがとう。」
「いーよ。俺がやりたかっただけだし。」

へへ、と名前が笑う。乾かしてもらった髪も、嬉しそうにふわふわぷるりとしている。手櫛で塗られたヘアオイルが甘い香りを放っていて、現代にいた頃には錆びかけていた乙女心がこそばゆくときめいた。

「それも、よく似合ってる。」
「…そ、う?あんまり着たことないけど、加州がそう言うなら嬉しいな。」

加州が渡してくれた寝巻き。いや、寝巻きと呼ぶには申し訳ない代物である。ドレープがたっぷりと入ったコットン生地のキャミソールワンピースに、ふわっふわのカーディガン。
これ以上肌触りが良いものは世の中に存在しないと言っても過言ではない。あまりにも肌触りが良すぎるので、たびたび肩を滑り落ちるのだけど、それもまたあざと良いというものだ。寝巻きのステータスを可愛さに極振りしたらこうなりました感がある。

照れくさそうに笑んだ名前を見て、加州の胸は可愛いという単語でいっぱいになる。
可愛く着飾ることと同様に、可愛いものも好きなのだ。先程までの怒りもどこかへ流れていってしまうほどの、主、可愛い、好き。という感情の群れが加州の胸の内をほんわかと暖かくした。

きゅうん、という表情を隠すようにふい、と踵を返して加州が歩き出す。

「ん。じゃー広間に戻ろっか。」
「部屋じゃなくて広間?」
「あー、うん。広間だよ。ほら、いいからついて来て。」

ごまかすように、に、と笑う。その表情は、どこかあどけなくて、あまり彼らしくない。が、その分近付けた気がして嬉しかった。初めて見る加州の表情に、きょとんとした名前もつられて笑みがこぼれる。

そんな顔もするんだ、可愛い。と思ったのは二人とも同じだった。
もはや可愛いと可愛いの相互貿易である。

同じ気持ちに想い合うこと。
深くなっていく夜に沈まぬまま、本丸の中が暖かいのは、ぽうと柔らかに溢れるこの気持ちのせいだった。

たぶんこれもまた、愛の力というやつなのだろう。
誰かを思い遣る瞳は、朝の海のように、いつも眩しい。


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