光の輪


「そろそろ夕餉ができる頃だね。」

光忠のこの言葉には、言い得ぬ安心感が灯っている。
暮れていく町の家々に明かりがつくような、あたりまえをあたりまえたらしめる、優しさが満ちている。

大倶利伽羅がすくりと立ち上がって名前に視線を落とす。ふわ、と彼を見上げた名前と視線がはたり、かち合った。
そのまま、じっと目の奥を読むように見据えられて、逸らされる事はない。

「おい、いくぞ。」

俺は行くぞ、お前らは勝手にしろ。…かと思ったら、違った。名前は意外そうに大倶利伽羅を見返した。

「……おい。」

すこし苛立たしげに促されて、名前が立ち上がる。

「鶴丸は?」

布団ですよすよと眠っている鶴丸国永をちらりと気遣わしげに振り返って名前が言うと、大倶利伽羅は、はあ。とため息をこぼしてみせた。

「置いていけ。」

「起こしたらそう簡単には休んでくれないからね。眠ってくれるときにしっかり寝てもらわないと。」

光忠が、大倶利伽羅の言葉を補足する。退屈嫌いの太刀は、夜泣きのひどい赤ちゃん並みの扱いである。
それでも起きるのを待っていたほうが良いかな、という表情を名前がしたのを見かねるように、大倶利伽羅が彼女の手首を掴んで、そっと引いた。

「アンタは自分の身を優先しろ。倒れられても面倒だからな。」

初めて掴んだ手首の細さに、大倶利伽羅は眉根を寄せた。人の身は、刀剣男士である自分たちよりも、ずっとずっと脆い。
こんな軟弱そうな体をしておきながら、ごはんを食べないなんて許されると思うなよ。

大倶利伽羅のつっけんどんな優しさを汲み取って、名前は胸が綻んだ。

一人でいられるというのは、自由であることだ。自由でいるためには、相応の強さが必要なのである。小さい子猫にしっかりと栄養を取らせてたくましく育てるような、芯の通った、大倶利伽羅らしい思いやりだった。

「…うん。わかった、いっぱい食べる。」

「ふん。…それでいい。」

言いながら手を離した大倶利伽羅は、踵を返して廊下を歩いて行く。
掴まれていた手首にひんやりと風が通って、大倶利伽羅の手が、とても温かったことを知る。

「ふふ。それじゃあ、行こうか。」

光忠が名前の顔を覗き込んで微笑むと、エスコートするように、腰をそっと押した。廊下を歩み出す。

「大倶利伽羅って優しいな。」

大倶利伽羅には聞こえないであろう小さな声で、名前が光忠に言う。
先程から喉元まで出掛かっていたのだけれど、本人に直接言ったらきっと、そんなんじゃない。と否定されてしまいそうだから、我慢していたのだ。

光忠は、まるで自分が褒められたかのように笑みを濃くした。旧知の仲である大倶利伽羅の良さを、名前にもまた知ってもらえたことが嬉しかった。

「ありがとう。伽羅ちゃんなりに、君のことを心配してたみたいだね。」

「うん。伝わった。」

二人してはにかむ。顔を見合わせていたら、大倶利伽羅が立ち止まって振り向いた。

「おい、もたもたしてたら置いていくぞ。」

ちらりと目配せをした光忠が、冗談めかして名前に囁く。

「…あれでもう少し素直だったらよかったんだけど。」

大倶利伽羅は口の中でそっとため息をついた。
……まったく余計なお世話だ。二人の会話は、最初からぜんぶ聞こえている。

優しいなんて柄じゃない。
でもどうしてか、主にそう認められることは悪い気がしなかった。

歩調を早めたが、後ろを付いてくる足音二つが自分のことを話しているのだと思うと落ちつかず、どうも居心地がわるい。体中のアンチ馴れ合い細胞が騒いでいる。

早足になった後ろ姿を見て、名前には温かな笑いが込み上げてくる。

ひら、ひら。

本人の存ぜぬところで、大倶利伽羅の周りに舞う花びらが見えてしまうのだ。
ひらりひらり舞っては消える桜の花弁に、気持ちをカンニングしてしまったような気がして申し訳無かったけれど、申し訳なさと同じくらい、愛おしさが込み上げてくる。

「…じゅうぶん素直な気がする。」

いたずらに笑った名前の顔を見た光忠が、眩しそうに笑みを返して、歩いてゆく。
ほんのりと赤くなる耳を隠してくれる夕闇だけが、大倶利伽羅に味方していた。



開け放たれた広間の襖から、煌々と明かりが溢れている。
廊下を、縁側を、そして陽の落ちた庭を、柔く照らしている。その光の中にみんなの気配があって、それだけで、心が上を向くような気がした。

ひょこりと部屋から顔を覗かせたのは御手杵だ。

「お?来たな、主。」

にっと笑って、引っ込んでしまった。ぱたむ、と襖も閉められてしまう。

名前が頭の上に「?」を浮かべていると、襖の傍で、大倶利伽羅が立ち止まる。

「どしたん?」

「あんたが先に入れ。」

「なんで?」

「いいからいいから、さ、ここに立って。」

言われるがまま、名前が襖の正面に立つ。光忠と大倶利伽羅が目配せを交わして、すう、と大広間の襖が開け放たれた。

名前は目を見開く。
戦装束に身を包んだ皆がずらりと並んでいた。それぞれが一国の王のように、誇り高く胸を張っていて、その様は、なんとも絢爛豪華である。

短刀たちがくすくすと顔を見合わせて、秘密を明かすように言う、せーの、という掛け声。

それから、
「主!本丸での初陣、おつかれさま!!」
と、全員の声が重なった。

「…へ?」

まるで、秘密の誕生日会を企画されていたような雰囲気だ。
それぞれと目が合う。いたずらに成功したようなすこしのしたり顔は、皆どこか誇らしげで、きらきらと笑っている。

明るい光に目が慣れてくると、部屋が見事に飾り付けられていることに気付く。

『初陣おつかれさま』と書かれた弾幕には、すこし皺が寄っていて、これが何度も使われてきたものだと言うことが見て取れる。

この本丸のはじまりは、そっと画面を撫でた、名前の指先。

歌仙兼定は皆の背中越しに、名前の姿を見て、胸が熱くなる思いだった。

息が詰まるほどの桜吹雪の中で目を開けた、あの瞬間から君はそこに居て、いまやこんなにも賑やかな輪を築いたんだ。
こうして同じ場所に居られること以上に、正しい姿なんて、無い気がした。

この本丸では、顕現し、初めて出陣したものをこうして労うお約束がある。
自らその身を振るうことで味わう、様々な心模様。高揚、興奮、痛み、喜び、憂い、驚きーーその全てが、この本丸の一員となった証だ。

どうせなら、祝い事にしてしまおう。と歌仙に持ちかけたのは鶴丸国永だ。
懐かしく考えていたら、その張本人と目があった。

『ありがとな、』と声に出さずに笑って、飄々と名前元へ駆けて行く。
まったく。なんといい加減で、頼もしい男だ。と息を吐いた歌仙兼定は、どこか楽しげである。

「驚いたか?」

鶴丸国永の声。
名前は一瞬、空耳かと思った。にゅっと至近距離で顔を覗き込まれて、反射的に後ずさる。空耳ではない。鶴丸国永が楽しげに、名前の前へ進み出た。さっきまですやすや寝てたのに、楽しいことを放って置けない性である。

名前が一歩下がったところで、彼女の背中はとん、と光忠の胸板に行きあたる。さすがというべきかびくともしない。それどころか、そ、っと両肩を支えられて、もはや名前は完全に身動きを封じられた。

名前が焦ったように光忠をちらりと見上げるが、なんてことないように、にこりと微笑み返される。この笑顔見たことある。名前は直感した。歯医者さんで麻酔をされるときの歯科助手さんの笑みである。
大丈夫だよ。と言っている顔。でもぜんぜん大丈夫じゃないことを知っているので、何も安心できない笑みである。

チームワークもだてじゃないのだ。伊達だけど。なんて言ってる場合じゃない。
鶴丸が空いた距離を詰めた。
名前の瞳の奥を探るように、楽しげな色を浮かべた黄金色が迫る。

「な、」

近いし、驚いたし、近い上に恥ずかしくって、やはり近すぎるので居た堪れない。

もう体は大丈夫なのかとか、さっきまで寝てたのにどうやって先回りしたのかとか、言いたいことが詰まって、ただただ目の前の好奇に光る瞳を見つめ返すことしかできない。

鶴丸がふんわりと目を細める。名前の目の中に、明るい、花火のような火種を見つけた。それはそれは美しくって、ずうっとだって見ていたい。
にひ、という笑みが口許に浮かんで、眩しく笑った。彼によく似合う、いつものいたずらな笑みである。

「…なんて、聞くまでもなかったな?」

そこには先程までの憂いだ雰囲気はまるで無い。
テンションに、立ち絵と中身ぐらいの差がある。これぞ鶴丸国永、と思いながら名前は静かに安堵した。

「うん、びっくりした。…みんなありがとう。」

それに応えて、口々に言う、労いの声が部屋の中に満ち満ちる。
それらはこんこんと湧き出る泉のように、戦いの記憶をあたたかく癒してくれる。

この日常があれば大丈夫だ、と思わせてくれる頼もしさが、名前を囲っていく。

鶴丸が傍に立ち、名前に笑いかける。
その屈託の無い笑顔に、名前もまたつられて笑ってしまう。
ぱちぱちと目を合わせながら、名前は部屋の中を広く見渡した。

刀剣男士たちは名前のことを、名前もまた彼らのことを、まばゆい光の中に居るのが似合う。そう思った。

よかったね。とやわらかに光忠は笑んで、視線をあげる。それから、すう、と息を吸った。

「よし、じゃあみんな、食べようか!」

張りのある声がとぶ。
出陣のときより、やっぱりこちらの掛け声のほうが好きだな、と名前が密かに思っていたことは秘密だ。

がやがやとざわめきだす室内。
名前は、そっと目を閉じる。

「腹減ったー!」「お腹空きすぎてもうだめ。」「料理を運ぶお手伝いします!」「俺大盛りな!」「誰だい?つまみ食いをしたのは。」「お味噌汁通りますよー!」「ねえねえ、おかわりもあるよね?」

飛び交う声が愛おしくって、泣いてしまいそうだった。


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