氷砂糖をひとくち

名前は手入れ部屋を訪れていた。

今しがた懐柔したクダギツネの話によると、この本丸の担当クダギツネ、二万のほうのこんのすけが政府からの任を預かっているだろうとのことだった。

先ほどの戦いぶりをみて、おそらく政府は名前を有人本丸の審神者として正式に任命するだろうとのことだった。

政府の部隊による本丸襲撃を、審神者の素質を試すための試験と位置づけるらしい。
なんともご都合主義の考え方である。

手入れ部屋の扉を開けると、壁際に座っていた岩融が右手をあげた。
「おう、主か。」
余裕綽々に笑んだ顔に、名前の肩に入っていた緊張が、すこし和らぐ。

「岩融、もう大丈夫?」
「ああ、もとより大した傷ではない!」
わはは、と笑う岩融に、政府の狐がしょん、と耳を垂れる。
「我々の不手際により、このような傷を…申し訳ございません。」

岩融の目に、きらりといたずらな光りが灯ったのを、名前が見つける。

おや、と思ったときには、
「ほう?ならば食われて詫びるか?」
ととがった八重歯をにんまりと覗かせて、岩融がキツネをからかう。
2メートルほどもある大男が言うと、あんまり冗談に聞こえない。

ぴゃっと身を竦ませたキツネがこくりと息を飲み込んで、「そ、それで償えるのですか?」と言う。

名前が、え、真面目すぎる…と少し引いているのを尻目に、岩融がわはは!と笑い飛ばした。

「冗談だ。お前も主のものになったのなら、その身を犠牲にするなど考えぬことだ。主の悲しむ顔は見たくないだろう。」
「きゅん。」
「こえにでてますよ、あるじさま。」
岩融の傍らからひょこりと今剣が顔を覗かせた。

軽口を言い合う姿をみて、クダギツネが目を細める。彼女がこちらにこの身を得てから、そう時間は経っていない。だがこれほどまでに、打ち解けているのか。
笑う名前の横顔を見上げて、あのお方に似ている、と思う。
ほんの一瞬で刀剣たちの心を掴み、今なお最前線で刀を振るう、はじめの審神者に、彼女はよく似ていた。

「…鶴丸は?」
ふ、と気をそらすように名前が言った。気丈に振る舞えど、心配なのだろう。まるで彼女自身が傷を負ったような声色だ。
それに共鳴するように岩融も、今剣も、労わるような優しい声になる。
「案ずるな、命に別状はない。」
「おくのまで、ねむっています。」

「…会える?」
「…ああ。」
岩融は主が望むなら、というような顔をする。先も言っていたように、名前を悲しませるのは本意ではないのだろう。
岩融からの目配せを受けた今剣が先立って戸を開けてくれる。
名前は少し鈍感なふりをして、「ありがとう。」と微笑んだ。

奥の間は、畳になっている。床の間には桜の枝が活けられていて、窓などがないにもかかわらず、部屋の中の空気は清廉と澄んでいる。
ここは重傷を負ったものが休むための部屋で、広さにして10畳ほど。布団の間には間仕切りができるようになっている。

現在仕切りは取り払われており、広い部屋の真ん中にぽつんと、布団が敷いてあった。

「入るよー、」
声をかけて名前が部屋へ踏み入る。
足元をクダギツネがついてくる。
布団へと一歩、また一歩と近付くにつれて、間違いさがしのような違和感がじりじりとこみ上げてくる。真ん中の膨らみが、微動だにしていないのである。

ついに布団のもとへと来たときには、違和感ははっきりした確信となる。
布団の中にあったのは、丸められた座布団だった。

なんでやねん。と名前は足がすべった。
どうやら傷をおして無理をするほうが、退屈で死にそうになるよりもよほどいいらしい。鶴丸国永、なんというかさすがである。

「これは…!鶴丸殿はどちらへ!?」
クダギツネと名前が顔を見合わせた。げんなりした名前の表情をみて、「わたくしが探して参ります!」とクダギツネが扉の隙間からするりと部屋を駆け出して行った。
「えっ、」
待って、という名前の言葉は狐の速さに追いつかなかった。

名前は部屋を見渡す。
この部屋の出入り口は一つ。岩融と今剣が鶴丸に協力して嘘をつくとは考え難い。
鶴丸は、まだこの部屋のどこかにいるはずである。

すくり、名前の若干据わった目が、押入れを捉えた。彼女は今日一日気を張りっぱなしなのだ。その心労の一翼を担っていたのが、深手を負った鶴丸のことだ。
傷は大丈夫なのだろうか、なんで安静にしててくれないのか。不安で、心配で、腹が立ってきた。
思いのまま、ずんずんと押入れに向かう。その引き戸に手をかけた瞬間、すぱっと開いた押入れから伸びてきた腕に、腰を掴まれて中に引きずり込まれた。

「!?」
驚いたときにはもう手のひらが口を塞いでいる。わずか0.5秒の所業である。

後ろから抱きすくめられるような格好で、暗闇でもぼうと浮かびあがるような白い腕がお腹に回っている。

言わずもがな、鶴丸国永である。
耳元、囁くような声で、鶴丸が弁解する。
「すまんすまん、今回ばかりは驚かすつもりはなかったんだ。」
はあ。と名前がため息を吐く。
それを合図とするように口を塞いだ手のひらがほどかれる。
驚いたからなのか、安心したからなのか、そのどちらとも取れる格好で、体から力が抜けた。

「…鶴丸、」
見つけたら、心配させないで、と叱ろうと思っていたのに。
想像していたより元気そうな声色や、しっかり巻きついた腕に、安堵で目が潤んだ。
「…心配した。」

重傷だろうが通常運転の鶴丸国永の胸にも、この声はじいんと沁みた。

「ああ、…すまなかった。」
抱き込んだ腕に力がはいる。
きゅうと強くなった抱擁に、捲れた袖から包帯が覗く。

名前はそっと手を重ねて、問いかける。
「痛そう。大丈夫?」
「ん、だーいじょうぶだ。見た目ほど痛くない。」

手伝い札で本体の修復は済んでも、それに一歩遅れるようにして、付喪神の体は癒えていくらしい。

あたたかい、名前の手が触れているところから痛みが引いていく。
鶴丸は、ぐずぐずと疼くような傷が浄化されるように消えていくのを感じた。

大丈夫だ、という鶴丸の笑った声が無理をしているように思えて、名前はすこしむっとした。
「…嘘つかんでもいいのに。」

痛い、いたい、後悔にも似た疼きは実際、名前がここへ来てからすんなりとひき始めている。

しかし強がりを見透かされているとは、かなわないな、と鶴丸は虚勢をといて名前の肩口に顔を埋めた。

こぼすように、言う。
「きみがこうしていてくれたら、痛くない。」

自分よりもずうっと後に生まれた女の子に甘えるのは、どうにも情けないことだと思っていたが、名前はゆるりと鶴丸の重みを引き受けて、そっと寄り添ってくれた。
その優しい仕草は、格好をつけようとしていた自分が滑稽に思えるほど、おおらかで余裕に満ちていた。

とん、とん、と鶴丸の手の甲を、名前の指先がたたく。
狭い、暗い、押入れのなかで、腕の中のぬくもりを覚えながら鶴丸は目を閉じた。

気が遠くなるほど退屈な手入れの時間も、彼女がいれば黄金色した砂時計が落ちるように、その一秒ずつが光っているように思えた。

心地よく、眩しさに目を細めるような時が流れて、どのくらいそうしていただろう。
名前がふ、と思い立ったように口を開く。
「なんでこんなとこにおるん?」

至極もっともな疑問である。
広い部屋、柔らかな布団があるにもかかわらず、なぜ二人して押入れにいるのか。
そもそも引きずり込まれたのだ。怪我人の空気感に負けてうやむやになっていたけれど、そろそろ体が痛くなりそうである。

「おいおい、それを聞くのか?」
茶化すように鶴丸が言うけれど、名前は全く真意を汲めないでいる。
ややあって、鶴丸が言葉を続けた。
「…きみと、二人きりになりたかったからだ。」

いざ言葉にすると、なんて子供っぽくて、幼稚な動機なんだろうと、自分で恥ずかしくなった。
じんわりと熱くなった頬。こんな顔は見せられたもんじゃない、と鶴丸が思ったところで、名前がくるりと振り向く。
ばちりと目があってきょとりとしていた彼女が、ふふ、と笑った。

居た堪れず、鶴丸は拗ねたように口を尖らせた。
いよいよ、名前が肩を震わせて笑いはじめた。

「〜っ、そう笑わないでくれ。」
「ふふ、ごめんごめん。」

抱き込むのは平気なのに、そこで照れるのか。
いつも飄々としている鶴丸の、新しい一面を見て、笑みがこみ上げてくる。

「かーわいいなぁ。」
「おいおい、あんまりからかうなら倍にして返すぜ?」

腕のなかで笑っている、きみのほうがよほど可愛いんだが。いま言ったら自分で赤面しそうで言えない。
可愛がられるより、可愛がりたい性分なんだがなあ、と鶴丸はなんとなく負けた気がする。

「なんか話あるんかなと思った。」
「…きみは察するのが上手いな。」

本当のところ、鶴丸国永は自分を刀解したほうが良い、と進言するつもりだった。
傷を負った体で、ぼんやり想像していたのは自分が名前を攫ってしまうことだ。

そうなってしまったら、もう本丸にも、彼女が元居た世界にも、帰してやれなくなる。

死ぬことも、生きることも出来ず、どこにも行けない永遠は、彼女の心を殺すだろう。
鶴丸にとって、それはなにより避けたいことだ。

でも、名前がほんとうに危機に晒されることになったら、、耐えられる自信がなかった。悠久の退屈も、俺がなんとかしてやれるかもしれない。そんな傲慢な思いを持ち合わせている自分のことが、信用ならなかった。

痛みは、思考をも苛む。
名前にとっての幸せを脅かす存在になるくらいなら、溶けたほうがよほど良い。

そう、思っていた。
たしかにそう思っていたのだが。
人はなにかを想定するとき、最高と最悪ばかり考えてしまう生き物というのは本当らしい。ひとりでいるとき、それは殊更だ。

しかし鶴丸国永は、いま名前と触れ合って言葉を交わし、己がどれだけ彼女に大切にされているのかを思い知った。

知っては居たのだが、確信した。
刀解しろ、なんていったら、おそらく肘が顎に飛んでくるだろう。それから、…泣いてくれるかもしれない。

名前を泣かせたくない。
ならどうすればいいか。

もう一つの答えはすぐに見つかった。
鶴丸国永はしずかに、ひとつ決意をした。

今後、名前が何かに脅かされるのであれば、彼女を元の世界へ帰すこと。
政府が彼女を追わないように、記憶を消して、手を離すこと。

軽口を叩いて、じゃれながら、固く心に決めた。

そうなったら、こんな時間があったことも、俺と言葉を交わしたことも、忘れてしまうんだろうな。
そんな瞬間を思ったら、切なく胸が焦げて、鶴丸の目に涙が滲んだ。

弱ったなあ、刀の身では知らなかった泣き方とは、こんなに簡単だったのか。

ぎゅうと強くなった抱擁に、名前が首を傾げる。
「どしたん?」
「…いや、」
なんでもない、言いかけて、言えなかった。
決意とはこれほど痛いものか。
甘かったのだ、降りかかる火の粉を、すべてこの手で払うだなんて。

大丈夫だ。言い聞かせる。
もしその日がきたとしても、今までと同じ、前に、昔に、戻るだけじゃあないか。

これまで幾度となく繰り返してきた運命と同じに、人は去るだけ。

それなのに、いままでしてきた当たり前が、こんなにも残酷に胸を裂くとは。

ぽたぽた、ついに涙が名前の肩に落ちて、着物に染みをつくる。
別れを思って泣くなんて、女々しいな、と笑ってしまいたかったが、一度溢れた涙は止まらなくって驚いた。

ぱたた、と雨のように肩を叩く暖かさに名前は察したように顔を上げる。

しかし決して振り向くことはせず、後ろ手に鶴丸の頭を引き寄せた。
後ろに頬を傾けて、引き寄せた頬にくっつけた。
鶴丸の頬を流れた涙が、つぷ、と名前の頬を洗って、滑ってゆく。
まるで二人一緒に、泣いているみたいだ。

どうしたの、と理由を聞かないままに、名前はそっと鶴丸の髪を撫でる。
心が同じように震えた。
言葉にし難い切なさを、半分ずつ齧ったみたいに。

ここに居て、ここに居させて。
ことわりに抗った願い事を、叶えた代償のようだった。

鶴丸の胸に、ころり。
固くて甘い氷砂糖は、涙でいっそう光った。


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