ひとくせ


手綱を手にした三日月に、「ええ、参りましょう。」と一期一振が応えて、名前のもとへ一歩近付く。

「主の身の安全は、弟たちが保証致します。我々は必ずや、貴女に勝利を持ち帰りましょう。」
胸に手を当てて一礼した、一期一振のさらりとした髪を風が撫でる。ふわ、と清らかないい香りがした。
一期一振にだけいつも、風の演出が味方しているのはなぜなのか。
名前に向けられた柔和な笑みは、どこまでも余裕に満ち満ちて見えた。

金色の瞳。その裏の、翳りはおおよそ測れない。

一期一振の脳裏に浮かぶのは炎の記憶。
…主にとっての初陣がまさか籠城戦だとは。
もう負けたくは無い。失いたくないものが、ここには多すぎる。拳を握ったら、ぎゅ、と手袋が鳴いた。
それでも崩れない笑顔は、一期一振のしなやかな堅牢さの表れだろう。

「ああ、大将のことは任せていーぜ。」
すくっと名前の隣に現れた薬研藤四郎が目を細める。
名前に向かってにっと笑んだあと、兄を思う気遣わしげな色が、薄紫の奥に滲んだ。

どうやら僅かながらの不安を、この聡明な弟には見抜かれているらしい。と一期一振が察する。
まだまだ、兄として未熟なものだ。と思い至って、なぜだかふ、と強張りが解けた。

どんなに取り繕ったとしても、弱さを見抜いてくれる相手が居る。その事実だけで、俄然力が湧いてくるのはなぜだろう。

なるほど。弱い自分のことを認めて、ようやく、前に進めるのかもしれない。
この不思議な逆説を、一期は眩しく思った。そして、心からの言葉で、名前に向き合う。

「勝ちましょう。主。」
「うん。勝つまで戦う。」
迷いなく言い切った名前に、一期一振が微笑む。
名前はというと、一期一振の見た目にそぐわない負けん気を今回ばかりは頼もしく思った。
一期一振の背筋は、いつもすらりと美しく伸びているが、向けられた背中は、いつもよりいっそう広く見えた。
粟田口のみんなが、口々に行ってらっしゃい!と声をかける。

昨夜、お兄ちゃん扱いしたらへそを曲げてしまったけれど、彼の後ろ姿はやっぱりお兄ちゃんをしている。この人の守りたいものごと、全部を守ろう。という思いが胸に湧く。

名前の胸にまで吹いた追い風が、ふわ、一期一振の背を押して、そっと彼を見送る。

「ぬしさま、この小狐にいってらっしゃいの抱擁を!」
ロイヤルな空気を突き破った小狐丸が満面の笑顔で両腕を広げた。
岩融や他の刀のことを信頼しているのは分かるが、この緊張感の無さよ。これも野生ゆえなのか。

名前は、すこし呆れながらも小狐丸の胸にぎゅうと抱き着いた。
「はいはい。はぐー。」
「…!!」
昨日からの小狐丸のイチャイチャっぷりにより、一晩眠って耐性がついたらしい。正直それどころじゃないけど、この狐さんが言い出したら聞かないことは、もうわかっている。

小狐丸は、まさか本当にはぐしてもらえると思っていなかったらしい。
瞳孔がカッ!と開き、耳に似た毛並みがぴん!と立ち上がる。
しかしさすが野生。コンマ一秒後にはがっしりと名前の体に腕を回していた。反応速度が早い。

…ようございました…!いってらっしゃいの口付けも捨てがたかったものの、抱擁にしてようございました…!と唇を噛み締めて腕の中の小さな身体を抱き締め返す。
そうだな。口付けなら名前はスルーしていただろう。

嬉しさで紅潮した頬を、名前の髪に擦りよせる。
幸せの、匂いがした。
※本丸襲撃中です。

名前はもういいだろうと腕を解いた。がしかし、小狐丸は離れない。とんとん、と背中を叩く。
「小狐丸?」
「……。」
反応がない。

小狐丸はというと、肌蹴た胸元に掛かる名前の吐息のくすぐったさに、計り知れないほどの胸の高鳴りを感じていた。
ぬしさまが、生きている…。
ぬしさま尊い。
※本丸襲「はい、しゅーりょーです!」

ぐい、と帯を引かれて、小狐丸は後ろへたたらを踏んだ。そこに居たのは今剣である。
よかった、もう一度注釈をつけなければならないところだった。

名前はふう、と息をつく。助かっ…
「ほまれをとれば、あるじさまがあとでいやというほどめでてくれますよ!ほら、はやくいってください!」
…うん?

びゃん、と吹き出す桜吹雪が、名前の目にも見えた。
「えっ」
なんだこの新手のドーピングは。

にまにまと緩んでいた小狐丸の顔が、す…っと真顔に引き戻された。やる気だ。
小狐丸が踵を返す。振り返り様、名前を流し目で見据えて口を開いた。シャフ度である。
「ぬしさま、行ってまいります。」
にやりと笑った口元は捕食者のようで、正直めっちゃこわい。

今剣がふふん、と得意げに笑った。
「いっけんらくちゃく、ですね!」
「落着ちゃう!」
いま新たな伏線が作られたところである。

次いで、初霜のようにきらめく髪をなびかせて、江雪左文字が進み出た。

「江雪さん…。」
「…貴方が、そのような顔をする必要はありませんよ。」
北国の、美しい海のような色の瞳が細められる。
冷たい青の中に太陽の光が反射している様子は、見たことないはずの流氷を、名前に思い出させた。

「お小夜、宗三、この方の側へ。」
「はい、兄さま。」

小夜左文字が、名前の隣にやってくる。
黙ったまま右手をぎゅうと握られて、名前がしゃがむと、痛いぐらいに、まっすぐな目と視線がかち合う。
「…大丈夫だよ。」
強い強い眼差しは迷いなく、名前を射る。
「ええ。江雪兄さまはお強いですから。」
宗三左文字がふふん、と勝ち誇ったような顔で笑った。

「…うん。」
名前の顔がふ、と緩んだのを見届けて、江雪がそっと腰を折る。名前と小夜の頬を、中指の背でそっと撫でた。
あまりにも優しい仕草になにも言えないでいると、江雪はふわりと背を伸ばす。
「宗三、頼みましたよ。…では、行って参ります。」
するすると、水が流れるような美しい動作で、江雪が歩いて行く。

いってらっしゃい、と三人が口にすると、背中の向こうで江雪はほんの少し、雪の粒を溶かすように笑った。

「さあて!アタシたちも行くよ!」
「ええ。そうですね。」
しゃがんだ角度から見上げると、次郎太刀と太郎太刀はめちゃくちゃでかい。特撮ぐらいでかい。

見上げる首が尋常じゃない角度で、名前があっけにとられていると次郎太刀の手がひょいと名前を持ち上げる。
「ぅ、わ!!」
「験担ぎ験担ぎ、っと!」
ぐい、と猫にするように名前を目の高さまで持ち上げて、にしし、といたずらに笑う。

宙に浮いている!物心ついてからされる高い高いに、名前はびびっていた。宙に、浮いている!!

「行ってくるよ。…ほら、兄貴も。」
ひょこ、と次郎太刀の隣から、太郎太刀が名前の視界を覗き込む。傾げた首。
「行って参ります。」
なにその仕草、可愛い…!

名前は、文字通り地に足つかない怖さを一瞬忘れた。

「…次郎、主が震えていますよ。おろして差し上げては?」
あなたが可愛いことするから堪えてるんです。とは言えない。

「兄貴も抱っこしとく?元気でるよ!」
私は犬か何かなのか?と名前は思った。
「そうですか、では失礼します。」
失礼するんかい!と名前が心の中で盛大にずっこけたときには、もうすでに太郎太刀の腕の中に居た。

場面展開がすごい。さすが大太刀。1シーンをぶおんと薙ぎ払って行く打撃力。

はた、と名前が気付いたときには、太郎太刀にお姫さま抱っこされている。
「え…わっ…え!?」

…お姫さま、抱っこ???
この本丸へと来てから、俵担ぎやらお膝抱っこやら腕抱っこやら、様々な形で抱き上げられてきた名前だったが、なんと定番のお姫さま抱っこは初体験である。

「………。」
太郎太刀は静かな眼差しで、腕の中の名前に視線を注いでいる。
現状を理解したとたん、ぼ、と名前の頬が熱くなった。
怪我などをしているならばまだしも、無傷で抱っこされるなんて、という謎の羞恥ボーダーが発動する。

太郎太刀のがっしりと太い骨格は名前を優しく支えており、安定感しかない。
太郎太刀は、弟に押されて主の身を抱えたものの、その胸中は落ち着かない。
腕の中に収まる小さくて柔らかい名前の身体を、壊さないようにとても真剣にお姫さま抱っこに取り組んでいた。それゆえ無言である。

酔い潰れた次郎太刀のことを何度も寝床に運んだことはあれど、主の身はそれとはまったく別物であり、戸惑う。
現世を見つめ、悠久の時を過ごしてもなお、まだ知らない初めてがあるのだということに、静かな感動を覚える。
なぜか顔を赤くして動かない主をその感動のままに見つめて。ほろりと感想をこぼす。

「主は…とても軽いのですね。」
落ちてきた言葉に、名前ははっとした。
いやいや、呆けている場合ではない。早く送り出さないと!
「か!軽くないよ!ふつうです!あの、太郎さん、降ろして、もらえますか…。」
焦るあまり声のボリュームがちぐはぐになっている。
たじろぐ名前の様子に、次郎太刀があっはっは!と豪快に笑い出した。
「なーんだい主、照れてるのかい?いやあうちの兄貴も捨てたもんじゃないねえ。どうだい、兄貴?やる気出ただろう?」
「そうですね。彼女を庇護せねばという思いが高まりました。」
太郎太刀が淡々と答えて、名前をそっと地面へと降ろした。

…全員やる気の出し方のクセがすごい。
それだけは、名前の混乱しかけた頭でも確かに感じられた。

「んじゃ、アタシらも行こうかね!」
「ええ。参りましょう。」
「い、行ってらっしゃい。」

暴風のごとし大太刀兄弟を見送ると、大トリだと言わんばかりに、ゆるり三日月宗近がやってくる。

にこにこと笑って寄ってきたかと思うと、名前のことを何も言わぬままそっと抱き寄せた。
胸に抱いた名前の頬を、親指で慈しむように撫でて、顔を上げさせる。
流れるような仕草で、名前はされるがまま、左耳へとそっと唇が寄せられた。

溢れた吐息が、耳に掛かって肌があわだつ。さらさらと、髪が流れる音まで聞こえそうなほどの距離でそっと、ささやきかけるような声で三日月宗近が言う。
「約束を、違えてくれるなよ。」
「え?」
聞き返した名前の声には答えずに、三日月がすんなりと離れた。

にこりと笑って、いつもの調子で宣う。
「いやあ。しかし、このように主に見送ってもらうのは良いな。いつもよりいい働きが出来そうだ。」
うんうん、と頷いて踵を返してしまう。
名前は身構えていた分、拍子抜けして小さく首を傾げた。
「では行ってくる。」
「う、うん。いってらっしゃい。」
人好きのする笑みを残して、三日月が部隊の中央へと進み出る。

そうして、第四部隊がわずかな土煙を残して駆け出していった。

約束って、なんだっけ?

記憶を辿る名前の横顔を、短刀たちが静かに見上げていた。



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