乖離、融解


神隠しかあ…。
ここへきてから名前の未知との遭遇スキルは急上昇している。

ファンタジーやフィクション好きが、功を奏しているのか。もともと感情移入しやすい体質である名前の中で、いままで生きてきた自分と、いまここで主として立っている自分が、静かに乖離していく。

集中して本を読んでいるときに文字が景色になるときのような、今まであったはずの現実が遠のいて、消える感覚。
消えたことさえ感じられないほどの引力で、名前は、もう此処に居た。

ひとまず鶴丸の死亡フラグは回避できたはず。ではフォローは後回しである。さすが、誰かさんが言っていたとおり肝が据わってる。

いざ、オーバーキル戦法。
名前の横顔はどこか吹っ切れている。
どんどん冷静になっていく。誰かは知らないけれど、喧嘩をふっかけてきた相手を全力で後悔させてやる所存である。

もう、こんなことが起こらないように。

名前の持つ生来の負けず嫌いが、ちらり、見え隠れした。この本丸の三日月の負けず嫌いは、紛れもなく彼女の霊力で顕現された影響である。

第三部隊は鶴丸、光忠、鶯丸、髭切、蛍丸、石切丸。髭切が全員のことをなんとか丸って呼ぶのを、光忠がうまくリカバリーしてくれることを祈ろう。

第四部隊は三日月、一期一振、江雪左文字、小狐丸、太郎太刀、次郎太刀。

念のため、死亡フラグ建築士となった二人は隊長にした。

「第2部隊が抑えてるところを、挟む感じで叩いて。三方向から敵を囲んで殲滅しよう。」
「あい分かった。」
にこにこと笑う三日月。
「主…。」
鶴丸がなにか言いたげに名前に呼びかける。

名前が首を傾げて耳を傾けた。
「ん、なに?」
「その…ありがとな。必ず勝って、そしたらきみにっむぐ」
名前が手のひらで鶴丸の口を塞ぐ。
鶴丸国永、一級フラグ建築士の称号が欲しいらしい。

名前は静かに言い含める。
「…鶴丸、しー。」
あとで聞く。と目で訴える。
こくり、と頷いたのに応えて手を離すと、ぷは、と鶴丸が息をする。
「俺が話しちゃまずいのかい?」
「まずいかもしらん。」
名前は神妙な顔をして答える。
何事にもセオリーというものは少なからずある。お約束や鉄板、リスクある芽は摘んでおきたい。
ここにその力が及ぶかは知れないが、原作ニトロ某のシリアス力を舐めてはいけないのである。

「みんなの刀装、用意したよ!」長い歩幅で燕尾服をひらめかせ、光忠がかっこよく呼びかけると、髭切がにこやかに応じた。
「おや、ありがとう。えーっと、…眼帯丸くん?」
眼帯丸。その発想は無かった。
一文字も合ってないよ、と光忠が柔らかな物腰そのままに訂正している。さすが優しい伊達男である。名前はそのツッコミに物足りなさを覚えながらも、皆を見送る。

「いってらっしゃい、無事に戻ってきてな。」
「ああ、いってくる。…きみも、どうか無事で居てくれ。」
真っ先に答えたのは鶴丸だ。
…離れがたい。
側にいれば、この手で守れる。その想いを飲み込んで、胸に火をつけた。降りかかる火の粉は元から断つのがいい。ここには頼もしい刀剣が残っているから、だから、彼女は大丈夫だ。

名前のことをつとめて優しく撫でて、堪えるような苦しげな表情を見せまいと踵を返した。

主を危険に晒すような輩を、彼女に殺意を向けた相手を、早く斬ってしまいたい。
慢心?油断?…いや、この時鶴丸の胸を支配して居たのは、焦燥。

鶴丸が馬へと跨る。その背がなんだか儚げに見えて、名前は祈るように声を掛けた。
「鶴丸、大丈夫やから、ちゃんと帰って来てな。」
「ああ。当たり前だろう!」
振り返って軽妙に笑う、その表情の裏には、頑なな決意。ほんの少しの違和感を、名前は感じた。しかし、その追及を許すことなく、背中は遠のく。

眉を顰めた名前の隣に、にゅっと髭切が現れる。
「だーいじょうぶ大丈夫。主は僕が守ってあげようね。」
「うん。髭切、みんなのことも守ってほしい。」
先ほど覚えた違和感に、胸をかりりと引っ掻かれるような心地がする。
カンスト3スロ太刀、めったなことがない限り大丈夫だとは思うけれど、いや、めったなことがあっては嫌だ。

「んん?…ああ、君の刀のことかい?主の大切なものだもんね。」
名前の縋るような表情を見て、髭切は悪い気はしないなあ。と思った。

刀に好かれる人は、いつの時代にも居た。だけど、刀をこうも好いてしまう人は、居たかな?
物にこれほど心を割いてしまうなんて、可哀想だ。それもこんな、たくさんの刀に。…もしも、どれか一つが折れてしまったら、この子はどんなに哀しむのだろう。

俯いて、ぽたぽたと涙を落とす彼女。表情を失くして、言葉少なに心を閉ざす彼女。
その姿を想像してみて、髭切はげんなりした。
…哀しむ顔は、あまり見たくないかな。やっと同じ世界に、生きることが叶ったんだもの。
やっぱり人は、生きていると感じられるほうがいい。物同然の傀儡に使われるなんて、つまらないし、…屈辱的だ。

髭切は顕現したばかりの頃、なぜここにいる刀たちが空っぽの器を大切にするのか、不思議だった。
頬をつついても、身ぐるみをひっぺがそうとしても、無心の容れ物。
笑いかけても、話しかけても応えない"物"の尊厳を、どうしてここに集う刀剣らは護ろうとするのだろう。

戦うのは嫌いじゃない、自分を振るって敵を斬るのも、やぶさかではない。そうして甘んじてきた日々のなかで、ひと匙ずつ折り重なるように感じ取った霊力が、やっと彼女そのものであると理解してきた。命の匂いを、辿るような心地だった。

それでも釈然としなかった靄。
物言わぬ、閉ざされた体は彼女のものではないという事実に、髭切は言葉にならぬ違和感を覚えていた。

それも、名前が目覚めておはよう、と言ったあの朝に、割とどうでもよくなったのだけど。

…ほんとに生きてたんだね。

魂だけ連れてくるなんて、ぬるいやり方だけれど、まあそれでも、傀儡のままよりは良いかな。

斬ったらこの世を去ってしまうような、儚くて、脆い身体。短い命をめいいっぱい使って、現世を生きる人の姿が好きだ。

自分には無い、人らしさ、というものを面白いと思う、愛らしいと思う。

いつもの柔らかな微笑みを浮かべて、髭切は名前の頬を撫でる。
「…うん。いいよ、まかせて。」
優しい声色に、「ありがとう。」と名前の顔が綻ぶ。

それを見て、やっぱりこうでなくちゃねえ。と髭切は頷く。
「ふふ。僕たちの望みを妨げるような輩は、すぱすぱ切ってしまおう。」

と、そこで名前の腰にむぎゅりとした感触。蛍丸がくっついてくる。
「ま、俺が居れば、楽勝でしょ?」
こちらを見上げる表情は、誇らしく、エメラルドの瞳が底なしに光っている。

「…うん。楽勝やな。」
頼もしすぎる蛍丸さん。確かに負ける気がしない。秘宝の里の隊長は絶対蛍丸だ。というくらい名前は彼を信頼している。残り5マスで単騎になったとしても、蛍丸さんなら進軍一択である。

そして、名前のその信頼を、蛍丸は感じ取っていた。
彼女の信頼がこの小さな身体に、力を溢れさせるのだ。

演練のチャレンジ枠に挑む時、「まーた俺を連れてくんだって。」とわざわざ報告しに来る蛍丸の誇らしげな顔は、明石国行ならばよく知っていることだろう。

へへ、と笑った蛍丸が髭切の手を引いて行く。
「じゃあね、いってきまーす。」
「うんうん、君はそこで待っていて。」
ふわふわした髪型がよく似ているので、手を繋いでいると兄弟みたいである。

「そうだな、主は茶でも用意して待っているといい。」
さっきまでお茶を飲んでいたのにも関わらず、すでに茶に飢えている鶯丸が名前の元へやってきた。
「余裕やな?」
ふ、と名前が笑った。やはりお茶の香りにはリラックス効果が期待できるらしい。人間の体の60%は水分で出来ているが、鶯丸の60%はお茶で出来ていそうだ。
「当然じゃないか?だって俺たちは、負けたことがないだろう。」
そうやけど、と名前は言いかけてやめた。
鶯丸の目の奥に、気遣わしげな色が見えて、この言葉が驕りではなく自分を安心させるためのものだとわかったからだ。
「…さて、俺も勤めを果たしてくるとしようか。」
「いってらっしゃい。」
お茶の淹れ方わからんけど、と普通に笑い返せたことに、名前は自分で驚いたのだった。

「ついでに正門の厄を落としてくるよ。」
石切丸が背を屈めて名前の顔を覗き込んだ。
細められた目と、優しい声が、心を包むような暖かさで、名前を撫でる。
「うん。ありがとう。」
名前は穏やかに心が凪ぐのを感じる。

このとき、石切丸もまた神隠しについて思うところがあった。いや、正確にはこれは神隠しではない。
御神刀であるがゆえ、彼はこの本丸における霊力の流れについて他の刀剣よりも詳しい。事が明らかになった今、この本丸にある御神木について彼女に話しておかねばならないと考えていた。

彼女の霊力を司り、現世と常世を繋いでいる、桜の御神木。百年在れる物でもなく、百年で死ぬ人でもない。数百年を、ゆうに"生きている"樹のこと。

「よし、じゃあみんな!格好よく行こうか!」
光忠の張りのある声が、空気をぱきりと締める。

この本丸に来てからは、いただきます!という号令ばかり聞いていたけれど、これが本来の号令の在り方だな、と名前は感心した。

「それじゃあ、いってくるね…主。」
かと思うと、名前に向けて優しく落とされた声はとても甘い。
手櫛で髪を耳にかけてくれるおまけ付きである。
なんというか、新婚さんみたいな行ってきますの言い方だな、光忠のポテンシャルすごい。とさらに別方向へと名前は感心した。

第三部隊を乗せた馬が駆け出す。
広い背中。しなやかに伸びた背筋はそれだけで、名前の決意を強くした。

生きるために戦う。ここで、みんなと。

「では俺たちも行くか。」
三日月がゆるり、馬を引く。


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