野に咲く花


第二部隊を見送って、ようやくすこし肩の力が抜けてきた。

「これで、きっと岩融は大丈夫。」
名前は今剣の背中をなでる。緊張で固くなっていた小さな薄い背が、柔く呼吸に溶けた。
「…はい。もうすぐもどってきますよね!」
「うん!」

さて、次はどうしよう?
敵の強さも数も未知数なので、今どの程度戦力を注ぎ込むべきか、名前は思案していた。

補給部隊を作って戦線を保ったまま、日暮れを待って竹藪に敵を引き込み、短刀を放つという戦法も考えたが、それでは敵を取りこぼす可能性もある。
また、攻め込んでこずに隠蔽に徹されて奇襲を受けるというのも怖い。

それなら、見えてるうちに一回叩き潰すつもりでいったほうがいいか。
オーバーキルは戦闘ゲームの基本中の基本である。

そのときちょうど、隣にすっと寄り添う影。
ふわり、つい力を抜いてしまいそうないい匂いがする。三日月宗近である。
「はっはっは、いやあ、主は愛らしい上に強いなぁ。俺も戦うぞ、この三日月宗近を存分に振るうといい。」

ずい、と名前のすぐそばに顔が寄せられる。にこにこと微笑む、美しさの暴力とはこのことか。すでに何度も見たはずなのに、見るたび息を忘れてしまいそうになる。
「う、うん。」
答えながら名前は、一歩後退る。あまりにも近い。自分の強さに自信満々の三日月の笑顔は、いつになく眩しい。言われなくとも三日月は使うつもりだ。だって強い。さすが最高レアのホロ背景男士。

後ろへ下がった先で、とん、と背中が誰かにぶつかった。
「おっと、大丈夫かい?」
鶴丸国永だった。
言いながら、そっと体を支えられる。
三日月は、空けた一歩をにこにこと詰めてくる。

…えらいのに挟まれた。
昨日の昼寝の記憶は、まだ体温が残るように新しい。

そこへ、頭の上から声が落ちてくる。
「主、すまなかったな。…きみを危険にさらしてしまった。」
眉を下げて、鶴丸はしゅんとしている。

ーー敵襲。主が外に居る。

その報告を受けた時、鶴丸は全身の血が冷えきって、ざっと頭に流れ込むのを感じた。動転して駆け出そうとしたところを、ゆるりと三日月に止められたのだ。今剣と岩融が付いているならば大丈夫だと。

それでも気が気じゃなかった。
すぐにでも名前のそばに行って、その目も、耳も塞いでやりたかった。彼女が殺気に当てられるのを想像しただけで、腹わたが煮えくりかえりそうになった。

「いやいや、鶴丸のせいじゃないし、いいよ。」
名前は首をふる。彼女にとっては、たまたま本丸を出る直前に話したのが鶴丸だったというだけのことだ。

ちがう。
鶴丸国永は、苦しかった。

俺のせいなんだ。
きみをここへ連れて来た、俺の。

もうこれ以上、黙っている訳にはいかない。

あわよくば、彼女を甘やかして、絆して、帰りたいなんて思う隙もないほどの幸せで満たして繋ぎとめていたかったが、そうも言ってられない。

敵が本丸に現れるなんて状況で、何も知らないこの子の魂をここに縛るなんて、鶴丸は自分のしていることが恐ろしく思えた。

宝物は、手に届くところにもってきてはいけなかったのかもしれない。
大事にとっておくか、もしくは、もっともっと大切に、誰にも触れられない所へ、しまい込む必要があったのかもしれない。

鶴丸は深刻な表情で告げる。
「なあ主、この戦いが終わったら、夜にでも時間をくれるかい?…きみに話したいことがあるんだ。」

その言葉を聞いた名前がさあっと青ざめる。

「鶴丸それ死亡フラグ立ってる!!」
こんな綺麗なフラグ見たことない。次回予告が無くても手に取るように見える鬱エンド。頼むからやめてくれ。そのセリフの致死率はufoアニメで主題歌を歌うのと同じくらいやばい。
山奥の山荘で嵐に見舞われて、交通手段と通信手段が途切れたようなものである。

「…しぼうふらぐとはなんだ?」
死亡、だとしたらあんまり良くなさそうだ、という思いで鶴丸が名前にたずねる。

三日月が二人のやりとりを見て、朗らかに笑い出す。
「はっはっは、なら俺は、ここは任せて先に行け、とでも言っておくかー。」
「やめなさい。」
うちの三日月メタ好きすぎやん?はあ、と名前がため息を吐く。

「立派に立ってるねぇ…フラグのことだよ?」
「青江ステイ。」
おもむろに参加してくるにっかり青江。そのネタの汎用性なんなん!
視界の片隅でお茶を啜る鶯丸を捉えて、いよいよ名前はボケの過剰供給を察知する。

…さばききれない…!!

スルースキル発動しなきゃ、太刀の機動に巻き込まれて緊張感が消え失せている。じと目で三日月を見てる今剣を、三日月がおお、よしよし。となだめている。特性:マイペース。見事なものだ。

ふう、と息をついて名前は顔を上げた。
鶴丸国永の逸話や戦歴に負けた話が多い理由が、わかった気がしたのだ。

フラグを折るしかあるまい。

「鶴丸、今言って。」
「…へっ?」
「簡潔に言ってみて?」
「だが、きみなあ、」

言い澱む鶴丸。
それもそうだ。

周りを見渡す。三日月宗近は相変わらず腹のわからぬ笑みを浮かべている。「いや主は面白いなぁ。」と余裕の構えだ。
鶴丸にとって同郷の燭台切光忠、空気が読めてこの上なく気の利く彼はあえて空気を読まずに、「鶴さん、がんばって…!」と拳を握った。

まさかこんな場面で話すことになるとは、さすがの鶴丸国永も予想外だ。

「みんなの前では言いにくいこと?」
言い澱む鶴丸を気遣うように、名前がその表情を見上げた。
「じゃあ、こっそり教えて。」
そうして、ひそひそ話をするように耳に手を添える。

ほれほれ、と急かされる。
関西人の多くは生き急いでいるので、止むを得まい。エレベーターを並んで待つくらいなら、エスカレーターで歩き続ける。歩行速度は世界でも上位である。

鶴丸国永は、うう、と言葉に詰まっていたが、やがて意を決したように名前の耳元へ、囲った唇を寄せた。

手のひらの中で、うずくまる耳に風の音が鳴っている。

「…俺がきみを、ここへ連れて来たんだ。」

言い得ぬ甘さと、苦さの混じる声。
雪解けの水のように清らかに冷たく、後ろめたいほどの純粋な欲の匂いがする。

ぽたり。

氷柱を伝って落ちる水滴のように、その言葉はすう、と名前の胸にまで落ちた。
苦悩や葛藤。後悔、歓び。その声だけで充分に、彼の気持ちがわかってしまった。

「…うん。」

やっぱり鶴丸だったのか、とか、ああこれは神隠しやったんや。とか、思うところがあった。
どうやって連れて来られたのだろう、私の、元々の体はどうなっているんだろう、とか、聞きたいことも、幾つも現れた。

だけど、そんなことは全部、泣きそうな金色の瞳を見たら、どうでもよくなってしまう。

「そっか、話してくれてありがとう。」
「いや、俺は…っ。」

不安そうな顔。苦しそうな顔。
名前は鶴丸の心中を察した。彼は優しい神様だ。こんな風に戦いに巻き込まれることを、良く思ってないんだろう。

そうやんなぁ、と名前は自嘲する。岩融を救うのに夢中で指示を出していたけど、ついさっきまで、戦うのを躊躇って逃げていたのは、他ならぬ自分だ。

「後悔してる?連れて来たこと。」

名前の問いかけを受けて、鶴丸は自分の気持ちに目を凝らす。

…後悔?
ここにくれば、血生臭い戦に彼女を巻き込むことになるとわかっていた。…わかっていたはずだ。それからも遠ざけて、笑わせていられると思っていた。
敵のどろりとした感情には触れさせず、傷ついた自分たちを見せないで、居られるとさえ思っていた。
それは自惚れにすぎなかったのだ。

彼女と話して、変化する彼女の表情を見て、いろんな想いが渦巻いた。そのどれもが、失い難く、愛おしいものだ。手放したくない。まだ、傍で見ていたい。

後悔の種があるとすれば、名前を危険にさらしている今だ。

ぎゅと唇を噛んだ鶴丸に、名前は息をつくように笑ってみせた。
「…後悔させへん。」
この場に似つかわしくないような、軽やかな声が降ってくる。
は、と鶴丸が顔を上げる。

「連れてきてよかった、って思わせたげる。」
そのためには、強くならないと。
鶴丸が言っていた、守るために戦う、ということは、こういうことだったのか、と名前は身をもって知った。

仲間を救うためならば、敵の痛みなんて、向こうの事情なんて、構っていられないのだ。
相手が、感情の読めない怪物の姿をしていてよかった、と心底思った。

人は、変わる。変わっていく。
悠久の時を生きる神様からは、考えつかないほどの速さで。
鶴丸国永は、眩しいものを見るように目を細めた。

変化すること、成長すること、それは良くも悪くも、誰にも止められない。
手折って囲うことが、惜しいくらいに頼もしい。

大切なものに悲しい顔をさせないためならば、人の子は、何にだってなれるのだ。

「第三部隊も出陣しよう。」

野に咲き、風に吹かれてしなる花の、やわらかな強さの美しきこと。


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