願い事


飛び込むように小雲雀が内門をくぐり抜けると、すぐさま声がかかった。

「主…!怪我はない!?」
駆け寄ってきてくれたのは加州清光だ。
「うん、大丈夫…!岩融が!」
その一言ですべてを察してくれたらしい、加州が名前に手を伸ばす。
「こっち、みんな準備出来てるよ。」
加州の手を借りて、馬から降りた名前は頷く。
となりで名前の顔を見上げる今剣の小さな頭をそっと撫でて、駆け出した。
「急ごう。」

厩の傍の広場に、刀剣達が集っていた。

あるじ、あるじ、と掛かる声に名前は少し安堵する。帰って来れた。
禍々しい敵に注ぎ込まれた恐怖を拭うように、刀剣たちは自らの魂を帯びて、主の帰りを待っていた。

加州と堀川が検非違使の存在を感じ取ってから時間にして約10分程度。めまぐるしい情報共有により、戦支度が整えられたところだった。

名前はざっと皆の顔を見渡す。
庭には本丸内の全刀剣が集合しており、そのすべてが戦装束に身を包んでいることを理解して、口を開いた。

「私は大丈夫。でも岩融が一人で戦ってるから、すぐ援軍送りたい!」
よくとおる澄んだ声。
名前の表情に曇りはない。それを見て、彼らは不敵に頷いた。

今まで通りだ、何もかも。
不測の事態であろうと、この子の指揮に従えば、必ず勝てる。

形が変わっても、同じだ。
どんな敵だろうが、みんなとなら勝てる。誰ひとりとして、欠けることなく。

そう思わせてくれるだけの時間が、隔たりの向こうで、共に流れていたのだ。

ひどく落ち着いて見える名前は、実のところ無我夢中だった。
戦うその理由なんて、考えていた自分のことさえ、すっかり頭から飛んでいる。
まるで耳の中で鳴っているみたいに、どくどくと心臓がやかましい。それでも、彼女は自分がすべきことをしっかりと知っていた。

すうと息を吸い込む。
空に立ち込めている暗雲とは裏腹に、さらりと乾いた空気が肺をひやす。

まずはじめに、岩融を助けること。

「第一部隊に長谷部とまんばちゃん、明石、膝丸、骨喰。打刀は投石兵、太刀は軽騎兵つけて、骨喰は弓兵で、出陣する。馬乗って!」
返事がかえって、五人がすぐに動き出す。

なんで俺だけまんばちゃんなんだ。俺が写しだからか…と山姥切は思わなくもなかったが、そうも言ってられない。名前は大真面目である。必死なときこそ、習慣が出てしまうのだ。

次に、敵の足をとめること。
上ずりそうになる声を、なだめて言う。

「第二部隊は歌仙、和泉守、同田貫、大倶利伽羅、陸奥守、加州。全員投石つけて、竹やぶ抜けたところで横隊陣。石投げて、敵を堰き止めて。」

六振り、ひとりひとりの目を見て言う。
銘々に頷いた表情を、名前はとても頼もしく思った。

「主、準備が整いました。」
すぐに長谷部から声がかかる。
うん。と名前はそれに答えて、馬上の皆を見上げた。
「長谷部とまんばちゃんは帰り道で第二部隊に合流して。膝丸と明石と骨喰の三人で岩融を連れて帰ってきて。骨喰は偵察もしてきてほしい。」

「かしこまりました。」
「承知した。」

やはり俺の名だけちゃんと呼ばないのは、….俺が写しだからか。とうつむきかけた山姥切の思考を絶って、名前が声を張る。

「全員、ちゃんと帰ってきてな。何回でも、勝つまで治して戦うから、折れやんと戻ってきて。」
抑えていた声が浮いてしまう。

ずっと好きだった彼らが、ここに居るんだ。
立って、歩いて、ご飯を食べて、笑って、話して、触れ合って。
そうして、紛れもなく、生きている。

胸が震えた。
彼らを失くしてたまるものか。

なんでもいい、みんなが死なないなら、消えないなら、なんでもする。それが、それだけが今、名前を奮い立たせる唯一の願いだった。

そのためには、勝たなければならない。

退却は、敗北ではない。
何回でも何回でも、手入れをして、敵が消えるまで、戦う。自分が死なない限り、これは勝ち戦なのだ。大丈夫。胸の中、言い聞かせていないと、あの殺意の篭った眼差しに、射殺されてしまいそうだった。

名前は無意識下で、彼らを刀として受け入れていた。そして今、刀剣男士を扱って、戦をはじめようとしている。
彼女の頭の中には、どうすれば、誰も折らずに勝てる?という問いかけが、絶えず、絶えず繰り返されていて、そのまなざしは、ただ自分が望む未来へと向けられている。

刀剣たちは、その目を知っている。
眩しくて、切ない。儚いからこそ強い。
願いを賭けて刀を振るう、主の目だ。

戦場を駆けた名刀たちは、かつての主の面影を、名前のその横顔に見つけることができただろう。

ひどく懐かしいような、あの日がありありと、ここにあるようだった。

注がれる視線に、名前はくるりと周りを見渡した。
静まりかえった空気を感じて、それから、笑顔を作った。
「…さくっと勝って、みんなで一緒にごはん食べよう!がんばって!」
お腹が空いているのか、もしくはシリアスには向いていない性格なのである。

笑い方を思い出すような、ぎこちない表情だったけれど、それはぴんと張り詰めた彼らの呼吸を柔くするには充分な所作だった。

「かしこまりました。」
長谷部が勝気に口角をあげる。
「…ああ。」
ふ、と緩んだ口元を隠すように山姥切は布をかぶり直した。
「わかった。」
鯰尾だけが気付くくらいの僅かな変化で、骨喰はゆる、と目を細める。
「俺に任せておけ。」
膝丸が得意げに頷いて、
「はいはい。はよ終わらせて休ましてもらいますわ。」
明石が安心したように肩の力を抜く。

「いってらっしゃい。」
名前の声を合図に、第一部隊が駆け出す。

「主。僕たちも、もう出られるよ。」
歌仙兼定が、名前の隣へ立つ。
視線を交わして、歌仙がふ、と感慨深げに息をした。

「まさか、主とこうして並んで戦える日が来るとはね。」

覚束なかった、盤のむこうの、あの指先。それがいまや背筋を伸ばして、指揮をとっている。
敵に臆することなく、まっすぐに、自分たちを信頼している。

「うん。私も変な感じ。」

眉根を寄せて、どこかむずがゆそうな名前の顔を見て、歌仙は心苦しくなる。重いだろう。いのちを振るう重責を、こんなに小さな肩に背負うなんて。
そんな思いを知らずして、名前はそっと、こぼすように言った。

「でも…ずっとやってたことやから、大丈夫。みんな強いもん。な?」

な?のところで、名前が歌仙の瞳を覗いた。私は、誰も失わずに済むよね?という確認のようだった。

歌仙は目を僅かに見張り、それから顔を綻ばせる。そうだったね、君は、これまでずっと、僕たちのことを大切に使ってきたんだから。
その形が、すこし変わっただけだ。

「ああ。君が築いてきた強さは、僕がよく知っているさ。」
歌仙は安心させるように、名前の背に触れる。大きくてひろい手のひらは、じんわりと温かさをもち、胸にかかる靄を晴れさせる。

「…うん。…よろしく、歌仙。勝とう。あ、中傷なった子は、一回帰ってくるようにしてな。」
「承知したよ。いってくる。」

第二部隊の皆が名前を見る。

歌仙、和泉守、同田貫、大倶利伽羅、陸奥守、加州。
誇らしく精悍な眼差しはまばゆいほどで、名前はやはり、彼らを愛おしく思った。

「いってらっしゃい!」
背中を押されるような声に頷いて、第二部隊が駆け出す。

背にかばう大切なものに、彼らの心はいっそう研ぎ澄まされて、光った。
形のない暗雲さえも切り開くように、冴え冴えと。

ーーさて。

名前と刀剣たちの存ぜぬところで、この様子を俯瞰する二つの眼があった。

審神者なる者とは、眠っている物の想い、心を目覚めさせ、自ら戦う力を与え、振るわせる、技を持つ者。

その目はほう、と興味深げな色を浮かべて悠々と細められる。
答えを探すように飢えたその瞳は、怪しげな光を宿して、剣呑に、行く末を見ていた。

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