せなかあわせ

がらがらと唸る雲。
空気が不穏な生暖かさを持って、足元の芝をなでつけながら走っていく。

「雨?」
首を傾げた名前からは、今剣と岩融、二人の表情が見えない。突如張り詰めた緊張感に追いつけず、胸騒ぎだけがざわり、葉の揺れる音と重なる。

岩融と今剣は、何度も何度も自身の感覚を疑い、目を凝らした。どくどくと、胸を嫌な動悸が突きあげる。
風に溶けて、泳いでくる殺気を肌が感じ取って、ぞわり、それは確信に変わった。

岩融が静かに言う。

「今剣よ、主を本丸へ連れ帰れ。」
「いわとおしは、どうするつもりですか!?」

何があったの、と名前が言葉にするのを遮るようにして、がらがらがら、びしゃん!!と鼓膜をつん裂く雷鳴が轟いた。
言葉を紡ぐはずだった喉がひっ、と息を飲む。

丘の下に、落雷。

落ちた火花の下で、土煙に見えた黒い塊が電光を纏ってむくりと起き上がる様が、名前の目にも、確かに見えた。

「あれって…。」
検非違使だ。目に痛いような青の光が禍々しく、どろりと体から垂れている。

わらわらと、黒い塊が形を成していく。
ひとつ、ふたつと増えていく空虚な眼が、酷く飢えたようにぎょろりとこちらを向いた。
目が合ったとき、どくんと心臓が掴まれたようになって、気味の悪い汗が背を滑り降りた。

恨みだろうか、怒りだろうか、それよりももっと重たくてどろりとしたものが、がらがらという雷鳴になって、けたたましく空気を揺らす、揺らす。

これを殺気と呼ぶのかと、名前は静かに知る。呼吸がつまりそうになって、深く息を吸った。

膠着した空気、それは一瞬のことだった。
岩融が叫んだのと、敵が吠えたのは、ほぼ同時。
しかし、名前の耳には岩融の声だけが、きちんと聞こえた。
「今剣!早く行くのだ!!主よ、ここは俺に任せてもらおう!!」
言いながら薙刀をその手に、ぶおん、と風を切って、岩融が構えた。纏う空気が変わる。

「待って、岩融!」
雷鳴、雷鳴、呻き声。それにまっすぐぶつかる、岩融の笑い声。
「がっはっは!相手にとって不足なし!狩り尽くしてやろうぞ!!」
望月が地面を蹴る。じゃらり、岩融が身に纏った数珠が、手を振るように風に踊った。

「…。」
今剣が歯をくいしばって、手綱を引く。小雲雀が踵を返した。
「岩融!折れやんといて!!」
名前がやっとの思いで絞り出した悲痛な声を残して、背中合わせになった二対の馬は、踊るように駆け出した。

丘を駆け下りる岩融は名前の声を聞いて、にやりと笑みを浮かべた。わが主が、なにを言う。これまで共に、いくつの刀を狩ったか忘れたわけではあるまい。

「俺は岩融、武蔵坊弁慶の薙刀よ!!折れるものか!主よ、俺の強さは、お前が一番心得ているだろう!!」
岩融の背を押すように、どこからかやってきた桜の花が吹きつける。視界の片隅で花弁を捉えて、岩融は笑う。

俺がこの身を振るう限り、主を傷つけさせはしない。指の先の先まで、力が灯るのを覚えて、不敵な笑みが零れる。

今剣と名前を乗せて、小雲雀は竹林の中を駆け上がる。
名前は泣きそうになって、勝算を探す。カンスト岩融といえど、検非違使に単騎はさすがにしたことがない。刀装は、金槍付けっ放しやったはず。お守りは全員に付けてたから、多分持ってる。

早く戻って、みんなを呼ばないと。呼んで、それで、間に合うのか?間に合わなかったら?
嫌な想像が胸を這い上がりそうになった時。

「だいじょうぶですよ、あるじさま。」

名前は今剣の背中を見た。小さな背中はまっすぐに前を見据えている。
きっぱりと力強いその声には、迷いも憂いもなく、名前の瞳をひらかせる。

ずっと近くで、ずっと一緒に居た今剣は、きっと誰より岩融の身を案じているだろう。

だけどそれでも、だいじょうぶって言うんだ。

「いわとおしはおれません。」

失うことの怖さよりも、もっと大きく、今剣は岩融を信頼している。
それが、名前の心にもすんなりと染み込んで不安を溶かした。

「…うん。」

凪いだ名前の声に、今剣は安心し、手綱を握りなおした。

こえ、ふるえてなかったでしょうか。あるじさま、ないてないですよね?
いまはぼくが、あるじさまをまもらないと。いわとおしにあわせるかおがありません。

赤と橙の瞳は、その身に紡がれた物語をなぞるように思い起こして、前へ。

もう、あのときのようなおもいをするのは、ごめんです。

『れきしをかえては、なぜいけないの?』

過去の先に、今の我らが在ると言うのなら。
では今の先にある未来なら、変えられる。

…そうでしょう?



「ねぇ、いわとーし、いまのあるじさまは、どんなおかたなんでしょう?」
「んー?そうだなあ、俺は強き者だと思っているぞ!刀狩りに迷いがない、豪放磊落の猛者であるとな!!」

もさ。
今剣は、名前の現し身を見た。
もさ、という言葉に、首をかしげる。
「こんなおんなのこのみめをしていても、ほんとうはべんけいのような、おおおとこなのでしょうか。」
「がっはっは、人の心は見た目だけでは測れぬものよ。」

可憐な着物に身を包んだ大男を想像して、今剣はすこしげんなりした。

「…今剣は、どう思うのだ?」
「はい?」
「今代の主のことを、どう見る?」

「うーん、そうですね、」
名前の現し身を見た。人の心は、見た目だけでは測れない。岩融のその言葉を口の中で咀嚼して、目を瞑った。
閉じた瞼に、木漏れ日がきらきらと触れる。瞼の裏は赤色。生きている、命の色をしている。
そのむこうから耳に届いたのは、本丸の中、あちこちから聞こえる笑い声だった。

「…あたたかいひと、でしょうか。」
言いながら、目を開けた。
「ほう。」
岩融が、にこやかに笑って、今剣と目を合わせた。今剣は、照れ臭そうに笑んで、言葉を続ける。
「みんな、しあわせそうにしていますから。」

ぬしさまのために花をつむのだ、と張り切って出かけていった小狐丸。主の健康を祈祷するのだ、と石切丸は言うし、三日月はしばしば彼女を膝に抱いて日向ぼっこをしている。

その皆が一様に、嬉しそうににこにこと笑っていた。

「きっと、あるじさまはしあわせをつくれるひとですよ。」



足元、爆ぜる土埃。
たくましく地面を蹴り上げて、駆ける、駆ける、駆ける。
めまぐるしく景色は後ろへ飛んで行く。ぐんぐんと加速して、体温はどんどん後ろへ取り残されるように、馬の呼吸に合わせるように、体が跳ねる、息が上がりだす。

そのさなか、ひゅん、と何かが風を切る音。
とす、と地面に刺さった弓矢に、名前は目を丸くした。

「あるじさま、たずなを!」
「っわ、はい!」
今剣が名前の肩を越えて、彼女を庇うように馬の背に立つ。

走ってる馬の背中に立つって、いまつるちゃん体幹すごい。と名前は驚きで思考を飛ばした。だがそれも一瞬のこと。きぃん、と弓を叩き落とす音に、緊張が戻る。

とす、とすとす、地面に矢の雨。
「あるじさまにはゆびいっぽんふれさせません!」
振り払うのは鞍馬の小天狗。なんて頼もしい。

名前は前に向き直る。急げ、急げ。
そこへ、カーンカーンカーンと警鐘の鳴る音が聞こえた、どうやらもう本丸のすぐ近くまで来たようだ。
カンカンという鐘の音は、山に、地面に反射して、爛々と、胸を急かす。
弓が止む。飛距離の放物線を越えたのか、はたまた岩融が倒してくれたのか。

名前は頭の中で皆の練度とステータスを思い起こして、部隊編成を作る。
まず岩融を連れ戻す機動重視の部隊。これに偵察も兼ねてもらおう。相手は検非違使だ、短刀たちを使うのは、極力避けたい。
次に、バリケードが欲しい。
それから高打撃の遊撃部隊で殲滅を図る。

敵が屋敷に着くまでに、勝ってしまおう。
誰も折らない。折らせはしない。

飛ぶように、竹林を抜けた。



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