暗雲、遠雷、蹄の音


「あるじさまは、ぼくのうしろですよ!」
本丸の片隅、厩の隣、名前は今剣に連れられてそこに居た。
馬に乗せてもらうという約束をしていたのだった。

先ほどの部隊編成騒動でうっかり忘れかけていたけれど、あの謎の采配には従わぬよう歌仙が皆に呼びかけてくれるらしいので、ひとまず急を要することはないだろう。

なにより、手動での出陣方法をこんのすけに聞きたかったが、こんのすけ不在のいま、名前には何もやりようがなかった。

何か有事の時のために、名前は本丸のことをできるだけ知っておきたかった。ひろびろとした屋敷、畑、その向こうには塀がある。名前はこの塀の中が本丸の敷地だと思っていたが、違うらしい。

皆の話によると、門を出て、竹林を抜けて、さらに丘をおりて、その向こうにもうひとつ、ぐるりと囲いが張り巡らされているという。
その囲いの内側はすべて、本丸内であり、なんと山ひとつ含めてすべて好きに使っていいとのことだ。

昨日髭切が裏山サバイバルを提案したのも、この本丸のうちに山も入っているかららしかった。
山伏、庭で山籠りできるやん。と名前は思った。渓流もあるらしいから、キャンプとかもできるやん。とも思った。すごいな本丸。

敷地のいちばん外側をぐるりと囲む塀。
そこに大外の門があり、出陣の際は、その門が時空間を超える装置となるらしい。

そんなどこでもドアみたいな。どこでも門と呼ぶべきか、すごいな未来。と名前は素直に感心し、一度そこまで行ってみたいと岩融と今剣に伝えた。

この時名前は、本丸内は安全であると思い込んでいた。いや、そもそも、この場所に危険が及ぶという可能性自体を考えもしなかったのだ。

そもそもこの本丸が、名前の知りうる世界の"どこ"にあるのかさえ、検討もつかない。
平和を絵にしたような、春うららそのままの景色に、警戒のしようもなかった。

立派な鞍と手綱をつけた馬が二頭。
望月と小雲雀。隆々とした筋肉、艶やかな毛並み。
さすがは石切丸専用馬である。
平均的な馬がどんなもんか知らない名前の目にさえ、とても逞しく映った。

「俺が乗せてやろう。」
岩融にぴょいと腰を持たれて、名前は馬へ跨った。今剣と二人乗りだ。
「あるじさま、ぼくにしっかりつかまっていてくださいね!」
「うん、ありがとう。」
手綱を握った今剣に腕を回すと、頼られるのが嬉しいのか、今剣がへへ、とはにかんだ。

岩融が望月へ跨り、手綱を引く。
ぐるり、望月が向きを変えてたかたかと足踏みをした。
倣って、今剣もまた器用に小雲雀を操る。

「がっはっは!ではこれより、本丸の果てまで、参るとしよう!」
「いざしゅっつじーん!」

二頭が並んで、門をくぐる。
なだらかな下り道を進む。ぱかぱかという心地良い蹄の音。いつもよりうんと高い視線に、新鮮な楽しさが湧いてくる。

しばらくして竹林へと入ると、チチチ、鳥の声が近く遠く藪を走り、いくつも聞こえる。

「鳥の声が聞こえる。」
「あれはなんですか、いわとーし。」
「ヒバリに、メジロも鳴いているな。」

葉の隙間から陽の光はまっすぐおりて、3人の頬を代わる代わる照らす。
しましま模様をくぐり、くぐり、進む。
みずみずしい緑の呼吸と、生きた土の香りが伸びやかに長閑をうたう。

「みんな、この辺までよく来るん?」
「はい!このまえは、たけのこほりをしました。」
今剣が名前を振り返って答える。
その時のことを思い出して、足をゆらり、楽しげに揺らして、話してくれる。
「だれがいちばんたくさんみつけられるか、きょうそうしたんですよ!」

へええ、と名前が笑う。
「楽しそう!」
たけのこ掘りかあ、小さい頃、幼稚園の裏山でしたことがあった。自分たちでとったたけのこの煮付けは特別美味しくて、みんなの好物にはしばらくたけのこが挙げられる、なんてことがあった。

「ああ、短刀たちは見つけるのがうまくてな、食べきれんだろうと半分も掘らずに戻ってきたのだ。」
岩融が記憶をなぞるように微笑んで話す。そのまなざしは大切なものへの慈愛が見てとれるようだった。
ほうと胸を暖かくした名前に、八重歯を見せてにかりと笑いかける。
「だからまだまだ残っているぞ!」
「またやりましょうね!こんどは、あるじさまもいっしょに。」
「うん、やりたい!」

やがて3人は、竹林を抜ける。
いつの間にか、風が止んでいる。

木陰を抜けて、日差しが雲隠れしていることに気がついた。
ほの暗い曇天模様の先で、雷が鳴っている。

「雨…?」

名前が首をかしげた。



同時刻、本丸。
お風呂掃除を終えた加州清光と堀川国広が庭に面する渡り廊下を歩いていた。

「はー。つーかーれーたー。」
襷掛けを解いて、加州が伸びをする。
「お疲れさま。兼さんもそろそろ終わる頃だね、みんなでお茶でも飲んでひと休みしよっか。」
「さーんせーい。和泉守は畑当番だっけ?」
「うん。さぼってないといいんだけど。」
堀川が苦笑いをした。

「昨日はだいぶ飲んでたよねーあいつ。平気なの?」
「主さんが来てはしゃいでたみたい。朝にはお酒も抜けてたみたいだから…」
たわいない話。その途中で加州が空を見上げて、ぴたりと足を止めた。

軒先の向こう、庭のずっと向こう、正門の彼方上の空に真っ黒な暗雲を見つけた。
「ねえ、堀川、あれって。」
加州清光の切れ長の目が震えるように開かれて、赤い瞳が揺れる。

何かを吸い上げるように、不穏に膨らむ暗雲は、ばち、ばちと雷を纏って、少しずつ少しずつ裾を広げて、地上へと手を伸ばしている。

振り向いた堀川国広もまた、言葉を止めて目を見開いた。

どんがらごろごろ、と鳴る雲。
よく知る前兆に、二人はぞわりと背を撫で上げられる。

あれは、戦場にしか現れないのではなかったのか。

「検非違使。」
「なんで。」

どうしてここに?
未だかつて本丸に敵が攻め込んでくることなどなかった。いつだってこちらから、時空の門を超えて、敵地へ赴き、歴史修正主義者を討ってきた。

それが、どうしてこの本丸の向こうの空に、現れようとしているのか。考える暇などない。

顔を見合わせた二人は弾けるように駆け出した。
「あるじ、主はどこ!?っ俺、探してくる!」
「僕は歌仙さんたちに!清光、みんなを集めるよ!」

本丸の平穏な空が隠れてゆく。
ヒバリやメジロの鳴き声は、聞こえない。




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