花風に舞う

ふわ、と名前の後れ毛を持ち上げて、前髪をひと撫で。花びらを連れて、はしゃぐ春の風。
すう、と息を吸いこむ。大きく吐き出して、日の光に温められた新しい空気を吸い込んだら、胸の中が洗われる。

さんさんと揺れる、花弁を透かしてそそがれる太陽に撫でられて、自分の小ささを思い出して、胸が空いた。

桜の木を見上げる。ひら、ひら。止めどなく、同じ速さで、降り積もる花びら。

ひら、ひら。
ひら、ひらひら。
ひらひらひらひらひら。
なんか多…?と名前が訝しんだ時、ぶわっ。どさっ。頭のてっぺんから桜のかたまりが降ってきた。歌仙なら、風流を返せ!と怒るところだ。

「っははは!驚いたか!主の桜付けというやつだ。」
「鶴丸…?」
ぼうっとしていたから、驚く暇もなかった。名前は呆気にとられて、まじまじと鶴丸のことを見上げる。
名前の顔を見て、鶴丸は内心小首を傾げる。楽しげな表情は崩さぬまま、名前の変化に気づく。

「…花見なら、ここに座るといい。」
脱いだ上着を芝生に広げて、鶴丸が名前を促す。
「汚れるよ?」
名前が答えるのを待たず、鶴丸は広げた上着の上に座ってしまった。
「ふっ、もう遅いぜ。ほら、どうせならきみも座っておけ。」
とすとすと隣を叩く、鶴丸の笑った顔に説得されて、名前もまたそっと腰を下ろした。

木漏れ日はやはり呑気に、風と踊るようにちらちらと落ちている。
桜の花びらは、かわるがわる、つるりと空中をすべる。

「浮かない顔をしているな。何があった?」
何かあったのか?ではなく、何があった?と言われてしまった。鶴丸国永、彼の観察眼はやはりあなどれそうにない。

そっと言葉を待つように、瞳を覗き込んでくる。
名前はなんと言えばいいのか、鶴丸を見つめ返して口を開く。

「…みんなのことを自分のものやと思ってるってことに気付いて、…もやもやしてて。」
「…?、俺たちは、きみの物で合ってるぜ。」
「そうじゃなくて、」

ああ、と、鶴丸は名前の顔を見て思い当たった。昨日の夜の左文字兄弟とのやりとりの時もそうだった。
この子は、俺たちを″物″だと割り切れないでいるらしい。

「ああ…なるほどなぁ。まあ今でこそこんな風にきみと話ができる上に、こうして、」
言葉の途中で名前の頭へとそっと手が伸ばされる。髪についていた花びらをするりと取って、鶴丸は言葉を続ける。
「きみにいたずらを仕掛けることだってできる。…人みたいだよな。だが…」
切なさを隠して笑えているだろうか、鶴丸国永は自問した。彼女と、自分は違っている。身体が在っても、心が在っても、違う。どうやったって俺たちは…
「俺たちは刀なんだ。…紛れも無い、きみの″物″だぜ。」

言いながら鶴丸は、依り代である刀を名前へ渡す。
「う、わ。」
初めて日本刀を持った名前はおっかなびっくり膝の上へとそれを降ろす。
鶴丸は名前を抱えるように、腕を回した。腰のところから出た左手で鞘を持つ。右手を名前の右手と重ねて、柄を握った。そのまま、すうっと、刀を抜いてみせる。

鈍色の刃が覗く。それは木漏れ日を弾いて鋭くぴかり、水面のように光る。

「これは鶴丸国永という、きみの刀だ。きみの刀は、きみを守るためのものだ。俺たちの身も心も、そのために在る。」

眩しく、魂は光った。春の麗らかな陽射しのもと、名前の小さな膝の上で。

かしゃん。抜きかかった刃を戻して、鞘から手を離した鶴丸は名前の頭をもふりと撫でた。骨張った指、大きな手のひらに誘われるように、名前が顔を上げる。
「俺はきみの物だと言ってもらえて嬉しいぜ!俺だけじゃない。それは俺たちみんな、そうだろう。」

この刀こそが、鶴丸国永だ。
九十九の時を重ねて、いま名前の手に在る。

互いの目に、互いが映っているのが、途方もなく不思議に思えた。

名前は鞘をひと撫でする。膝の上のずっしりとした重みを感じる。丁寧に施された拵えの、鎖がしゃらりと鳴った。

「こんなにいいもの、もらっていいんかな?」
「ああ。元よりきみのものだ。」
「…そっか。ありがとう。」
刀へと注がれる、名前の視線は柔らかい。宝物を慈しむような、まなざしをしている。

「戦うのって痛くない?」
「痛くないさ。」
名前の、ぜったい嘘やん。という視線。
「…んー?なんだその目は?信じてないな?」
「痛いくせに。」
「ああ痛い。だが、痛い、だって、何もないよりずっと良いさ。」

身体を得て、あたたかさを知った。雪の冷たさや、夏のせせらぎの清らかな手触りだって、秋、落ち葉を踏む感触さえも。
こんなにも鮮やかに、心は移ろい世界を映すなんて、ずっとずっと知らなかった。

遠くを見る鶴丸の横顔に、名前は何も言えなくなった。

「それが、きみと同じに生きているということだろう。」
鶴丸が落ちてくる花びらを捕まえる。
「桜の花びらがこんなに柔いことも、きみが教えてくれたんだ。」

「俺たちを使って敵を倒すのが心苦しいのなら、しなくていい。その代わり、俺たちの願い事を叶えさせてくれ。」
「うん、願い事ってなに?」
「俺たちの願いは、敵を殺すことじゃあない、きみを生かすことだ。それを叶えるのに、つきあってくれ。」

「…それって結局一緒じゃない?」
「いいや!大いに違うぜ。まず、モチベーションからして大きな差がある。」
「ふふ、…ずるいなあ、鶴丸は。」
名前の屈託無い笑顔。
やっと笑ってくれた。それを見て鶴丸は、もう言ってしまおうか、と思った。

きみを連れてきたのは俺のわがままだと。
どうか俺たちに後ろめたさなど覚えないでくれ。
どうしてもきみに会いたかった、俺の身勝手を許してほしい。

そう喉元まで出かかったとき、隣に居た名前がすくっと立ちあがる。
鶴丸の刀を胸に抱いて、彼女がくるりと軽やかに振り向く。

「…鶴丸に会えてよかった。」
ふわりと微笑んで言ってのけた名前に、鶴丸は言葉を見失なう。

「ありがとう。」
さんざめく桜が彼女の髪を、肩を、指先をすべりおりて、鶴丸の頬に触れた。
時間が、とまったかと思った。

ひら、ひら落ちていた桜の花びらが、空中で一瞬落ちるのをやめた。そして、びゅお、と彼女の背中を押すような追い風に舞い上がる。一斉に、強く。

迷いを連れた花風が、雲を押しのけて空へ飛んでいく。

君と戦おう。
世界や歴史なんて大それた使命はいらない。ただ共に、同じ時間を生きるために。

名前が刀を鶴丸国永へと差し出す。
自分の腕で振るうことはかなわないであろう、美しい日本刀。

「はい。なるべく傷付けないように、大事に扱ってな。…私の刀やから。」
そのいたずらに笑った顔がとても眩しくて、鶴丸は目を細めた。

「ああ、拝領しよう。」
人の身を得た鶴丸国永は、きれいな動作で立ちあがる。名前と向き合うと恭しく礼をして、両手で刀を受け取った。

「…ふふ。」
芝居がかった仕草が可笑しくて、名前は笑う。
やってやろうじゃあないか。
決意の灯火が、瞳の奥に宿る。
私以外の誰にも手綱は渡さない。誰ひとり後悔させずに、最後まで、共に居られる時間を守ろう。

そのとき、今剣が手を振りながら駆けてくるのが見えた。

「あーるじさまー!いっきますよー!」


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