ちょうちょの羽ばたき

「あ、こら、鶯丸!」

歌仙の制止も意に介さず、鶯丸が手近な板を掴んだ。だが、盤にしっかりと張り付いていて、取れない。

「鶯丸、何してるん?」
「気にするな。」
「…気になるけど。」
名前が湯呑みを歌仙に預けて、鶯丸の元へ近付く。
隣に立って、鶯丸と目が合う。主もやってみろ。と視線で促されて、手近な板へ手を伸ばした。

畑当番:和泉守兼定、大倶利伽羅

『和泉守兼定』を手に取った。それは冷蔵庫のマグネットのごとく、すんなり取れる。

「えっ取れた…。」
名前は驚いてすぐに板を元に戻す。今度は鶯丸が『和泉守兼定』に手を伸ばす。
ふっという呼吸、指先にぐっと力が入るのが見えた。

間。

「…主以外には動かせないらしい。」
「ね。」
「この裏はどうなっているんだ?」
「裏とか見れるの?」

ふむ、といつもの柔和な表情のまま、鶯丸は盤と壁の間に手を差し入れて、盤を引き剥がしにかかる。
すらりとした背中に力が込められて、ぎぎぎという音。
「ちょ、鶯丸、壊れる!」
「主、見てみろ。」
めきめき。
「なにして、」
「はやくしろ。」
めきめきめき。盤は、上部を支点として壁と繋がっているらしい。風に浮かぶカレンダーのごとく、壁との間に隙間ができる。モデル体型のどこからそんな馬鹿力が出てくるのか?いや、そんなことを考えている場合ではない。

中を覗けという。鶯丸の考えていることはよくわからないけど、何か思うところがあるのだろう。
名前は鶯丸の腕のうちに潜り込み、そっと、隙間を覗いた。

盤の裏は奥行き2メートルはあろう空間だった。そこに張り巡らされた配線は、まるでなにか一つの生き物のように、複雑に絡み合って形成されている。
盤の裏からは、幾多のコードが伸びていて、なにかの精密機器であることが見てとれる。

過去からの命令を伝達していたのだから、これがただのまな板やコルクボードでは無いことは想像していた。

しかし、その機械の中に、ひときわ異質なものがある。
名前は目を疑ったが、それでもやはりガラスケースの中で薄く光を浴びているそれを見て、理解し難く眉を寄せた。

「…桜がある。」
「やはり、主にも桜に見えるか。」
「…見える。」

一折りの桜の枝があった。枝を張り、みずみずしく花をつけた桜の枝がひとつ。ガラスの箱の中で呼吸するように、そこにあった。

それは、無機質な機械の中で異彩を放っている。どこかの物好きが機械の修理に持ち込んで、中に置き忘れたのだと考えたほうが自然なくらいだ。
だけど、ガラスケースから伸びるいくつもの配線が、この桜もまた装置の一部であることを物語っている。

「主、閉じるぞ、下がってくれ。」
そろそろ腕が保たない。鶯丸に促されて、名前がするりと胸元から抜け出す。

ぎぎぎ。盤が元の位置に戻り、鶯丸は満足気に息を吐いた。
「ふう。いやあ、たっぷり働いた。」
「たっぷり働いた、じゃあないだろう。力任せにして、壊れてしまったらどうするつもりだい。」
歌仙がぷん、と鶯丸を叱る。

蘇る朝の記憶、すっかり消えたはずの脛についた畳の跡が疼いた気がする。戦闘開始のシャキン!という音が脳内再生された。説教の気配を察知した名前は、そぅっと下がり、安定と信濃の元へ。

あーあ、という表情のふた振りと顔を見合わせたら、信濃が「俺が隠蔽してあげる。」とまた名前にくっ付く。腕ごとぎゅうと抱擁されて、顔が近い。赤髪の少年にハグされたら、むしろ目立っている。

鶯丸はおおらかな目で名前を見た。
「いいんじゃないか。主がここに居るんなら、使うことはないだろう、この板も。」

きっとその穏やかな眼差しは見透かしている。名前の不安や焦燥。自分以外に、誰かが指示を出す可能性への、怯えまでもを。

歌仙も、名前の不安は承知の上だった。しかし彼は、戦争をしている者の存在、それらが名前を今後どう扱うのかというおおよその推測も、冷静に行っていた。
おそらく政府から接触があるに違いない。彼女を正式に審神者として任命するのか、…それとも…。いや、審神者として任命されるように全力を尽くそう、と彼は考えていた。

「…それとこれとは話が別だよ。本丸の備品を壊したとなったら、主に対する政府の心象を損ねる可能性もある。」
「しかし時の政府とやらが、こちらに干渉してくることがあるのか?」

鶯丸の考えももっともであると歌仙は頷いた。未だかつて、時の政府と呼ばれる組織の人間が本丸へと姿を見せることはなかったのだ。

しかしながら、本丸を作り、初期刀を選ばせ、戦争をしている誰かが居ることは明白。

「政府、では無くとも、ここを管理する者がいることは確かだ。いまは、相手の出方を待つ方がいいだろう。」

歌仙の言葉に納得したらしい、鶯丸はあっさり頷く。もとより、彼はあまり物事に固執しない。個々の好きにすることが、全体の最適化を図ると考えている節がある。

「…それもそうか。なら壊さないでおこう。」
「はぁ、…そうしてくれ。」
「すまなかったな。」
「いや、君の考えも分からなくないさ。」

歌仙は、名前に話すべきことを頭で整理しながら鶯丸に湯呑みを返す。

やはりあのとき、主に言っておくべきだった。僕たちの何人かは、主の世界においてゲームの中の存在であるということを、知っているのだと。
その上で、君の采配を知り、君の人となりを感じ、君のことを慕っているのだと。

いまこの場で伝えるには、少々憚られた。言うのなら、きっちり時間を取って話したい。また時間を貰って主へと伝えよう。
歌仙は心中で静かに頷く。
ひとまずは、この盤の指示に従う必要は無いと本丸中の刀に伝えるのが近侍としての役割だ。

場が凪いだのを見計らって、名前が口を開く。鶯丸と歌仙のやり取りを聞いて、歌仙とならこの本丸の外側について話せそうだ、とあたりを付けた。
しかし名前もまた深く考えず、またあとで時間をつくろう、と今は改めて、盤を見上げる。

「…誰なんかな。」

身に覚えのない編成が、再び目に入る。皆がこの命令には従わないと解っても、名前の胸に燻る不快感は、やはり消えない。

誰だ?
誰だか分かれば、対処方法だって考えられるのに。

そもそも、私がぐずぐずしていなければ、こんなことにはならなかったのだろうか。さっさと部隊を組んで、さっさと出陣命令を出していたら、横入りの妙な指示にこんな焦燥を覚えることなんてなかった。

戦うことが彼らの存在意義だ。今回のことで、皆が命令を待っているということを名前は知ってしまった。

もっと余計なことなんて考えずに、戦って。と言えたならよかったのに。

深刻な表情をしている名前の隣で、鶯丸が同じように編成、そして自分の名を見上げて、口を開いた。
「まあ、そのうちわかるだろう。」
「うん…見えへんのがこわいなぁ。」

眉根を寄せた名前を横目に、鶯丸は涼しく言ってみせる。

「姿を見せる勇気も無い奴のことなんか気にするな。…まあ、」
鶯丸がにこりと笑って、歌仙と大和守に視線を送る。
「…ここに現れたとて、首がいくつあっても足りないだろうが。」

えへへ、と大和守がはにかむ。
歌仙まで、まあそうだね、と胸を張った。
刀剣ジョークは、まあまあブラックである。

名前は、はは、とから笑いが出た。
「首級を膝に転がすのだけはやめてな。」
「あはは、そんな物騒なことしないよ。」
「君が嫌と言うならやめておくよ。」
…まだまだ不安が残りそうな返答に、名前は苦笑いを浮かべる。

そのとき。
ふわ、障子の隙間から桜の花弁が舞い込んで、名前の視界を横切った。

呼ばれた気がして、彼女が振り向く。そういえば、庭にはたくさんの桜の木があった。先ほど見た装置の中の桜について、何か分かるかもしれない。見るなら、記憶のまだ新しいうちの方がいい。

「ね、桜見てきて良い?」
「じゃあ俺がついていくよ!」
信濃のそれは、ついていく、というよりくっついていく、と言った方が正解に近い。

「信濃は僕と鍛錬。」
安定がつん、と信濃をつついた。
「えー。」
「えー、じゃない。強くなりたいんだろ。一期さんにも頼まれてるんだからね。」
「そうだけど…。」
信濃が名前の顔を不安げに見た。
主は?心細くないの?という視線に気付いて、名前が笑いかける。

「庭見えてるし、大丈夫。ちょっと考えたいから、ひとりでいいよ。」

名前は、自分の気持ちに折り合いをつけたかった。
こんのすけが戻ってきたら、出陣をしようと思う。知らない誰かに、おめおめと自分の役目を明け渡すなんて、やはり嫌だ。やってみれば、思うほど罪悪感なんて無いのかもしれない。どこかにある迷いを、伸ばして、綺麗にしまいこんでしまう時間が欲しかった。

名前の目から思いを汲んで、歌仙は、誰か手の空いてる者を呼ぼうか?という言葉を飲み込んだ。
気持ちの整理をする時間も、必要だろう。その上で主の意思を聞こう。と考えた。

物事は、いつも少しずつ動いている。
それはとめどなく、小さな子が、大人になるのとおなじように、変化してゆく。

「いわとおしー。そろそろ主さまのもとへむかいますよー!」
「ああ、では馬の準備するとしよう!」
馬当番と入れ違うように馬小屋にはいった今剣と岩融は、歌仙からの伝達を受けぬまま、乗馬の準備に取り掛かること。

「鶴さーん、どこ行ったのー?」
「…さあて、仕込みは上々。」
桜の花弁に埋もれる鶴丸を、光忠が見つけられぬまま夕餉の下ごしらえが始まること。

取るに足らない小さな出来事が、倒れては組み直されて未来を紡いでいく。

そしてそれは否応なく、何かをもたらすのだ。

自分の手で選び取れる未来は、無限に広がる幾億のうちの、ほんのわずかずつなのかもしれない。


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