呼び水


止まったような混乱と、行き場のない沈黙。

そんな中で、すすっ。鶯丸が持参していた茶を啜る音。間違ったSEのごとく伸び伸びと空間を泳ぐ。

すすっ。

鶯丸だけ緊張感から無重力。
さすが鶯の名を冠する刀。その身、軽やかに。美しいその鳥は、浮世をもろともせず優雅に春をうたうのだ。
…って?
えええええ。
名前は突っ込みたくてうずうずしたけれど、実際にそれをするには彼女はまだ若すぎた。これだけ重い空気の中で、ささやかな笑いの種に乗っかるには、あと20年は修行が要る。

…まず口を開いたのは同田貫だった。

「おいおい、俺が隊長かあ?俺は斬り込む専門だってわかってたんじゃねぇのか。主、どんな心境の変化だ?」
「うん、やっぱりそうやんなぁ、たぬきはあんまり隊長やりたくないんかなって思ってた。」

指揮を執るのが煩わしそうな台詞を言っていたから、同田貫を隊長にしたのは、はじめの一度きりだ。
そんな場合じゃないだろうが、名前はちゃんと慮ることができていたことを嬉しく思った。答え合わせで丸をもらった気持ちだ。

「あ?じゃあなんでこんな配置……おい、これ、アンタじゃねぇのか?」
同田貫が訝しげに板を睨む。
安定が苦く笑って、名前に尋ねる。
「この部隊、なんか、主らしくないよね。何があったの?」

救われたような、苦しいような心持ちで名前は答える。離れていても、らしさ、というものを知っていてくれたことが嬉しい。言葉を交わさなくても、確かに通じ合って一緒に居たことを、幸せに思った。

「うん。これ組んだの私じゃなくて、」
「ふん、だったら俺は畑仕事に戻るぞ。」
名前の言葉を遮って踵を返した大倶利伽羅を長谷部が制する。
「おい大倶利伽羅、」
「…必要ないだろ。こいつ以外の奴に指図されてやる義理は無い。」
「主をこいつ呼ばわりとは…!大倶利伽羅、待て!…主、失礼致します。」
部屋を出て行く大倶利伽羅を追って、長谷部も退室する。

突然のこいつ呼びにも関わらず、名前は得体の知れないときめきを覚えた。
なんだいまの。呆気にとられて、ぱちりと瞬きをする。

「ちぇっ、んだよ。アンタの命令じゃねーのか。なら出陣はまだお預けかあ?」
「同田貫…。」
「俺も鍛錬に戻るぜー。次からは主が使うときにだけ呼んでくれ。」
そうして同田貫も部屋を出て行ってしまった。

ぽかんとした頭の中で、名前の不安は、嘘のように消えていく。皆の言葉が、胸を潤す。まるで優しい雨みたいに。
何者か知らない誰かに、使われるかもしれないなんて、そんなこと起こるはずがなかった。

だって、彼らはずっと、ずっと名前と共に在ったのだから。

「おやおや。意外だ、と顔に書いてありますねぇ。」
宗三左文字が名前の顔を興味深げに覗きこんだ。
「えっと、…うん。びっくりした。」
「はあ。こんなの、僕だってごめんですよ。主でもない方に使われるほど、安い刀じゃありません。」
「…そっか。そうやんな。」
「では、お小夜が待っているので、失礼します。」
宗三左文字も、部屋を出る。

「…言うまでもなかったね。」
名前の隣にやってきた歌仙が、気遣うようにその背中をそっと撫でた。
ぴっと強張っていた背筋が、温かくて大きな手のひらで、ほう。と緩む。名前は、そっと息をついた。

すすっ。鶯丸のお茶を啜る音に、ようやく空気が歩調を合わせはじめる。

「大将大丈夫?懐入ろうか?」
「これってもう入ってない?」
名前の袖の下をくぐるようにして、まあまあ際どい角度で信濃藤四郎が抱きついている。

「へへ、いいでしょ…?俺だって大将じゃなきゃやだよ。」
見上げられた瞳のグラデーション。光泳ぐ、甘いビードロのようなそれ。
「信濃の素直さが眩しい。」
ぎゅむぎゅむと抱き着かれる。胸元の頭を名前はそっと撫でた。懐刀ってすごい、なにこの安心感。

「ほんと、あいつらみんな不器用すぎるよね。」
安定がいたずらに笑いかけてくる。その顔を見て、名前もまた、やっと笑えた。
見事なツンデレの三連単だった。

「ふふ、うん。なんか嬉しかったな。安定も、気付いてくれてありがとう。」
「いや、僕は…その…知ってたんだよね。」
「…?何を?」
安定がそっと名前のそばに寄って、密やかに、耳打ちする。
「何か別のゲームも、やってた?」
へ?吹き込まれた言葉の意味を理解して、理解したとたんに何が何だかわからなくなった。
「…っえ!ええ!うわあ、うわあ!あれって、これ!?」
言葉にならない。

にへっと笑って首を傾げた安定の、可愛さと、その台詞のギャップたるや。
混乱の渦中に引きずり込まれた名前は、言葉が出ない。

「大丈夫だよ。どんな方法でも、主が僕たちを大切にしてくれてたのには変わりないんだから。今度は僕が…、僕たちが、大切にする。」
笑顔に灯る、曇りなく蒼い蒼い瞳が強い。言葉がまっすぐに、じぃん、胸に響いた。
「じーんってなる。」
「あはは、まんま。」
「嬉しい。…これからも、大切にする。」
「うん。」

安定は心の中でひとつ頷いた。ちゃんと言えてよかった。この人は、きっと、考える人だ。僕たちのことを知っていて、思い遣ってくれる人だ。

好き、は伝わる。それは呼び水のように、胸の奥の渇いたところに触れてそっと、懐かしく甘い感情を蘇らせる。

「主、茶を頼む。」
「え?」
おもむろに鶯丸が名前へ湯呑みを押し付ける。
そしてなんの迷いも無く、さくさくと盤に歩み寄り、板へと手を伸ばした。



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