こんこんと募る


「案ずるより生むが易しです!主さま、鍛刀をはじめましょう。」
こおんとひと声高らかに、こんのすけが宣う。だんだんと頼もしさが増している。

「主、資材の量は日課レシピのおーる350でよろしいですか?」
贔屓の店のバーテンみたいに、長谷部が得意げに尋ねる。日課レシピなんで知ってるん?とは愚問。いつもこちら側で、任務を遂行していたのは他ならぬ彼らだったと名前は思い至った。

「うん、ぜんぶ350で良いよ!」
答えながら、名前は思考する。
刀剣たちは、どこまで外の世界、過去の世界のことを知っているのだろう。皆の言動を見る限り、詳しく知っていそうなのは歌仙や三日月、加州あたりだろうか。

この本丸と繋がっていた名前自身の現実のことや、この戦についてはどうだろう。
自分がこれまでしてきた、遊びのような戦の方法を知ったら、幻滅してしまわないだろうか。

ひとつ息を吸って吐いた。守ると言ってくれた命は、神様が痛みを覚えて戦うに値するものなのか?

名前は、いまひとつ納得できないでいた。だからこそ出陣することも、躊躇っている。何もしないわけにはいかないから、手順を踏むように日課任務のやり方を確認しているが、これはいわばただの遠回りだ。

ここで彼らが本当にしなければならないこと、自分自身がすべきこと、それは歴史修正主義者を討つこと。そのためにこの場所はあって、そのためにここにいる。
重々分かっている。だけど、だからこそ。

名前は、いままで普通に生きてきて、命というものをその手に取り扱ったことがない。だからその重みは想像の中でしか分からないでいる。
それを奪い合う戦争が、どれだけ凄惨で恐ろしく、かかる火の粉を振り払うこと、その手にかかる痛みがどれほどのものか。

まだ、彼女は知らない。
だが自分が何も知らないということを、名前はよく知っている。

足元に行儀よく座るこんのすけに目をやる。この聡明そうな狐は、どうして政府に仕えているのだろう。

扉の横でぽちぽちと資材の量を入力している長谷部を見る。背中のリボン結びが、解けかかっている。その歪な形を見て、実感がまた一つ、募る。
ここが、今いる現実であり、ここで生きなきゃいけないという実感。

主として、彼らの期待には応えてあげたいけれど。この世界での『すべきこと』に、果たして自分は納得できるだろうか。

戦えるのか。
この手で、好きな人たちを傷つけながら、何かを殺めるだけの度量があるのだろうか?

だけど名前はどこかで分かってもいた。
大義?名分?度量?そんなもの無くても、私はやるのだろう。正しいことなんて分からなくても、その時皆が頷く方へ歩く。違和感なんて魚の小骨のように、喉元を過ぎれば感じなくなるのだから。

期待されたように振る舞うのは、得意なほうだ。周囲の望みは、いつからか自分の望みとなる。初めから、名前自身の願いだったかのように、ごく自然に。

望まれる自分で在りたいと思う。この両手で叶えられることならば、叶えたい。それは大切な者を、大切にすることの一部だと名前は考えていた。

「主、資材の入力が終わりました。」
長谷部の声で、名前はふと我に返る。
先のことは知らない、言い聞かせる。迷惑な存在にはなりたくないなあ、という思いで顔を上げた。これまでと同じだった。

大きな流れに逆えるほど、結局は自分の意思なんて、そう固くないのだ。
置かれた場所がどれほど変わっても、人はそう変われない。

いつからか、こちらを見ていたこんのすけと目が合う。
「では主さま、鍛刀ボタンを押してください!」
「…ちょっと待って、ボタンでやんの?」
さすがは未来。鍛刀も指一本。
お手軽すぎて名前の頭から神妙な考えが飛んでいった。

「ええ。」
当然です、という顔の一人と一匹に、ある意味こちらもジェネレーションギャップである。190年前の文明とかいまとなっては化石なんだろうか。寂しいなあ。

「まあ…うん、そっか、そうやんな。」
いまや十八番となりつつある思考停止で、名前はてくてくと長谷部の側へ寄る。木目調の、無駄に和風テイストに寄せてきたスイッチを押し込むと、がごん、と音がして鍛刀部屋の小窓に板が落ち、そこに鍛刀時間が表示される。

2時間30分。
名前はちらり長谷部を見上げた。長谷部が長谷部を増やしがちなのは、へし沼の人たちの影響か…?

「長谷部…。」
「はい。主…どうしました?」
ふとこぼれた声に、返ってくるとは思っていなかった返事が聞こえて、名前ははっとする。

長谷部は資材の量を入力しながら、扉のガラス窓に映る名前を見ていたのだ。
伏せた目が、不安に揺れるさま。彼女が何かを恐れて、それをねじ伏せるように、固くひとつまばたきをしたこと。

その正体は分からなくとも、主が思い悩んでいることは汲み取ることができた。
…どうして言ってくださらない?
長谷部は思う。不安だろうが不満だろうが、主を苛むものはすべて、俺が切って差し上げるのに。

「あ、えっと、後ろ向いて。」ふいを突かれた名前が苦し紛れに言ったことは、なんの脈絡も無くて、ぽっかり浮いていた。
「かしこまりました。」
しかし長谷部は、素直にくるりと背中を見せる。

なんの前触れもない回れ右にさえ従う、まっすぐな背中は頼もしい。名前のそれよりも、ずっとずっといろんなことに、立ち向かえるくらいに。

弱音を吐くこと、泣き言を言うこと、不安に暮れること、不満をぶつけること、甘えることや頼ること。その境目は、夕陽のあとの空模様、昼と夜の間のように、よく分からないところにある。
たった一日で、名前ひとりの心の中には、もう皆が居た。

名前はくずれた蝶々結びを解いて、結びなおした。想いや心も、こんな風に簡単に結び直すことができたならどんなに良いだろう。

「主…?」
背中を覗き込むようにしている長谷部の視線を拾って、綺麗に結い直したリボンをとん、名前がたたく。
「解けてた。」
「…ありがとう、ございます。」
長谷部は、背に触れた指先を握り取れない自分の手が、どうしようもなく嫌いだ。

「どういたしまして。」
先ほどの憂いを微塵も感じさせない名前の笑い顔は、ひどく遠い。
人の身を得ても、人の心はどうして見えない。

「…ところでこんのすけ、この向こうには鍛治師の妖精さんがおるん?」
名前がなんの気もない素ぶりで、話題を変える。長谷部は、そっと手のひらを結んで、彼女のことを待とうと決めた。主がなにも言わないのならば、言ってくださるその日まで、いつまでも傍に居ればいいだけのこと。

「妖精さん…?ああ!あれは、その…若い女性に受けが良いようにとの…遠隔本丸における演出でございます。」
こんのすけが言い澱みながらも答えてくれる。メタい。
「そこに気ぃ使うんや。」
「細かいことは気にしないでください。」
鶯丸なら気にしないだろうが、名前は気にする。スイッチのくせに無理矢理に木目調な鍛刀ボタンも、まだ引っかかっているくらいだ。

こんのすけが名前を見上げる。
「主さま、おひとつお伝えせねばなりません。手入れや鍛刀においては、あなたさまの霊力による制約が発生致します。」
でたよ霊力。やはり馴染みがないその単語に、名前は早速不安になる。
「うーん?制約?…ってことは、手入れと鍛刀したら霊力が減るってこと?」

「ええ、おおよそその考えであっています。時は金なり、ということわざがありますが、私どもから言わせれば、時はすなわち命なり。です。…例えば今回の鍛刀ではあなたの体に流れる霊力が二時間半ぶん、必要となるのです。」

それを聞いた長谷部が、すかさず質問を挟む。
「おい、主のお体に差し支えるということか。寿命が縮んだりするわけではないだろうな?」
「それは問題ございません。主さまの体に流れる霊力とは、川のようなものをご想像ください。そこには常に一定量の水がありますでしょうが、次々に流れゆく水は入れ替わり、同じ水が留まりはしないでしょう。」

こんのすけはまるで図を描き示す教員のように、するりと前足を床に滑らせた。
足が短いため何を表しているかはまるでわからないけれど、その仕草が可愛かったので書き記しておこう。

「手入れや鍛刀は、その川に水車を差し込むようなものです。多くの水車を一度に置いたり、あるいは水の勢いが弱ければ、川の流れがせき止められるので、体はそれなりの疲労感を覚えます。」

川幅や流れの強さ、水嵩が川に寄って違うように、霊力のキャパシティや力、保有量もまた個々によって違うのだという。

「ほう。」長谷部が頷くのを追うように、名前もまた感心した。
「え、めっちゃわかりやすい!」
こんのすけ、これで適性テスト低めなのか?政府のテストが実力を測れないがばがば設定なのか、こんのすけの努力の成果なのか。

「…手伝い札は?」
「手伝い札は、そうですねぇ、例えるならばモーターでしょうか。主さまの霊力を使わず、空間に漂う余剰霊力を集め、水車を回す仕組みです。」

「…では主、可能な限り手伝い札を使ったほうがよいのでは。」
主に楽させたい病を患っている長谷部は当然のごとくそう言う。しかし胸中では、主がお疲れのところなんて、見たくな………、いや、それはそれで疲れを癒して差し上げることができる!主命とあらば肩叩き、まっさあじなるものも習得して…、いやいや、主を疲弊させるなど臣下としてあってはならない!という葛藤があった。その末の進言である。

「うん、そんな気がする。手伝い札貯めよう。」
素直に名前が頷いて、長谷部は残念なような、これで良いような複雑な気持ちになった。おそらく彼はこのあと、ツボや疲労回復に関する本を薬研藤四郎の元へ借りにいくことであろう。
誰よりいちばんに、なんでもできるようになりたい。

「手入れはすでに経験されましたか?眠気や疲労感を感じたはずです。」
こんのすけが首をかしげる。

そういえば、三日月と手入れ部屋に入ったとき、イケメン腕枕状態で眠れた自分の図太さに驚いたことに名前は思い当たった。
「うん…!たしかに疲れてた気がする!そのせいかぁ。」
…よかった。あれは図太さではなくちゃんとした疲労だったらしい。
個性のぶつかり合いにすり減る気苦労も多少ならずあっただろうけど、なるほどな、あの感じが、霊力を使う疲労感か、と名前は心得た。

しかし、あの時三日月宗近は、どうして手伝い札を使わせてくれなかったのだろう。些細な傷だったから?
名前は深く考えることをしなかったが、霊力に対する理解は三日月宗近の方が深い。

手伝い札は、森羅万象の、言葉を選ばず言えば、そのへんに漂う霊力を使う。三日月は、名前の霊力にこだわった。さて、これはじじいの単なるわがままなのか、それとも何か、意味のあることなのだろうか。

「では今回の鍛刀も手伝い札を使いますか?」
「うーん。一振り鍛刀するのにどのぐらい疲れるか確かめてみたいから、いっかいこのまま待ってみる。」

そこで、とんとん、と扉を叩く音。
鯰尾藤四郎が、顔を覗かせる。
「失礼します。主さーん、ちょーっとこっち来てくれません?」
馬糞ネタからは想像できない、困ったような面持ちに、名前の胸は嫌に騒いだ。



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