夢と知りせば

「ここが鍛刀部屋です、主。」

長谷部が戸を開けて、名前を部屋へ通す。
名前に続いて、なんとか持ち直したらしいこんのすけがとことこと後を追う。

しっぽが挟まるのではという勢いで食い気味に、すぱん、長谷部が戸を閉める。
「ひっ!しっぽにもご配慮を!驚きのあまり毛が五本ほど抜け落ちました!」
「悪いが、俺は主以外に配る気を持ち合わせていない。」
主に取り入った政府のキツネがなんとなく気に食わない。長谷部はこれが嫉妬心であることを自覚しているが、主に撫でて欲しいだなんて言えない苛立ちが狐に対してそのまま現れている。
ストレスは原因に直接ぶつけるタイプだから、彼は仕事のストレスを仕事で発散する無限ループに陥りがちなのである。

「わ、広い。」
うしろでイヌ科の序列争いが起きているのをどこ吹く風で、名前は部屋を見渡す。

扉のあるこの部屋は奥行きのある長方形の空間。部屋の中には、両側の長い辺に沿うように戸がふたつずつ。全部で四つ並んでいて、それぞれに小窓がついている。

この空間の正面には床の間のように、一段高くなった四畳ほどのスペースがあり、その中心にはどっしりと玉座が置かれている。名前が目覚めた時に腰掛けていたものと同じ、無駄に豪華なあの椅子だ。
玉座の背面の壁は上部のみが明かり取りの窓になっていて、後光が差して見える。さながら教会のような神々しさの演出に、名前は少し呆れた。

そして玉座のちょうど目の前に、まるで傅くように、刀掛けがあった。

「…ここで鍛刀するん?」名前の疑問に、長谷部が答える。
「いえ、この四つの扉がそれぞれ鍛刀部屋です。」
部屋をぐるり見渡して、再び名前に向き直った。
「この部屋は主が刀を顕現するための場所です。」
「ふーん、なるほどなぁ。」
やはり鍛刀やドロップとは別に、『顕現』という行程があるらしい。

横長の長方形を三等分して、両脇の二つをさらに半分に切ったような間取り図になることだろう。
変な形やけど小枝不動産的には良物件やな、というのが名前の感想である。

「…あの厳つい椅子は?」
「刀を顕現させるときは、主に、ここへ座していただいておりました。」
座すって言っても、この体は昨日までただの飾り物だったはずだ。名前は首を傾げる。
「運んでくるってこと?」
「…言葉を選ばずに言えば…そうなります。」
長谷部は少し困ったように答える。
自分の預かり知らぬところで、動かぬ体をもてあそばれるのは決して気分の良いことではあるまい、と彼は危惧した。

その実、加州が爪紅を塗ったり、次郎太刀が髪をいじったり、五虎退がそっと、動かぬ手のひらに額を擦りよせることもあった。
それくらいなら可愛いものだが、ひどい時はもっとひどい。

鶯丸が「なに、ずっと室内では気が滅入るだろう。散歩だ。」などと言って本丸の外に持ち出していたこともあるし、「ぬしさまがおひとりで凍えておられると思うと、小狐は安心して眠ることができませぬ。」と小狐丸が寝室に持ち込んで添い寝騒動を起こしたことも、髭切が「彼女も人なら湯浴みが必要だよね。」風呂に持ち込もうとしたこともある。

わりとめちゃくちゃだ。一方的に女人にすることじゃない。フランクに持ち歩きすぎである。

かく言う長谷部自身も、人目を盗んでそっと、名前の指先に触れたことがある。指先のあまりの柔らかさに怖くなり、すぐに手を離したけれど、この手が自分を振るっている、と思うだけで胸が熱くなった。
土埃が舞うような血生臭い戦場で、柔い指先の感触を思い出す。その持ち主を守るのだと思うだけで、俄然士気が高まった。

許可なく主に触れたなんて、もちろん口が裂けても言えないが、聞かれたら嘘をつくこともできない。果たしてどうしたものか。

内心どっきどきの長谷部をよそに、名前は動かぬ自分がどう扱われていようがあまり興味がないらしく、「刷り込み?」とこんのすけに聞いている。
「刷り込み…とは少し違いますが、そうですねぇ、揺り起こされて真っ先に人の…あなたの姿を目にして、おそらく彼らは糸を手繰るように、自分が体を得たことを理解するのでしょう。」

体がなくて、心だけがある状態で、生まれる。それはいったいどういう感じなのだろう、と名前は思案した。
自分の生まれた時の記憶なんて持ち合わせていないし、自分がはっきりするころには既に身体があった。生まれようにして既に、彼らと自分はやはり違っている。

「どんな感じやった?」
名前が長谷部に尋ねる。
「はっ!はい!?」長谷部が素っ頓狂な声をあげる。どんな感じ…とは!?柔らかかったなんて言えません!あるじ!
「うん?長谷部がいまの体になる前。」
その目はきらきらと好奇心がまたたいている。彼女にとって、違いはお互いを隔てるものではなく、わかり合うための架け橋だ。
違っているからこそ、話をするのが面白いと思うのだろう。

長谷部は内心胸を撫で下ろし、答える。
「そ、そうですね…なんと言えばいいのでしょう…夢から覚めたような心地でしょうか…。」
ふむ、と、記憶を辿るように話す。

「夢見てたん?」
「…いえ、刀であったときは、それが確かに現実の出来事だったのですが…。顕現された瞬間の、身体を得て見る世界の鮮やかさに比べたら、どこか朧げで…そこに俺の意思はなかったのだと…思います。」
彼らが刀だった時は、自ら選びとって何かをする、という選択肢がそもそもなかったのだ。

少し遠くを見つめて言葉を選ぶ長谷部は、過去を思い出している。

長い時を渡り、様々な人に会った。いや、見てきた、というべきだろうか。
感じ方は違えど時だけは、物にも人にも平等に過ぎ去り、二度と戻らない。

「あー。夢の中って、ぼんやりしてて、あんまり自分から動かれへんもんなぁ。」
夢の中での自分の所在無さについては、名前もなんとなく想像がついた。
「ふむう…それはクダギツネにとってもなかなか興味深いお話です。」
こんのすけがしっぽをくゆらせ二人を見上げる。

眠っているものの心を励起させる、だったっけ。名前は記憶を辿る。励起という言葉、深く考えなかったけれど、どういう意味なんだろう。覚醒させるとかそんな意味に捉えていたけれど、覚醒、というほどノンレム睡眠でもないみたいだ。

「こんのすけは何か知ってる?」
「…わたくしは生い立ちというものについて考えたこともありませんでした。けれどそうですね…付喪神は必ずしも、物そのものにだけ宿るわけではないようです。とすると、刀を刀たらしめる逸話や歴史…。その物語こそが、彼らの見ていた夢なのでしょうか。」

名前はこんのすけのつぶらな瞳を見返した。生い立ちというものについて考えたことがない、というところに、彼もまた普通の生き物ではないことを実感させられる。
親や兄弟のようなものの概念がそもそも存在しないというのは、いらぬ世話だと分かって居ても、彼女には少し寂しく感じられた。

「歴史や逸話の夢、かあ。」
小狐丸や今剣のことを考えても、そう考えるのがいちばんしっくりくるような気がした。

個性はきっと、少なからずの過去によって育てられる。刀である間にあった出来事が、彼らを彼らたらしめている。この体に宿っている、魂と同じに。

「…うまい言葉が見つからず、申し訳ありません。」
眉尻を下げる長谷部に、名前はすっきりしたように微笑んだ。
「ううん、なんとなくわかった!ありがとう。」

そこでこほん、こんのすけが咳払いをする。
「さて、お話もひと段落でしょうか。ふふふ、ではこれより対人間用チュートリアルに切り替えます!」
こんのすけが、うふふ、と嬉しそうに名前を見上げた。
視線を拾って、「なんで嬉しそうなん?」と名前がしゃがみこむと、こんのすけはおすわりをして、えへん、と胸を張る。にんまりと得意げな表情の向こうでしっぽが喜びのままにふわふわと踊っている。

「ええ!生身の人間が管理する本丸はごくわずか、遠隔管理の本丸よりも様々な業務が必要となるので、クダギツネのなかでもエリート中のエリートのみが任される仕事なのです!」
エリート中のエリート…?労働大国日本はこんな愛玩動物にさえ縦社会を強いているのか。名前は胸に妙な同情心が湧くのを禁じ得ない。

「クダギツネにもエリートとかあるん?」
「ええ、もちろんです!」
「こんのすけは?」
「わたくしですか…?わたくしは…げ、っこほん!中の中くらいです!」
分かりやすく下の…って聞こえかけたけどな。政府との接触がどうなるかは、今のところこの小さな狐の手腕にかかっているので名前は少し不安になった。

それを知ってか知らずか、長谷部が口を開く。
「主を謀るとはいい度胸だな。…主、いかがなさいますか?」
処す?処す?という期待でいっぱいの長谷部を「いやいや、どうもしやんよ。ほら刀下ろして。」と名前がたしなめる。
「…主命とあらば。」
傍目から見ると物騒なやりとりなのだけど、当事者の名前は、あほ可愛いなこの近侍、くらいに思っている。刀が本当に、『斬る』ためのものだという自覚が、まだ名前にはないのだろう。

「う、うう、適性テストの結果などなんでもいいではありませんか!大切なのはやる気と愛嬌です!」
「やる気と愛嬌って…。」
そんな新卒社員みたいな…と名前は思ったけれど、相性いいかもな、とも思った。
人は結局、好きか嫌いで動くのだ。好きな人からの頼まれごとと、嫌いな人からの頼まれごとなら、優先度が天と地ほど変わってくる。

頼り甲斐は今のところほとんどないけれど、それでもとっつきやすいこの狐のおかげで、名前はずいぶんクダギツネというものを見直している。好きか嫌いか、という判断基準を信頼している名前にとって、それは頼もしいことだった。

「ご心配なさらずとも、きちんと勤め上げます!なにを隠そうこのこんのすけ、いつか来たる出世を見越して、対人プログラムもしっかりと頭に入っておりますから!」
まだ自分の手中ではない業務まで把握しているなんて、こんのすけはなかなかの社畜であるようだ。とても都合が良い。これもまたこの本丸の鶴丸国永が幸運A+である影響なのか。

「…じゃあ信じる。こんのすけ、よろしく。」
「ええ、おまかせを!」
こんのすけは名前の言葉に、誇らしげに頷いた。
これらのやり取りから何かを汲み取ったのか、長谷部が刀を抜刀しやすい左手から、右手へと持ち替えた。警戒心が強い長谷部の敵意が、ここでようやく解かれたらしい。

その様子を見届けて、名前がにこりと笑んだ。
「ふふ、長谷部ありがとう。」
長谷部は、はっとして名前を見る。向けられた笑みに、頬が熱くなるのを覚えてすぐに目を伏せた。「と、とんでもございません…。」声が尻すぼみになる。己の主が信じると言った者を、家臣である自分が認めないわけにはいかない。いやそれよりも、長谷部にとっては、自分のささやかな変化を名前が見過ごさずに居てくれたことが嬉しかった。

「では手始めに…あるじさまは霊力を視認されておりますか?」
「霊力?」
「いま、長谷部殿の周りにこれでもかというほど舞っておりますが。」
「まったく見えてない。」

自慢にもならないが、名前は霊感の類をいっさい持ち合わせていない。そもそも霊力なんて、私生活において馴染みが無い。遠い別世界のものだと思っていた。

「長谷部のまわり?」
名前が長谷部を見る。
長谷部もまた不思議そうに首を傾げていたが、名前と目が合うとこんどはにこりとはにかんだ。いい笑顔である。その笑顔で、長谷部にも見えてないのか、と名前は察した。

「では、可視化いたしましょう。」
「可視化?そんなんできるん?」
「ええ、できます。」
「おばけとか見たくないけど。」
怖気付いている名前に、こんのすけはへらりと言ってのける。
「大丈夫です。なあに、サングラスをかけて太陽を見るようなものでございます。」
よくわからないけど、目になんらかのフィルターをつけるということだろうか?

「では主さま、私を持ち上げてください。」
こんのすけの指示に従って、名前が小さな体を抱き上げる。ふわふわの毛の向こうには、しっかりと骨格があって、また不思議な気分になる。
「額を合わせて。」
言われたとおり、こんのすけにおでこを寄せた、柔らかな毛並みが、ふわ、と名前の額を包む。
「目を見てください。」
近すぎて、ひとつに見えるような瞳を、見た。途端、光が眩しく感じられて、ぎゅうとまぶたをつむった。
「ま、ぶしい。」
「どうでしょう。見えますか?」

寄せていた額を離して、しぱしぱと瞬きをする。眩しさが落ち着いて、顔をあげたら、長谷部の周りにひらひらと、舞う桜が見えた。
「桜…?」
「ええ、視覚で認識される方は、往々にしてそうおっしゃいますね。」
半透明の光の塊のような花弁は、はらはらと次から次に舞い落ちる。
光の加減で光る魚の鱗のように、飛んでは落ち、空気に溶けるように消えてゆく。

首を傾げている長谷部には、見えないらしい。名前が落ちていく花びらに触れようと手を伸ばすとしゅるり、指先に雫が乗るように吸い込まれて、消えた。

今まで見えなかったものが見えるというのは、実に不思議な気分である。わあ、と物珍しげに感嘆する名前を見上げて、こんのすけが小さな胸をえへんと張った。

この桜ってステータスのあれやん。と名前は思ったけれど、なんだか夢が無くなる感じがしたので黙っておいた。
函館マラソン桜付け…。わかりやすくていいけれど、こんなのが四六時中見えて居たら、なかなか落ち着かない。

「これってずっと見えてるもん?」
いつかは慣れるのだろうか。
「そうですねぇ、霊力の感じ方は人それぞれでございます。音で感じる方も、匂いで感じる方も、肌で感じる方も様々。主さまがその感じ方を掴めましたら自転車の補助輪のごとく、術は自然に解けてゆきます。」

「…よくわからんけどすごい。」
「ふふ!わたくしは優秀なクダギツネですから!撫でていただいても構いませんよ!」
名前が素直に撫でてやる。
「すごいすごい。」
「そうでしょう、そうでしょう!」

長谷部の桜が露骨に減る。なんだこれわかりやすい。霊力とはすなわち機嫌メーターなのか。


備考
【クダギツネ22162番適性テスト】
知力:A
体力:B
知識:A+
霊力:A
妖術:B+

情報管理能力:E
有事対応能力:E
思想統一度:E



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