邂逅


お味噌汁が美味しすぎる。
なんでこんなに美味しいんだ、と名前は文字通り刮目した。

ふわ、と華麗に香る出汁と味噌のいい香りがきゅうと頬の裏をしぼる。ひとくち啜ればじんわりと胸に、腹におりてゆき、眠っていた体の奥深くに火を灯す。
豚肉と溶けるまで煮詰まった玉ねぎの甘みが頬を緩ませて、じゃがいもがはふりと舌でくずれ、あたたかいままお腹の中へ落ちてゆく。

隣に座った光忠に、「んんん!」と名前が声にならぬ美味しさを伝えると、彼はにこりと笑いかえす。
「美味しいかい?今日のお味噌汁は新じゃがを使ってみたんだ。」
「めっちゃおいしい…日本に生まれてよかった…。」
ほう、と幸せのこもったため息を吐いた名前を、光忠は心底幸せそうに見つめる。
「おかわりもたくさんあるからね。ああ、そうだ、主、お味噌汁の具でお気に入りはある?」
「うーん、長ネギとかー油揚とかー…でも今日でじゃがいもが一番好きになった!」
「えっ、本当かい?…嬉しいよ!」

燭台切お前は新妻か、と同じ卓に座った長谷部と大倶利伽羅がげんなりしている。

結局、名前はお味噌汁をお代わりして、ごちそうさまと箸を置いた。ご飯が美味しいというだけで、一生ここに住んでもいいやと思えるのだから、胃袋を掴めっていうのは本当なんだな、としみじみおもう。それで言うと、名前の胃袋は光忠と歌仙にヘッドロックされて関節技まできめられていると言えるだろう。

食後のお茶を飲み終えると、隣で待っていた長谷部が、すっと立ち上がり名前に手を差し出す。
「主、鍛刀部屋へご案内いたします。」

先立って広間を出た長谷部について廊下を歩く。その途中の庭に面した渡り廊下で、きり、と長谷部の纏う空気が変わった。ふわふわと景色を見ながら歩いていた名前にも、確かに感じ取れるような緊張感。

「どしたん?」
名前が言いながら、長谷部の視線を追うと、そこにいたのは管狐。愛らしくふわふわと尻尾をゆする、こんのすけだった。

あまりに突然の邂逅。
名前は瞬時にこんのすけを観察する。
最近でこそ『油揚げはぐー!うまんい!』なんて愛されキャラのごとく振る舞い、巷で人気のゆるキャラにまで登りつめているが、審神者たちは忘れていない。『命令です。歴史を変える敵を倒せ。』と冷たい文字がてんてんとこの狐の吹き出しに表れたこと。

…どっちなんだ。管狐。
黒幕説までしっかり読みこんだ名前は、警戒心をあらわにじっ…とそのつぶらな瞳の奥へ目を凝らした。
主命とあらば管狐の手打ちもこなす長谷部は、名前のそばでそっと鯉口に手をかけている。

狐にしてはまあるい、不思議なシルエットをしている。名前にとって未知の生き物だ。
「こんのすけ…?」
沈黙を破ったのは名前だ。
あまりにも管狐の反応が無いので、おそるおそる声を掛けた。
ぱちり、こんのすけが瞬きをする。
次に、ぶおおと毛並みが総毛立った。
「なん…んななななな!!主さまァァァア!?!?」
突如発せられたきいんと高い大声に、名前は肩をびくつかせる。鶴丸が拍手しそうな、とても良い驚っぷりだ。
「なん、何が起きているのですか!?このこんのすけに説明をォォ!へし切長谷部どのォ!!」
管狐は、オロオロと足元覚束ない様子で狼狽している。
「やかましいぞ、狐。…主、いかがいたしますか?」
大声にも動じず長谷部は淡々としている。いかがいたしますか?って、ええい、今すぐ斬り捨てよ!とでも言うと思っているのか、名前はそんなに殺意が高いほうじゃない。
「うん、長谷部はちょっと待ってて。」とりあえず待てである。

ここで庭の向こうに影が三つ。
こんのすけの悲鳴にぴょこっと髪を揺らしたのは小狐丸。「なんじゃなんじゃ、クダギツネが騒がしい。」
鳴狐が小狐丸の視線を追う。その肩の上で、お供の狐がひょこりと首を傾げた。「ふむふむ、どうやら主殿とご対面されたご様子!」
狐仲間の二人と一匹は、顔を見合わせた。ふわ、春の風がふくふくと、自慢の毛並みを撫でてゆく。こんのすけのことは好いても嫌ってもいないが、同じ狐として、奴の動向が気になるのだ。
「…行ってみよう。」鳴狐がこっそりと歩き出した。小狐丸も後を追うように、背を丸めてついて行く。

そんなことを知るはずもなく、名前は腰を落として、こんのすけのそばに寄る。
名前が一歩、二歩、近付くと、こんのすけもまた一歩、二歩と後退る。未知との遭遇をしているのはどちらも同じらしい。
ひええ、と逃げ腰の管狐から、敵意は感じられない。…というか、見た目だけの話をすればさすがはゆるキャラランキング企業二位、可愛いのである。

「あの、初めまして。」
名前がそっと手を差し出した。
「ヒェッ、しゃべっ…いえ、こほんこほん。…あなた様が…あの、主さまですか?」
こんのすけは一瞬たじろいだがすぐに持ち直して、ふるりと毛並みを震わせた。差し出された名前の手の先を、くん、と嗅ぐ。

湿った鼻息が指先に触れて、うわ、やっぱり生き物だったのか、と名前は密かに感動した。ひと嗅ぎ、ふた嗅ぎしてこんのすけが顔をあげる。
「…出汁の匂いがいたします。」
おそるおそる感想を述べられて、名前は吹き出した。
「あはは!指に味噌汁ついてた!」
「んなっ、何を暢気な!主さま!あなたはご自分が置かれた状況を理解しているのですか!!…コン…こんなイレギュラーな事態、前代未聞でございます!…ぅぅ。この本丸を預かるクダギツネとして、こんのすけは、こんのすけは、いったいどうすれば良いのでしょう!」
はあうう、と目をきゅっと閉じてはうるうると空を見上げて、舞台役者並みの表現力で熱弁する。表情豊かで可愛いん。

イヌ科を見ると、つい服従させたくなるのは、誰しもにある感情なのだろうか。
「大丈夫、大丈夫。」
差し出したままの格好だった名前の手が、こんのすけの顎下へ伸びる。こしょこしょと揉むように擽ぐると、ぎゅう、と首をもたげてこんのすけが擦り寄る。
「…なんでございますか。…うっ、はあう、く、おやめください!首が勝手に…傾いでしまいますぅ。」

待て中の長谷部が、心なしか羨ましそうにその光景を見ている。名前はこんのすけに夢中だ。

近くの木陰より見つめる三対の眼が静かに見開かれる。「ぐっ、ぬしさまはまだ小狐の毛並みももふもふされておりませんのに…!」ぐぬぬ、と嫉妬心をあらわに小狐丸が歯噛みしている。
「ほほーう!主殿はなかなかの手練れでいらっしゃいますよぅ!」お供の狐は昨日の記憶を辿りつつ、しっぽをふゆりとくねらせた。「…気持ち良さそうだね。」鳴狐が静かに頷く。

はじめの疑心暗鬼はどこへやら、撫で始めてしまえば、名前の応対は完全に愛玩動物に対してのそれである。
「なあ、こんのすけにいろいろ聞きたいことあるねんけど。」
もちゃもちゃと指先が顎下から胸へ、こんのすけの前足がぴょこんとあがる。名前は動物を撫でるということに関して、謎のハイスペックを発揮する。おうおうここがええのんか?と口角が上がってくる。
「んなっ、なんでございましょう、ふああ。」
うっとりとこんのすけの目が閉じかかる。
もうひと押しだな、名前は直感した。なにを隠そう彼女は、幼い頃よりふれあい広場でヤギもウサギも寝かしつけてしまう天性のモフリストである。

本丸所属の三匹の狐の口が、はわわ、と開いてゆく。狐の気持ちが分かってしまうので、うずうずと、見ているだけで首の後ろあたりがむず痒い。「ぬしさま…。」小狐丸が、切なげな声を漏らす。

そっと退けておいた疑問は山のようにあるのだ。名前は、できればこんのすけと協力関係にありたいと考えている。時の政府がどういうものかは知らないが、おそらくこんのすけを通して本丸とコンタクトを取っているはず。ならばこのマスコットの口添えも、いくらか役に立つに違いない。
「この体のこととか、あとは、この本丸の仕組みとか、時の政府とか、戦争とか、もろもろ。全部教えて。」
名前は畳み掛けるようにもう片方の手をこんのすけの耳後ろへ回した。もみもみとほぐすように撫でる。
膝がふにゃっとおりて、体が横たわる。

時は満ちたらしい。
あわわ、小狐丸と鳴狐が目を覆う。
「ああ、管狐どの、お気持ちはお察し致しますが、なんとあられもない姿!」お供の狐はすっかり自分のことを棚に上げている。

長谷部が彼らの存在に気付いて振り向いた。「お前たち何をしている。」という言葉が喉まで出かかったが、これ以上ややこしいもふもふが増えるのは面倒なので突っ込むのをやめた。さりげなく、名前の視界から小狐丸たちを隠すように立ち位置を調節する。これならば待て、の範疇だろう。

名前は転がったこんのすけの前足の付け根を指のひらでかき混ぜる。
きゅうんと顎が仰け反って、耳後ろを床にするようにこんのすけが身じろぐ。そしてついに、ころん、お腹が見えた。
「はうう、ええ、なんなりと、おこたえいたしますぅう…。」

クダギツネ、討ち取ったり。
名前は、ちょろいな、とにんまり笑んだ。これでは他人のことを黒幕扱いできない。

小狐丸は、うずうずしている。「こうしてはおれぬ…。」一刻も早く毛並みを整えて、ぬしさまにうりうりされたい!もふもふされたい!こそばゆく、身をよじりたい!

鳴狐の静かな瞳は仰向けに転がるこんのすけを映している。その心を、いとも容易くお供の狐が暴いてしまう。「鳴狐ぇ!このまま彼奴に主殿の寵愛を譲り渡してよいのですかぁ!」「…だめだね…取り返そう。」

こんのすけの言質をとって、名前は満足気だ。いろんな意味で先が思いやられるのも、知らぬが仏。
「ありがとう!んじゃこんのすけも鍛刀部屋ついてきて。長谷部、行こう。」
名前がすくっと立ち上がり、歩き出した。長谷部も後に続く。
「はああ、主さま、こんのすけは立てませぬ…。へし切長谷部殿ぉ!運んでくだされ!」
「断る。」
長谷部はこんのすけを一瞥し、名前へ囁きかける。
「…主、まず手を洗いに行きましょう…狐には伝染病の病原菌がついている可能性があります。」
名前は、長谷部って潔癖?と思いながら、いたって真剣な眼差しを見返した。素直に聞き入れた方が良さそうだ。頷きながら振り返ってこんのすけを見る。

「うん…やっぱこんのすけって狐扱いでいいんや?」
見たことのない生き物が、普通に生き物として振舞っていることに、うっそりとした寒さを覚えた。わからないことは、怖い。
もっとも、今の自分の体も、同じようなものなのだろうけど。


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