違うところがよく似ている


部屋を出たところで、長谷部が待ち構えていた。

「主、おはようございます。」恭しくお辞儀をして、あげられた長谷部の顔がつやつやと得意げなのは、もちろん近侍の命を賜ったからである。彼が犬なら、その耳はぴんと誇らしげに立っている事だろう。

「おはよう長谷部。」
答えながら名前は、なんだこのぜったいひとりになれない本丸の人口密度は、と自問していた。バケツリレーならぬ審神者リレーでも催されているようだ。
一晩明けた今なお、この体が動いているのは、彼らにとっていまだ物珍しいのだろうか。

名前は長谷部の顔を見上げつつ問いかける。
「ずっと廊下で待っててくれたん?」
春先といえど、廊下は冷える。今後もこのような事が続くなら、部屋で待っててくれてもいいという言外の思いがあった。
長谷部は目を瞬かせたあと、表情を緩めてふわりと笑った。主にしか振りまかないため、この瞬間のための愛想は有り余っている。
「いえ、燭台切と歌仙は身支度に時間が掛かりますので、先ほど、頃合いを見て参りました。」長谷部は名前の気遣いが嬉しく、自然と顔が綻んでしまう。人と居た彼らの、思いを汲み取る力は並みのサービス業従事者を軽く超えているのである。

これは長谷部に限ったことではないが、進軍、帰城、手入れ、その手捌きから感じられた人柄は、まさしくそのまま名前のものであったということを見つけて嬉しくなるのだ。
やはりこの人こそが自分の主なのだという実感が深まるにつれて、胸が高揚していく。
これを幸せを噛みしめるというのだろうか、これまでどんなに願おうと叶わなかった、自分に体があれば…というはがゆい思いを、もう味わう必要はないのだ。主が与えてくれた体で、やっと、思うまま主の願いを叶えることが許された。

刀剣たちからすると、審神者リレーは半分正解といったところだ。この本丸には全体を統括し取り仕切る者がいないので、各々好き勝手にしている。それぞれできる範囲で、主の役に立ちたいと思っている。なので歌仙と光忠の、主の身支度手伝わなくちゃ!という話を聞きつけて、堀川率いる新撰組の刀たちが朝食当番を引き受けていたりした。

名前の素知らぬところで、流れるようなチームワークと、巧みな取引が行われている。「じゃー明日の朝は俺にデコらせてよね。」という交換条件から、「あのまま僕に歯磨き粉がかかっていたら、一緒に湯浴みができたのになぁ。」という本気か冗談か判断しかねる威圧感たっぷりの呟き、「今剣、俺も主と散歩がしたい。参加しても良いだろう?」というもっともらしい口約束まで多種多様である。

この本丸には多くの刀が居るのだ。対して主は名前一人きり。好奇心、庇護欲、愛情表現のその他もろもろを一手に引き受けねばならない。

彼らのうちのほとんどが、武士を主としていたのは周知。それ故それぞれの野望を叶えることに関して貪欲であり、素直である。
もちろん今の主である名前の意にそぐわないことはしないだろうが、はっきりと拒否しない限りは好きに事が運ばれてゆくと覚悟した方がいいだろう。誰とは言わないがマイペースな者ほど押しが強いのは、ふんわり素知らぬふりが出来るからである。

果たしてこの先が思いやられるところだが、名前には、流れに任せて流れに乗るところが多々ある。そうでなければこの突飛な状況下で淡々と物事を進められない。
もっとも、彼女が半分思考停止しているということも、二日目にしての通常運転であることの一翼を担っているのだが。
それでいいのか、ちょうどいいのか、彼女は天性で受け身が上手い。軽く流していなして、時に茶化してのらりくらりと生きる所存だ。ただし、良識の範囲内で。

さて名前は、長谷部のきらきらとした眼差しに、愛が重いぞなんていう毒気はすっかり抜かれてしまう。
二人並んで歩を進めながら話をする。
「朝ごはん食べたら、庭見たいな。お昼には、岩融と今剣とこの辺散策してくる。あとは、鍛刀と…。」ここまで言って、名前は口籠った。何気なく行っていた刀解や練結の仕組みを知るのが、怖いような気がしたのだ。

名前の言葉ににこやかに耳を傾けていた長谷部が、彼女の不安げな表情に、いっしょに顔を曇らせた。しゅん。
「主…?どうしたんです?」名前の心中をうかがうように長谷部が問いかける。
「いや、えっと…。」
長谷部の表情を見上げたところで、言おうか言うまいかの迷いは馬鹿らしいほど簡単に消える。
名前が覚えた不安を心底取り除きたい、長谷部は考えが顔に出やすいのだった。

「…刀解とか練結って、どんな感じなんかなと思って。痛そうやったりする…?」名前が苦しげに問いかける。

長谷部は、ぱちりと瞬きをする。我らが主の、予想外の心配事と、その可愛らしさに込み上げてくる笑みを押さえられなかった。
「っふ…。」吹き出した長谷部に、名前は狼狽する。
「えっなに!なんで笑うん?」
「いえ、すみません…。んんっ。…ふ。」誤魔化すような咳払いは相変わらず下手くそである。なんで笑うのだと聞かれても、主に対して可愛いなんて畏れ多くて長谷部は言えない。しかしにまにまと込み上げてくる愛おしさが抑えられない。

名前は、何やらツボに入っている長谷部に、えええ。と居たたまれなくなりながらも、この様子から自分の質問が見当外れのことだったんだろうと察する。
「痛くないんや…?」
「…はい。なんと説明したらよいか…そうですね。刀解や練結は、分霊といいましょうか、それを還したり、霊力だけを分け与えるものですので、痛みなどはありません。」
長谷部は緩みそうになる頬を引き締め引き締めなんとか答える。引き締めようとしすぎて無駄に眉間がきりっとしているので、まだ笑みを引きずっているのが名前にはばればれである。
これまで散々日課としてやってきておいてなんだが、「痛くないならよかった。」と名前は息をついた。

しかし分霊、霊力。またよくわからない単語がでてきた。拾った瞬間に審神者ぱわー的なもので人になると思っていたけどあれはゲーム上の演出なのか。

名前は長谷部の顔をまじまじと見上げた。どっからどう見ても人だけど、霊体やらなんやらの彼らはいったいどのようにして人の姿をとっているのか。と考えていたら、右手が長谷部の頬に伸びていた。
はた、と目があって名前が手を引っ込める。その手はふわり落ちる桜の花弁をつかむように、長谷部に捕らえられた。長谷部の目は痛いほど真摯に名前へと向けられている。

「…っと、ごめん。」無意識の行動に自ら照れながら、先に口を開いたのは名前だった。
「いえ、好きに触れてください。」長谷部は至極真剣な眼差しで答える。こうもまっすぐなコミュニケーションもあるまい。
「…そう言われると触りにくいな。」名前が困ったように笑う。

するりと、なんの前ぶれもないとても自然な仕草で、傾げられた頬に手のひらがあてられた。名前は呆気にとられる。瞳が伏せられた長谷部の表情は読めない。
桃の表面のような、柔らかな産毛のおくの、さらりとした肌の感触。きゅうと顔をうずめるように擦り寄せられて、掌へと頬の弾力が伝わる。

「…やっぱり人や。」口をついて出た言葉に、名前は今更あほかよと自分で突っ込んだが、やはりそれ以外に適切な言葉は見つけられなかった。
分霊?霊体?
付喪神へと、こうして今、触れている。まぎれもない、人の身体と、身体で。

伏せられた瞼のふち、長い睫毛を親指で撫でる。ハケを滑らすように指先をくすぐる感触がする。そうして瞼をひと撫ですると、ぱちり、閉ざされていた眼がひらく。すぐ近くで宝石のような瞳と視線がかち合って、名前は息を飲んだ。
「ええ、主がくれた、人の身です。」長谷部は名前の手のひらの暖かさに微笑みさえ浮かべて、心底幸せそうに言う。
こんなに綺麗なものを、人が造れるとはとうてい思えない。この手が生めるとは思えないのだ。

彼らのどこまでがつくりものなのだろう。
名前は、ふと思い立って空いた左手で長谷部の右手を捕まえた。そして長谷部がしたのと同じように、自分の頬へとひらかれた手のひらをあてがう。すこしひんやりとした大きい手に、肌が吸い付くように触れる。
「私と同じ?」
問いかけられた言葉に、長谷部は言い得ぬ感情が、ぐっと押し寄せるのを感じた。

同じ?
へし切長谷部の分霊は幾つとある。主は…彼女は天地がひっくり返ろうと唯一無二のひとりきりだ。
…俺と主が、同じだなんて、そんなはずが無いのだ。

「いえ…。」
否定しかけて長谷部は口を噤んだ。名前の瞳に影がよぎるのが見えたからだ。
この方は、同じであることを望んでいるのか?そう思い至ると、彼女の持つ不安や心細さの片鱗がちくりと胸を刺した気がした。

長谷部は、とりなすように名前の頬をそっと撫でる。
人の儚さ、尊い命がこうして形を得ていることに泣きたくなる。

声が震えないよう努めて明るく、笑ったつもりだった。
「主の頬のほうが、ずいぶん柔らかいですね。」それは自分の声だということを忘れそうなぐらい、優しく掠れて名前に届く。

「えー、なにそれ。」名前が笑って、ようやく、ふわ、と空気が流れた。
「思ってた答えとちゃうねんけど。」言いながら名前は長谷部の鼻をつまむ。
「…あるじ…。」
「…ふっ、鼻声。」
そりゃあ鼻を摘まれたら鼻声になります。と長谷部はそれぐらい言ってもいい。言ってもいいはずなのに。
「なんや、一緒やん。」
名前の朗らかに笑った顔を見て、息苦しさも忘れてしまうのだから、世話がない。

違わない、違わない。
神様であろうが人であろうが、鼻声は面白い。

鍛刀か、顕現か、やってみればわかる。
されるがままに鼻を摘まれてくれる、優しくて強い神様に、名前は楽観を取り戻す。

思えば今の自分には、やってみる他ないのだった。
そうすればいつかわかるだろう。
自分の力の正体も、刀の神々との触れ合いが、なぜこうして叶っているのかも。

「…よし、とりあえず朝ごはん行こう。」
踵を返して、いざ、名前はすぐに立ち止まった。長谷部もまた止まる。止まって、名前の視線の先に目をやった。
名前の脳裏にめくるめく昨夜の記憶がフラッシュバックする。廊下の向こうから歩いてきたのは、高刺激お兄ちゃん、一期一振だった。


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