迷惑はかけあうもの



ぶわっ。
包まっていた布団が剥がされる。
名前は冷たい空気に身を竦める。ぼやけた視界に仁王立ちする歌仙兼定が見えた。
「雅じゃない!!!!」
「んー。」
朝の日差しがきゅうと目を差す。名前は眩しくて、枕に顔を埋めた。
「まったく、君たちは何を考えているんだ…!!」
声だけで、十二分に怒りが伝わる。寝坊でもしてしまったんだろうか。ぷりぷりと青筋を立てているんだろうな、と寝ぼけた頭で思う。

何を考えているんだというか、そっか、朝か、何も考えてなかったな…。と歌仙の言葉をぼんやり反芻したところで、名前は違和感を覚えた。
君じゃなくて、君たち…?
いま君たちって言った?
そこでようやく気付いた、腰に回る白い腕。鶴丸国永がくっついて眠っている。

…これは、あかんやつや…。

当然、いい歳した男女が同じ布団で寝るというのは褒められたものではない。そのくらいの常識を、名前は持ち合わせている。
さっと血の気が引いて、意識が醒めた。
名前はむくりと身を起こし、するりと鶴丸の腕を抜け出……抜け出せない。

力が強いぞ鶴丸国永!名前にしがみついて、腰に顔をうずめている。
佩刀される夢でも見ているのか、その横顔はにまにまと幸せそうだ。

この間歌仙は般若の形相だったとのちに名前は語る。正確には語気の圧力が怖すぎて顔なんかまともに見てないのだが。ぷりぷりなんて可愛いもんじゃなかった。不貞を見つかった嫁の気分だ。知らんけど。

「いったいどういうことなのか説明してもらおうか。」
ひいい、疑問詞がついていない。
「歌仙、誤解やから!ただの添い寝みたいなもんやから!」
なぜ名前が必死で弁解せねばならんのか、この状況を生んだのは寝落ちた彼女の布団に潜りこんで寝顔をこれでもかと見つめていた鶴丸なのに。

名前は体をひねって、それはもう暢気に眠っている鶴丸を揺り起こす。
「鶴丸!起きて!」
「…なんだ…?…夕べは遅かったんだ、まだもう少し寝ていてもいいだろう。」
寝ててもいいから離してくれ。名前はしっとりと冷や汗をかきはじめる。
早く起きて誤解を解いてくれ。

「ほう、いい度胸じゃないか鶴丸国永。」
歌仙がしゃがんだ。ヤンキー座りだ。行灯袴が広がっているがそれは雅的にどうなんだろうと名前の思考は早くも戦線離脱している。
鶴丸が目をこすり、もぞもぞと言葉を発する。
「…ん?…歌仙か、おはよう。」
「鶴丸国永、ここで何をしていた。」
「…?何って、主の可愛い寝顔を見てたら、部屋に戻るのが惜しくてな。そのまま隣で寝かせてもらったんだ。」
悪びれた様子もなく朗らかに言ってのけた鶴丸に、歌仙の雅なかんばせが歪む。
「おっと、やきもちか?近侍どの。」
飄々と鶴丸が宣うと、ぶちん。なにかが切れる音がした。



簡潔に説明するとえらい目に遭った。
鶴丸は歌仙に引っぺがされて、あとは貞操観念に対する云々を散々説かれた。正座で。名前と鶴丸の脛には畳の模様がくっきりと付いていることだろう。
鶴丸は庭の掃除でもして反省を示すそうだ。絶えずはらはらと積もる満開の桜の花びらを片付けるのは、なるほどひと苦労だろう。と歌仙は怒りを納めた。

「こわかった…。」
夜の寂しさより、この身の心細さより、怒った歌仙のがこわいとは。…なんて頼もしいんだろう。

顔を洗って来なさいと言われて、名前は洗面所へ向かう。この本丸の洗面所は、お風呂場の脱衣場と繋がっているつくりだ。迷わずに行けるだろう。
起きたばかりだというのに、少し疲れた。

やっぱり、元の世界に戻ることはそう無いか。ふわわと眠い頭で、今をあっさり受け入れて、名前はぺたぺたと廊下を進むのだった。



朝日の上澄みを掬ったような、冷たい水が気持ちいい。名前はぱしゃぱしゃと顔を洗って、昨日もらった歯ブラシを手に取る。しゃこしゃこと歯磨きをしているところに、声が掛かった。

「やあ、主。」
白の着流し姿に黒の羽織を肩に掛けて、髭切が悠々と現れる。腕を組んで、袖口に手を差し込んだその立ち姿はどこかの老舗の若旦那といった佇まいだ。
鏡越しに目が合って、名前が振り向く。
まっすぐ目が合う。
「ん、おあよう。」
歯ブラシを咥えていてうまく話せない名前に、髭切はにこりと微笑み返した。
「うん、おはよう。」

ふわわ、と髭切があくびをして、んーっと伸びをする。堂々とのんびりしている様はなんだかライオンみたいだな、と名前は思った。
「ひははるは?」
「うん、弟はまだ眠っているよ。」
思いのほか言葉が通じたので、このまま会話を続ける。

「へ、ひはい。」
「あはは、機動は負けるけれど、朝は僕のほうが早いんだよね。」
言いながら、髭切が羽織をすとんと肩から落とした。なんでもないことのように、言葉を続けるので、落とされた羽織から意識が逸れる。
「主は、よく眠れたかい?」
「うーん、あんわり…って、へ、は!?」
名前の動揺をどこ吹く風で、髭切が帯を解きに掛かっている。
さすがにそれはまずい。
つい今しがた貞操観念に関するお説教を受けたところだ。名前とて大人。同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。

「はひひゃっへるん!?」
「何って、朝風呂をしに来たんだよ。」
だからってなんでここで脱ぐんだ。
動揺のあまり、歯磨き粉が口からこぼれそうになる。
「んんんー!」
髭切はのんびりと首を傾げながら、にこにこと笑っている。
「んー?主ったら、そんなに焦っていったいどうしたの?」
しゅるり、帯が解けて、質の良い着流しが髭切の肩をすべってゆく!間一髪、名前が手をのばして抑える。左半身、腰のところを握って、前がはだけるのを食い止めた。素晴らしきかな反射神経。
髭切はそう脱いだ服をぽいぽい捨てるのをやめないか!膝丸の教育はどうなってるんだ。

「おや?」
「んんん。」
名前がぶんぶんと首を振る。
「うーんと。なあに、君が脱がせてくれるの?」
んなわけあるかい!いまや口の中いっぱいに広がってしまった歯磨き粉が鼻から出そうになる。
「ありゃ、違うのかい?」
「んんん!」
もちろん違う。
ぺってしたいのに、髭切はいっこうに前を抑えようとはしない。
それどころか、うーん、と顎に手をやるので、かろうじて引っかかっていた襟がついに落ちた。名前はこの露出に既視感を覚える。はて、と心当たったのは宗三左文字の真剣必殺だった。

ガードが固いことで有名な源氏兄弟。膝丸が居たら兄者ぁぁぁ!と二秒で着付けてくれるのだろうけど。

それにしても、だ。名前は目のやり場に困る。
白く筋張った首筋から鎖骨、肩から腕へとしっかり引き締まった筋肉がついており、肌はみずみずしく磁器のように滑らかだ。太刀を振るうに相応しい、胸筋…腹筋…きりりとした、しなやかな筋肉のかたち。
彫刻かと思うほど、均整のとれた身体つきをしている。

それらをしっかりと見てしまって、名前は、あれ?私って筋肉フェチちゃうよな?と自らの趣向を改めて振り返る。
…うん、ちゃうよな。大丈夫。平常心平常心。

髭切のふわふわとしたイメージからかけ離れて、あまりにも男性的な身体だ。そりゃあ男士なのだから男なんだろうけど、この大所帯で自分以外全員男などという事実はあまり認めたくないので意識させないでほしい。

昨夜の出来事しかり、名前は彼らとの距離感に戸惑っていた。男女にしては近過ぎるし、家族と呼ぶには会って日が浅過ぎる。
心を開いてくれているのは嬉しいのだけど、神さまとはいえ、彼らはどう見ても男の人なのだ。ごく平凡な生活を送ってきた名前は、これでもかと懐く成人男性の扱い方など知るはずもない。

自分の身体を前に、目を点にしている名前を髭切はどう解釈したのか。
彼は綺麗に笑うと、少しかがんで名前の視線を拾う。
「ふふ、そんなに見つめられたら、穴があいちゃいそうだよ。」
はっとした名前が咥えた歯ブラシをもごもごさせて赤面する。誤解だ!と言いたいけれど、まじまじと見てしまった事実が気恥ずかしくて俯く。

髭切は悠々とした動作で、名前に手を伸ばす。まったりとしたその仕草に溢れる品の良さは、まさしく源氏ばんざいと言いたいところ…だが半裸である。
両手をそっと添えて、諸事情により口を噤んだ名前の頬を潰さないように掬いあげた。
そうして覗き込んだ目を柔らかく細めて、秘密を吹き込むように話す。

「ねぇ、主。僕は君のなんだから、遠慮なんてしないで、好きに見てくれて良いんだよ。」
朝日にそぐわぬ、いちじくを煮詰めたような甘い甘い声。
「ああでも、あんまり美味しそうな顔をされると、食べたくなっちゃうな。」

ぶっふぉと名前が噎せるのと、兄者ぁぁぁと膝丸が駆けつけるのとが同時だった。



「…歯磨き粉かけてごめん。」
「いや、こちらこそすまない…。兄者が迷惑をかけた。」
「うんうん、かけ合いっこでお互いさまだねぇ。」
誰がうまいこと言えといったか。

「「兄者ぁ。」」力無い二人の声に、ちゅちゃんと雀が返事をした。


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