いつだってきみと


どくどくと、耳の横で心臓が鳴ってるようだ。
「あんなんずるい…。」
頭の上まですっぽりと布団をかぶって、名前は熱い頬を抑える。
額に触れた、ふわっとした唇の柔らかい感触。さらりと顔の上を流れた、一期一振の匂いまで。なにもかもが何度もフラッシュバックされる。
あかんあかん考えたらあかん。無になろう。

はじめの『死んだらこんな感じなんかな…』なんてシリアスな空気は見事にお覚悟されたが、代わりになんとも少女漫画的な展開に頭が追いつかない。
フラグクラッシャーと名高い名前もたじろぐ王子様っぷりだった。

もんもんとした感情が布団の中立ち込めて息苦しい。限界だ。
「あー!」
あんなんされて誰が寝れんねん!!と布団をばさっとめくった瞬間、視界にぬっと白い影。
鶴丸の顔が目前に迫っている。
「っゎ……!?」
悲鳴をあげる前に口を押さえ込まれる。抑え込むならば、悲鳴をあげるような登場をしないでもらいたい。

「んむ…。」
「ははは、驚いたか。」
枕のすぐそばに肘をついて、真上から覗き込まれている。垂れた前髪から滑らかなおでこが見える。暗闇だというのに、金の瞳は鱗粉を撒いたようにきらきらと光って見える。

もはや気配を消すのが上手いとかそういう次元じゃ無い。
押さえつけられた口許の手のひらを退けて、名前は目眩さえ覚える。それはもう鶴丸のぶっとんだ遊び心に対して。
「もう…なに?」
「おっと、ご機嫌ななめかい?」
名前はじっとりとした視線をただ送る。いい加減寝たい。とはいえどちらにせよ眠れそうにはなかったのだが。それはさておき。

「いや、すまん…。粟田口のとこの長兄にけしかけられたんだ。気を悪くしないでくれ。」
困ったように笑う鶴丸も、自身の子どもっぽい動機に少々負い目を感じている。一期一振に張り合うように主の元へやって来たが、必要とされていないところへ出しゃばるのは、主のものとしてどうなんだ、と咎める心も持ち合わせているのだ。
彼らは刀。要るも要らぬも持ち主次第だ。

思っていたより弱気な表情の鶴丸に、名前はすこし拍子抜けする。
「いち兄?…なんで?」
素直に投げられた疑問に、鶴丸はむ、と唇をつぐんだ。口付けられたにしては、彼女は平然として見える。あれは一期一振のはったりだったのか…?いや、そうは見えなかった。鶴丸国永、観察力はずば抜けている。彼を嘘で出し抜くのは至難の技だ。
鶴丸は名前の上に乗り出していた身を起こし、胡座をかいて座り込んだ。目が伏せられる。
「ん?」
いったい何なんだ。突然やってきた沈黙を、名前は不思議に思う。彼女もまた身を起こして鶴丸に向きあうように座った。
鶴丸の顔をちらりと覗き込む。
出会って1日だが、とてもわかりやすく様子がおかしい。首を傾げて言葉を待っていると、鶴丸が顔を上げた。目が合う。どこか拗ねたような眼差しに、名前はますます混乱した。
やがて、ぽそりと、鶴丸が口を開いた。
「…したのか?」
聞こえない。
「え?なんて?」

…間。

「…っ口付けしたのか。と、聞いているんだ。」
「…え?」
止むを得ず間抜け面の名前に、鶴丸はやきもきする。

「口付けって、あの?」
きょとんと音がつくような無防備な名前の表情に、鶴丸は言葉より先に手が伸びた。すらりとした、無骨な男の手が名前の両頬を捕まえる。
「な…!?」
突然のことに驚いて、後ずさろうと名前の手のひらが地面を掻く。座っているまま、ずいと顔を近付けられて、上体が後ろに傾く。残念ながら名前にはこの角度で体を支えられるほどの腹筋はない。
鶴丸の手は、名前の頬を離れずについてくる。

二人倒れこむようにぽすんと布団に落ちた。
お互いの吐息が混じり合うような、至近距離だ。

鶴丸の親指が、名前の唇をぐにっと拭うように撫でる。あまりの事態に名前の混乱は加速する。なになになにこの状況!?
瞬きの音が聞こえそうなくらい、眩しい瞳が近く、息がつまる。
「…どうなんだ?」
「いやいやいや、してないしてない!されたけど短時間で尾ひれ付きすぎ!」
ばくばくばくと心臓の騒ぐ頭の中で、急にあてられた色気に、鶴丸なんなんやばすぎるやろ!!と名前は混乱の極みに達している。
かたや鶴丸は大真面目に名前の顔を見据えている。やがて白い睫毛に縁取られた目が、すうと細められた。
「されたのか。」
「でこ!おでこやから!」

「……。」
「……。」
鶴丸は黙っている。名前も黙っている。心臓だけが喧しい。美人の真顔はこわい。

鶴丸は記憶を辿り始めた。あの時一期一振はなんと言っていた?

〜回想、先程の記憶〜
『それが…どうもうまくいかんものです。弟たちにするように口付けたところ、大いに照れてしまわれました。』

弟たちにするように?
…ああ、そうか。
あの仲睦まじい粟田口兄弟でも、男同士で接吻はさすがにないか。
なんだ、俺の勘違いか。…よかった。

そうと分かれば力が抜ける。
一期一振も意地が悪いものだ。
「あ〜〜〜。」
突然腑抜けたような声を出して、鶴丸がへたれ込む。頬を捕まえていた手のひらが首後ろに回り、後頭部を抱き込む。もう一方は背中を通って、ぎゅうと抱きしめられた。
名前の頬に、鶴丸の頬がしっとりとくっつく。

視線が外れるとともにようやく解かれた緊張感。名前は色気で溺れ死ぬかと思った。
うるさい心臓が徐々に落ち着きはじめると、名前よりも早い鼓動が胸の向こうから聞こえてくる。
「…なにも無くてよかった。」
言ってる間にもすりすりとぐずるように鼻先が首筋に擦りよせられる。

鶴丸の行動突飛すぎる。
未だになんだかよく分からないが、どうやら心配されていたらしい。
はぁ。とため息で胸のつかえを逃して、名前はとりあえず鶴丸の背中を撫でた。落ち着け、どうどう。

鶴丸は、背中に回った手の柔らかさに、言い得ぬ胸の内のもやが霧散してゆくのを感じた。
この手に触れれば、世の中の疎ましいものも、忌々しい感情も、すべてが溶けて消えてしまうんじゃないかと彼は思う。

自分は名前のものだが、彼女は、いつか誰かのものになってしまうんだろうか。
そして俺は、それが怖かったのか。そう行き着いて、刀が感情を得るのはやっかいだなぁ、と唇を噛んだ。

どこかにやってしまいたいのに、失いたくない、この気持ちはなんだ?
胸が擦り切れそうに痛むのに、涙ぐむほど優しい、この気持ちは、いったい何だ?

思考を遮るように、腕の中から声がする。
「結局なんやったん…?」
ぎゅうと結ばれていた、腕の拘束がゆるむ。するりと解けるように鶴丸が身を起こして、隣にごろんと寝転がった。
「…一期に謀られた…。」
それはまた意外だ。と、鶴丸の横顔に目をやったら、心底悔しそうな顔が目に入って、名前は笑いがこみ上げてくる。
「っふふ。いち兄やるなぁ。」
「ああ、まったくだ。」
言いながら、寝返りを打つように鶴丸が名前の方を向く。目にかかった前髪を払ってやると、彼女は無邪気に目を閉じる。
「ん。」
閉じられた瞼を見て、湧き上がる衝動に鶴丸は苦しげに目を細めた。触れたい、触れたい、もっと近くに、行きたい。

…許されるなら…。

心の動くまま身を起こしかけたとき、名前の瞼が開いて、その透明な視線に鶴丸ははっとする。俺は今、なにをしようとした?

「鶴丸。」

「…ん?」
優しいふりは、ずるいだろうか。
「なんだ。」

「眠い。」

「、はは。ああ。そうだな。」
自分が誰かを失いたくないと思う日が来るなんて。
「ほら、ちゃんと布団を被っておけ。」

「うん。ありがとう。」
知らんふりって、ずるいよなぁ。
「おやすみ、鶴丸。」

「ああ、おやすみ。夢の中でも俺が驚かしてやろう。」
いつだってきみの傍にいられたら。
「ふ、面白い驚きがいいな。」
いつも君が側に居てくれたら。

…きっと、幸せだろうなあ。

静かな夜に、眩しい月だけがそっと浮かんでゆく。

立ち込めた闇の中で、ぽうと光るような胸の熱を目印にして落ち合おう。



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