俺が神さまだったなら


全力の負けず嫌いを発揮した一期一振が、名前の部屋を出る。
廊下の陰に、鶴丸国永が居た。白い衣が光を吸って、月明かりを身に纏ったように薄ぼんやりと浮かび上がっている。

「よっ。まさかきみが出てくるとはなぁ。まったく…驚かせてくれる。」
「ははは、鶴丸殿を驚かすことができるとは、光栄ですな。」

鶴丸は騒ぐ心を抑えて一期一振へ向きなおる。
世界から、名前を連れ出したんだ。
寂しい想いからも、悲しい気持ちからも、遠ざけて、彼女の心を守ると決めた。
一人きりで泣いてはいないか、寂しい思いに苛まれていないか。許されるならばずっと、片時も離れずに彼女を笑わせていたい。

彼女が寂しくないのなら、悲しんでいないのなら、隣に居るのは自分でなくても良いはずだ。
けれど、なぜこんなにも、この想いは苦いのか。

一期一振が主の部屋に入っていくところを見届けて、こんな気持ちを味わうくらいなら多少強引にでも部屋に押し入るべきだったと後悔した。
…わかっている。こんなのは責任感にかこつけた、やきもちだ。

どろりとした気持ちを飲み込んで鶴丸は顔を上げる。
「一期、主は…あの子は泣いていたか?」
聞くのはとても恐ろしかった。
自分のしたことが、如何に勝手なわがままであるか、鶴丸は誰より理解している。
奪ってまで、欲しかった。掠め取ってまで、触れ合いたかった。
その心は、痛いぐらいだ。

これじゃあ、墓を暴かれたって、文句は言えまい。俺がもっとちゃんと、神様だったなら、こんなことは起こらなかったんだろうか。頭と心は別のものだったなんて、この身を得るまで知らなかった。
胸の中自嘲する、鶴丸の揺れる瞳を見て、一期一振は事のあらましが分かってしまった。

「…いえ、笑っておられましたよ。」
主を連れてきたのは、鶴丸国永らしい。
しかし、一期一振が鶴丸を責めることはない。なぜなら彼もまた、主に会えたことを喜ばしく思っている。…その上で、彼女を返したくないという自覚があった。
鶴丸の行いが罪だというなら、自分もまた同罪だ。

「…帰りたいと、言っていたか?」
聞きたくない、聞きたくない、祈るような気持ちで、鶴丸は問いかける。
一期一振は真っ直ぐに答える。
「いいえ。…もしも主が、帰りたいと泣いたなら、私はあなたと戦ってでも主の名を取り返すつもりです。…もっとも、それで免罪とはいかんでしょうが。」

ぱちり、と鶴丸は目を丸くして、破顔した。
「っははは!…ああ、そいつは心強いな。俺からも頼むぜ。」
もしも自分が道を誤ったとて、一期一振が立ち向かってくれるというのは、頼もしい。

これにはさすがの一期一振も呆れ顔だ。
「あなたはほんとうに、厄介な方ですね。」
言葉尻にため息が混ざる。

「そうか?主を泣かしたとなっちゃあ俺は自分で自分を許せそうにない。…まあ、可愛い泣き顔だって見たくないわけじゃあないが。」
「鶴丸殿…。」
一期一振の額に青筋がうかぶ。
目が笑っていない。普段怒らない人が怒ると、当社比20倍は恐い。

「そうこわい顔をするな。好きなやつを泣かせる趣味は無いさ。しかしきみが付いていてくれるなら安心だなぁ。」
「なんの話です?」
一期一振は、私欲に流されない刀だ。主に付き従い、彼女の意思に忠実に、必要とあれば自分を諌めてくれるだろう。
そういう存在が居ればこそ、鶴丸はようやく自由になれる。

彼女を幸せにしたい。鶴丸は誰よりもそう思っている自信があったが、今日の様子から察するに、それは簡単にできることでは無いらしかった。なにせ生身の人間とこうして接するのは初めてだ。それこそ新鮮さと驚きに溢れているが、自分が良しとすることを、彼女もまた良いと感じるかはわからない。
いつだって、正しい選択なんてわからないものだ。
だからこそ、自分が彼女の心を見失ったとき、それに気付かせてくれる目の数は、多い方がいい。

一期一振の言葉には答えない。鶴丸はとぼけたように笑う。
「寝かしつけるのは得意だろう?きみとなら、主も安心して眠れる。」
鶴丸に他意は無いものの、言外に男ではないと言われているような気がして、一期はすこしむっとする。
主に不貞をはたらく気などさらさらないが、一期一振は思う。二人して自分を無害な兄と見なすとは、…刀もまた持ち主に似るんだろうか。

胸のもやをそのままにしておくことができないのは彼の性分だ。物腰の割に負けず嫌い?前の主の影響ですな。
綺麗な笑顔で鶴丸に答えてみせる。
「それが…どうもうまくいかんものです。弟たちにするように口付けたところ、大いに照れてしまわれました。」
「………は?」
「…いまごろ眠れぬ夜を過ごしていることでしょうな。」
「はあ!?口付けたのか!?」
鶴丸がばっと距離を詰める。
一期の肩を掴んでがくがくと揺さぶる。
「口付けたってなんだ!あの口付けか!?」
まあ額にですけど、とは言ってやらない。いつも飄々としている鶴丸が狼狽しているところは、存外面白い。いつも諌める立場の一期は、なるほどいたずらも悪くないですな、と笑うのだった。

「一期!見損なったぞ!きみは品行方正なやつだとばかり思っていた。」
「ははは、そのようですな。違うと分かったのなら、あなたが主のそばに付いて居ればいいでしょう。泣いてしまわれないように、帰りたいなんて言えないように、近くに居てはどうです?」

あまりにも分かりやすく塩を送られて、鶴丸は眉根を寄せた。彼には珍しいふくれっ面である。ふん、と唇を尖らせて拗ねるように言ってのける。
「…言われなくてもそうするさ。」
こうも焚きつけられて黙っちゃいられない。
鶴丸は、くるりと踵を返して名前の部屋へ向かう。

白い背中を見送って、一期一振は静かに微笑んだ。

なにが正解かなんてわからない。正解なんてどこにも無いのかもしれない。
自分たちにただできるのは、選んだ道を後悔しないように精一杯歩むことだけだ。

その先にある未来がどんなものでも、道のりにある花々の美しさは、誰にも消せないのだから。



前のページ/次のページ


表紙に戻る
一番最初に戻る
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -