一筋縄ではにっかり出来ない

「主、俺は湯殿の準備をしてきます。」

長谷部に連れられてやってきた自室。

名前は、はあと息をついた。
一人きりになるのはずいぶんと久しぶりのような気がする。
人と会うのは好きだが、一日でこんなにたくさん触れ合う経験はまず無い。

広間のざわめきは遠く、耳をすませると声が聞こえる。次郎太刀と光忠の声はよく通る。

名前の自室として案内された部屋は、7畳ほどの和室。床の間には立派な掛け軸と生け花。ふんわりみずみずしい香りがするので、生花のようだ。
いけてくれたのは、歌仙だろうか。
雅なことはよくわからないけど、200年後も花は形を変えず咲いていることになんだか少し心が安らいだ。

部屋の隅には刀掛けが置いてある。誰かの本体でも置いておくのだろうか?
真ん中には文机、角には箪笥と鏡台。
押入れはがらんとしていて、生活感の無さは旅館に来たような心地だ。

正面の障子を開けると、縁側から中庭へと降りられる。後ろの襖の向こうにはもう一つ部屋がある。どうやら布団を敷いて寝るための寝室のようだ。

名前は、畳にごろりと寝そべった。
帯の結び目に腰が反り、うう、と息がつまって、ころんと寝返りを打った。
長くて短い、めまぐるしい一日だった。頭の中では今日の出来事が代わる代わる思い起こされる。

かちゃりと鳴った髪留めにはっとして、結われた髪を手探りで解く。するり、滑らかに抜けた髪飾りを、灯りに翳した。
桜の花と、螺鈿細工の繊細な飾りが、ゆらゆらと揺れる。反射した光が、零した水しぶきのように部屋に散らばった。

一人暮らしもお手の物。一端の社会人として暮らしていた名前にとって、たくさんの人の気配のあるいまの屋敷はなんだかとても新鮮で、それでいて懐かしく感じられた。
一人でいても、独りにはなれないような、柔らかなざわめきは心地よく、毛布にでもくるまっているような安心感がある。

簪に反射して、ひらひら。
壁に、床に、踊る光の粒が名前の瞳にも頬にもきらきらと触れる。

これだけの人数を、どう動かそう。
絶え間なくそれぞれに流れている時間を、うまく振り分けられる仕組みを考えてしまいたい。シフト表でも作ってしまうのがいちばんわかりやすいだろうか。

ここへ来て、自分になにができるんだろう。主として、なにから手をつけたらいいんだろう。
せっかく来たのだから、ここに居るべき意味が欲しい。おんぶにだっこのお飾りでいるのは性に合わない。

とりあえず、明日やりたいことをまとめよう。書くものがほしいな、と身を起こしたところで、廊下から声がかかった。

「主、湯浴みの用意が出来ましたよ。」
長谷部早い。しってた。
「はーい。」
襖を開けると、胸に手を当てて長谷部が一礼する。名前もまた、ついつられてぺこりと頭を下げてしまう。
なぞのやり取りである。

「俺が案内します。こちらへ。」
長谷部と並んでてくてくと廊下を進む。
大浴場で、露天風呂もありますよ、なあんて言われると期待が高まる。お風呂、この瞬間は旅行気分である。宿に行くといちばん気になるのがお風呂の造りだといっても過言ではない。タイムトラベルもトラベルには違いないか。

と、廊下の角を曲がったところで、にっかり青江に出くわした。

「おや、主と長谷部じゃないか。これからナニをするんだい?」
なんとなくそっち方面の質問に聞こえてしまう彼の物言いは、夜間ということも相まってさらに拍車がかかる気がする。
平常心平常心。名前は努めてまともに答える。
「お風呂入ってくるー。」
「それはそれは。いっぱい汗をかいて、たくさん出してあげなきゃねぇ。疲れのことだよ?」
「ふっ。」
平常心は早くも波立つ。笑っちゃだめだと思っても、笑っちゃう。名前は下ネタNGの人種ではない。
「ああ、だいぶほぐれてきたみたいだねぇ。表情のことだよ。」
割とだいぶアウトな内容である。青江の言い回しには、わかる人にしかわからないという罠が潜んでいる。

下ネタやん、と分かってしまった時点で、同じ穴のムジナなので、変なこと言うな、なんてカマトトぶることはできない。
おや?ナニを想像したんだい?といい笑顔で聞かれるのが目に見えている。

これは。と名前は思った。
青江はこの話し方で、どこまでセーフなのか見極めようとしているのではないか。
長谷部の顔をちらと見る。真顔。これはどうやら散りばめられた下ネタの罠に気付いていない。名前と青江のやり取りを静かに見守っている。
対する名前は半笑いである。
これは分かっている者がする顔だ。

ん?と名前の視線に気付いた長谷部が無邪気ににこりと笑いかけてくる。
理由はよくわからなくても、主が楽しそうなら長谷部にとって問題無しである。
名前に、なぜか妙な罪悪感がこみ上げてくる。

「ふふ、僕の主はなかなかイケる口のようだねぇ。もっと感じてみるかい?言葉遊びのことだよ。」
「青江、ふふ、もう笑かすんやめて。」
笑かすというかにやけるというか。
笑っちゃだめだとおもうほど、ついにまにましてしまう、名前が口元を押さえる。
にっかり青江もまた微笑む。
名前の表情を見て、やっぱり笑顔がいちばんだね、と彼は静かに再確認する。
軽妙な言葉選びの最中で、その眼差しは暖かい。

くすくすとひとしきり笑った名前が、ふと顔を上げる。
にこにこと笑っている青江と目があって、はっと思い立つ。
お風呂といえば、着替え、着替えといえば、下着は用意されているんだろうか。と。
どうしよう。この男所帯。急に不安になってきた。
しかし青江も、まさか主が自分の顔を見て下着を連想するとは夢にも思うまい。

名前は思案する。
さっきのキョトン顔からして、長谷部にこれを訪ねるのは少々ハードルが高そうだ。
乱や薬研、次郎太刀や鯰尾あたりになら聞けそうだけれど。あるいは青江なら…。
いやしかし、この場で長谷部に先行っててと言うのも変だよなぁ。でも、さすがにノーパンは嫌だなぁ。
名前はこのとき、今自分が履いているものを確認すれば事足りるということをすっかり失念している。
それどころか江戸時代のパンツってどんななんだと思いを馳せている。まさかふんどしじゃあるまいな?

「ん。遠慮なくかけちゃっていいからね?…問い掛けのことだよ。」
青江が名前に問う。
そうか!その手があったか!と名前は心得た。青江風に聞けば、長谷部に悟られずにこの疑問を解消できる!
案ずるより産むが易しである。
「私はナニを履けばいいん?下着のことだよ。」

時が止まる。
一瞬が、永遠のようにも思えた。

「え。」青江が口をあんぐりと開く。
「は。」長谷部がぴしりと固まる。
「…あれ?」名前が首を傾げる。

…いやいやいや!下手くそか!!
言い逃れようのない下手くそである。
もはや倒置法を用いただけの、ド直球である。

「へっ、あっ、主!?何を言っているんです!」と長谷部がたじろぐ。かあっと頬が茹って赤い赤い。パンツごときで免疫が無さすぎるぞ。頑張れ長谷部。
「…やってしまった…。」
名前もまた頬へ耳へ血が上ってくる。自分の失言が、恥ずかしくって仕方ない。こんなことなら普通に聞いた方が百倍マシだと自責の念にとらわれる。まあ、ごもっともである。

そんななかで、にっかり青江はにっかりしている。
「ふっ…おやおや、僕の真似っこかい?ずいぶんつたないねぇ。ふふ。」
言いながら、青江は一歩、名前に近付く。

ひそり、蠱惑的な流し目で名前を見て、耳許へ口を寄せた。
「今着てるもの、脱いでくれたら教えてあげられるんだけど。もちろん下着のことだよ。」
「…あ、ほんまや。」
はい、アハ体験。
そういえばパンツちゃんと履いてた!名前は頭を抱える。
「ま、そんなこと、この堅物な彼の前ではできっこないよねぇ。どんなのかは…「げほっごほっんんっ!!」長谷部がかぶせるように咳き込む。とてもわざとらしい。
「あ、主、心配せずとも、脱衣所に、用意しています…。」声はどんどん小さく、尻すぼみになる。楽譜にしたらデクレシェンドがかかっている。

「へえ。君が用意したのかい?案外や…「俺ではない!!」…ちょっと、最後までいかせてよ。」
「じゃあ誰が?」
名前はただただ気になる。下着の世話ぐらい今後は自分でやりたい。というか、買いに行けるものなら買いに行きたい。
「…前田と平野です。」
「えっ。」
「ああ。なーんだ。つまらないなぁ。」
青江は口を尖らせる。流石の彼も、年端のいかない姿をした短刀たちに下ネタをふっかけて絡むことはしない。

名前は意外な人選に驚いたが、しかし同時にとても安心した。女の人の寝室にもいたという彼らなら、きっとまともなのを選んでくれているだろう。
それに、長谷部やらその他どうみても同世代の姿をした異性に下着を知られているというのは、彼らが刀の付喪神であるということを差し引いてもさすがに居た堪れない。

「これで解消できたかい?不安のことだよ。」
「うん、よかったー。」
ともあれ、結果にっかりな名前と青江。
その隣で長谷部はとても複雑な心境である。
不可抗力とはいえ、主にこのような話をさせてしまったことが悔やまれる。
俺が…俺が用意して主に差し出していれば、このような辱しめを主が被ることはなかっただろう。と、至らぬ自分の気遣いを静かに悔やんだ。
長谷部よ、そこまでいくと痒いところに手が届きすぎてむしろ痛いだろう。

お互いを知らない。
可能性と好奇心の綱渡りで、生活は幕を開けたばかりである。


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