酸いも甘いも君次第

先ほどまでの厳かな雰囲気は何処へやら。

燭台切の「いただきます!!」の号令を皮切りに、がやがやと騒がしい大団円。

食事もひと段落というところへ、もふり、顔を出したのはそう、約束の小狐丸だ。

「ぬしさま。」
「…こんなに食べるん?」
満面の笑みで差し出されたのは大皿に乗った50個ほどの稲荷寿司。
…乱視にでもなったかな?と名前は我が目を疑う。
「ぬしさまにあーんしていただけるとなれば、この小狐、油揚げの出し惜しみは致しません。」
「はっはっは、驚きの量だろう!俺も手伝ったんだぜ!」
得意げに身を乗り出して来たのは鶴丸だ。いい笑顔だな。なぜ手伝った。
名前の目が半ば死にかけている。

「では、失礼いたします。」
小狐丸が有無を言わさずに名前を膝の上に乗っける。胡座をかいた右腿の上に、ひょい。緩みきったその心は、もちろん失礼いたしますなんて思っていない。
名前よ、心を無にするのだ。50個なんて大したことない。大阪城も50階までならすぐだろう。脳死周回だ。

にこにこと小狐丸が笑んでいる。
言わずともわかりますよねぇ、ぬしさま。

「…。」
稲荷寿司をひとつ、お箸で摘んで小狐丸の口元へ運ぶ。だがこの狐、口をひらかない。
閉じられたままの唇を、稲荷寿司でちょんとつついた。
やはり開かない。
箸を持った手を掴まれる。
「ぬしさま、あーんと言ってくれませぬと、小狐丸はいつ口を開いてよいのやらわかりません。」
「…はあ?」
その言葉に開いた口が塞がらないのは名前だ。

いや、分かるだろう!好きな時に口開けろや。名前は恥ずかしさで乱暴になりそうだ。
何より居た堪れないのは、膝に腰かけた名前の正面、小狐丸の傍らでにこにことこのやり取りを観察している白い鶴の存在だ。

ただでさえ恥ずかしいのに、それを見られているとなると恥ずかしさもひとしおである。

「ん?なんだ?手本を見せてほしいのか?」
名前の視線に気付いた鶴丸がてんで御門違いなことを言ってくる。
「いらん。」
「ほぅら、主。あー?」
無視である。さっと稲荷寿司を摘んで、ぐんぐんと距離を詰めてくる。ぐっと噤んだ唇をそのままふにっと押される。
「どうした?食べないのか?」
鶴丸の瞳にきらっといたずらな光が灯る。食べるまでやめないつもりだということは、顔を見れば分かる。

この人たちときたら、どんだけなつっこいねん。

名前はいよいよ覚悟を決めざるを得ない。仕方あるまい。やってやろうじゃないか。食べるだけ、そう、食べるだけ。

鶴丸は至極楽しそうだ。
「ふ、観念したか?」
セリフが完全に悪役のそれである。
「ならいくぞ、ほら、あーーー、」
名前は口をひらく、あーと開けた唇が少し震えて、それがとても恥ずかしい。
食べさせるんじゃなかったっけ、なぜ食べさせられてるんだ。羞恥で混乱が加速する。
いよいよ唇に触れる、と身構えた瞬間。
「ん。」
先ほど名前の唇をつついていたそれはひょいととんぼ返りをして、鶴丸の口の中へ消えた。

「な、な…っ!」
言葉にならぬとはこのことか。

「…ほうは、ほほうはいはっはは?」
予想外の出来事でも、心は羞恥でしんでゆく…。

「〜〜〜っもう!鶴丸ひどい!」
「ん、ははは!すまんすまん。そう怒るな、ほら。」
またひとつ、差し出された稲荷寿司。頬を真っ赤にした名前は、信用ならないといった顔で鶴丸をにらんでいる。が、食ってみろ、という鶴丸の表情に促されて小さく口を開けた。
きゅっとその隙間から稲荷寿司を押し込まれて、ぱくり、ようやく食べた。

じゅわわ、甘く煮染めた油揚げに、つやつやとしたお米の食感。ぱりりとレンコンが弾けて、炊き込んだお米の味がふわふわと口の中ににじむ。
なんだか負けたような気分だが、事実としてとても美味しい。

「ふふ、ぬしさま、小狐のおいなりさんのお味はいかがですか?」
いやはや目福目福。小狐丸は特等席で目を細める。
羞恥に染まる名前の顔をつぶさに観察していた。涙の膜が浮かぶ、怒り顔までとても可愛らしい。
愛おしいものが腕の中にいるのが、とても幸せだ。
その浮ついた気持ちを差し引いても、小狐丸のおいなりさんとはいささか危険な言い回しであるが。そんなこと、いまの名前は気にかける余裕などない。

もぐ、と名前が口の中のものを飲み込んだのを見計らって、小狐丸が促す。
「今度は小狐の番です。」
はぁ。大きいひと山を無理矢理越えて、名前は、あーんごときなんてことないと思い始めていた。慣れとはおそろしい。こうして徐々に飼い慣らされていくのである。
小狐丸の口へ、稲荷寿司を運ぶ。
「はい、あーん。」
先ほどまでの羞恥はどこへやら。もはや投げやりになっている。
ぱくっとひとくちで、口の中へ、もぐもぐと咀嚼する頬はふくふくと緩んで桃色に、小狐丸はとても幸せそうな顔をする。

あれ…?…可愛い…?

そう。これが我が子マジック。親の欲目といったところか、白髪の大男が名前の目にはだんだん可愛くみえてくる。

「ふふ、これまででいちばん美味しゅうございます。ぬしさま。」
小狐丸。どこまでが計算なのか。野生とはかくあらん、なぜか可愛い。

名前は自分を試すような気持ちでもう一つ稲荷寿司を摘んだ。
再び小狐丸の口へと運ぶ。
「あーん。」
んあー、と無邪気に開けられた口に、覗く八重歯が見えて、いよいよ確信する。
あかん、これは可愛い!

はくり。そしてむぐむぐと噛む。
そして、ゆるゆると頬が桃色に…おや…?
なにやら様子がおかしい。
小狐丸の眉間に皺がより、んぐぐ、と口の中を探るような表情をしている。
「どしたん?」
名前の言葉には答えず、小狐丸はじろりと鶴丸を睨んだ。

「ん?なんだなんだ、主に食わせてもらう好物はさぞ美味いだろう?」

ごくん。口の中のものを全て飲み込んでから話す、小狐丸はお行儀が良い。
「鶴丸、おぬしなにを入れた…?」

あー、絶対やると思った。
朝のあの様子で、鶴丸がわりと厨に馴染んでいるのが不思議だったのだ。
小狐丸を手伝ったのも違和感があったし、さっきからわくわくした表情を隠しきれていないのはそのためか。

「はっはっは!さて、何を入れたんだったか?まっ、安心していいぞ。食えるものしか入れてないからな!」
どこに安心できる要素があるというのか。
今ここにあるのは、ロシアン稲荷寿司である。賭けてもいい、ぜったいわさびが詰まったものも混ざっていることだろう。

「食べもので遊ぶのはやめなさい。」
名前が言うと、なぜか鶴丸はぱああ、と顔を輝かせる。
「おっ、主に叱られるのはこれが初めてだな!ふむ、なかなか新鮮な心地だぜ。」
この驚きじいさん、反省の色がまったく伺えない。
名前は呆れる。やんちゃな息子か。

「小狐丸が食わないと言うなら、俺が食うさ。なあ、それならいいだろう?」
流した目線で、挑戦的に小狐丸を見据えた。
独り占めは感心しないなあ、とその黄金色の眼差しが言っている。
小狐丸に青筋が浮かぶ。おのれ鶴丸、謀ったな。

「小狐はこんなことに屈しませぬ。ぬしさま、まだ食べます。」
「ああ、そうこなくちゃなあ。主、俺にもあーんだ。」
「なんでそうなるん。」
「俺が当たりのを覚えてたら、不公平だろう!」
ふんすと鼻息荒く宣言される。
そりゃあまあ、そうか。と名前は納得する。

素直に一緒に食べたいと言えばいいものを。甘え方を知らない、鶴丸国永は妙に不器用だ。

そこからは書くに堪えない、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

「ま、まて、本当にそれにするのか?考え直した方がいいんじゃないか?」
「がんばれ鶴丸。ほら、あーん。」
分かりやすく緑が透け透けのおいなりさんは、せめてもの牽制にと鶴丸に美味しく食べていただいた。

最後のひとつで、中からつぶあんが出てきたとき、小狐丸は涙を飲んで誓いを立てた。

ひとつ、ぬしさまからのあーんは二人きりのときにこっそりしてもらう。

ふたつ、この真っ白じじいにいつか一杯食わせてやる。



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