魔法が解けても


両手にかっこよくお盆を乗せて広間の襖を開けた燭台切はぎょっとする。
酒飲み衆に囲まれて、座っている小さな背中。自ら結い上げた髪の後ろ姿を疑ったほどだ。
彼らに囲まれて、潰れるまで飲まされたトラウマが光忠の脳裏を掠める。光忠の格好よくない思い出アルバムに入っている記憶だ。

「主!?」
突然背後から掛かった声に名前が何かと振り返る。
「ん?」
ジャケットを脱いで、シャツにベストという格好に、黒い腰巻きエプロンをしている光忠は、どこぞのギャルソンにしか見えない。
料理から立ち昇る湯気さえ、なにかの演出のようである。
なにやらひどく焦っているようだが、大丈夫だろうか?

光忠のそのまた後ろから、両手で大皿を持った大倶利伽羅が顔を覗かせる。
「…安心しろ。」
そのやり取りをみて、名前は、ああ。と得心した。
「ぜんぜん飲んでないよ。」
からん、とカルピスの入ったコップを持ち上げて見せる。
燭台切の中で、点が線になる。
「伽羅ちゃん!君が守ってくれたのかい!?」
大倶利伽羅が光忠を上目にちらりとみて、はあ。とため息をついた。
心配性で面倒くさい。と、雄弁な動作で燭台切の傍を抜けて料理を運びこむ。

「「そんな大袈裟な。」」
名前と陸奥守の声が重なる。
「俺らが悪もんみてーじゃねーか!」
兼さんが口を尖らせる。
「もう。兼さんは酔うと相手を潰すまで飲むんだから、燭台切さんが心配するのも当然でしょ。」
言いながら入ってきたのは堀川国広。さっと料理を並べて、名前たちの囲う机へとやってくる。

「あっはっは!酔っ払いの燭台切は最高だったもんねぇ!」
「次郎さん…その話は…。」
「ああ、思い出したくなかったかい?じゃあぱあっと飲んで忘れるってのはどうだい?」
酔っ払いの光忠に少し興味を惹かれる。が、ほんとに思い出したくないらしい、光忠は困ったように眉を下げて笑う。
「誘ってくれるのはありがたいんだけど、今日は遠慮しておこうかな。…そうだ。新しいおつまみの試作を作ろうと思うんだけど、次郎さんたちで味見、してくれるかい?」
大太刀の攻撃範囲もなんのその。燕尾服もひらりと翻るような、かわし方も伊達男だった。

「はい、じゃあここ片付けてくださいね。机くっつけますよ!」
「「はーい。」」
堀川の号令で酔っ払い集団が立ち上がる。
名前が何より感心したのは、太郎太刀のシラフっぷりであった。
「太郎さん、酔ってないん?」
「ええ、何せ私は現世離れしておりますからね。この程度では酔いません。」
「御神刀ってすごいなぁ。」
「主、その体は仮初めのものでしょう。あなたはくれぐれも無理なさらぬよう。」
仮初めのもの…確かにそうだ。すっかり違和感なく動き回っているが、これは名前自身の体ではない。
そういえば三日月も同じようなことを言っていた。器、という言葉を使っていた。

…なんだろう。
ざわりと名前の胸が騒ぎかけたとき。
「あーるじ。なに、お酒飲んでたの?」
加州清光が名前の左手をとって首を傾げた。長い睫毛はぱちりと束になっていて、切れ長の瞳をそれはそれは美しく引き立てている。
突然の距離の近さに、名前はすこし驚く。
「わ、清光!うん。ひとくちだけ飲んだ。」
言いながら掴まれた手を握り返す。目を合わせて笑いかけると、ふ、と加州の口もともまた緩む。
「もう。あんまり体に悪いこと、しないでよね?」
子供を諌めるような、すこし困った笑顔だ。

「そうそう。俺たちを使うなら、長生きしてよね。」
加州の隣から、ひょっこりとやってきたのは大和守安定。切ない言葉の重みをごまかすように、いたずらっぽく笑っている。

「なーにをいうとるんじゃ。酒は百薬の長。一滴も飲まんっちゅーのも、かえって不健康ぜよ!」
陸奥守が名前と加州の間から、二人の肩を抱えるようにのしかかる。
肩にぐっと体重がのって、左頬にぴょこぴょこと跳ねた髪がふれてくすぐったい。
「陸奥守、重いし酒くさいよ。」
「まっはっは!酒の匂いが嫌なんじゃったらおまさんも飲んだらどうじゃ?」

しかめっ面で鼻をつまんでいた加州ははあ。とため息をついた。周りをきょろっと見渡して声を張る。
「ちょっとー!兼定ー!この酔っ払い回収してくんない!」
壁にもたれていた和泉守は加州の呼びかけに、意気揚々として寄ってくる。ただし、千鳥足である。
「おーおー、どうした加州?この俺に助けを求めるたあ、可愛いとこあんじゃねーか!」
副長兼さんはどやっと嬉しそうだ。

このときの加州のげっという顔に、名前はふ、と吹き出す。
加州清光。磨き上げられた計算尽くの可愛さももちろんよく似合っているけれど、その表情や心の機微の可愛さも持ち合わせている。
吹き出した名前に、加州ははっとして取り繕うように表情をつくる。
自信をまとったような笑顔の下で、加州清光はひそかに緊張している。

加州は、こっそりと名前の瞳に映る自分を伺い見る。この目に、自分はちゃんと可愛く映っているだろうか。もう、ずっとどきどきと胸が煩い。酔っ払いの相手をしている場合ではない。

取り繕われた表情を見て、名前はすこし寂しくなる。まだ緊張されている、それもそうか、会って初日だ。むしろ鶴丸やら小狐丸、三日月あたりに距離がなさすぎなのかもしれない。

和泉守兼定があえて空気を読まずに絡んでくる。
清光と安定の間から、陸奥守に倣って肩を組んで覆いかぶさる。
「なんだなんだ、陸奥守、うちの加州になんの用だぁ?」
「ちょっと、変な言い方しないでくれる?俺はアンタのじゃないんだけど。」
「へーへー、まあお前も安定も、弟分みてーなもんだろ!」
「はっ、冗談はその酒くささだけにしてよ。」
「兼定が兄貴とか、ないない。」
安定もまたげんなりとして答える。
やはり旧知の仲とあって、言葉の辛辣さに親密さがみて取れる。
気の置けない仲といったところか。

「うひひ、新撰組の連中は仲がええのう!」
名前の心境を代弁するように、陸奥守が笑う。
「「どこが。」」
清光と安定の声が重なる。似た者同士だ。
「安定、ちょっと堀川呼んできてよ。」
「僕もそれ考えてた。」
「いや国広はいま忙しいだろ!」
どうした兼さん。動揺の仕方が三者面談の日程決める高校生みたいだぞ。

「んじゃ、離れて。いい加減暑いよ。ほーら、陸奥守も。」
「なんじゃあ、飲まんのかー。」
「おう!おら陸奥守、向こうで飲み直そうぜ!主、アンタもあとで来いよな!」

「…めまぐるしいなぁ。」
去って行く酔っ払い二人を見送りながら、名前が笑う。
「行かなくていいからね。主。」
「ああはなりたくないよなー。」
安定に続いて清光もまたため息を吐く。呆れた顔をしているが、和泉守のよろりとおぼつかない足取りが揺れるたびに、眼差しがはらはらとした色を含む。
「…やっぱ堀川にちくっとく?」
「僕行ってくるよ。主、変なのに絡まれないようにね。」
「変なの?」
「ほら。個性強いの多いからさ。」
「たしかに。」
確かに。こんな個性の塊ばっかりでよくこれまで一つ屋根の下で生活できたものだ。
名前は感心する。取り纏め役がいたのか、それともみんなが少しずつ歩幅を合わせてきたのか。おそらく後者のような気がする。なんてったって初期刀は人見知りの歌仙だ。本人に言ったら怒りそうだけれど。

一方名前の見えないところで、安定が清光の二の腕を小突く。
安定は知っている。清光が名前と話したがっていたこと。そのために、部屋で念入りに身なりを整えていたこと。
しっかりやれよ。と水色の瞳が頷いたのをみとめて、清光は内心舌打ちをする。お節介め。自分だって主と打ち解けたいくせに。

「じゃ、いってくるね。」
安定がふわふわと後ろ髪を揺らしながら去って、清光の緊張はピークに達する。
話したい、でも話すってなにを?考えているとじわりと手に汗が滲んできた。
…手汗かくなんて、可愛くないよね。と握った手をすこし緩める。
しかし、それがほどけることはない。思いの外しっかりと、名前がその手を掴んでいる。
綺麗に塗り整えられた紅い爪に囲われるように、名前の指が絡んでいる。
きゅうと柔らかく繋がれた手。小さくて、可愛い。と加州はまなじりを緩めた。

朝ごはんの時は遠くから見つめているだけで、鶴丸からの流れ弾には心底焦った。
加州自身は人なっつこいほうではない。
常に一歩引いて、周りを観察するたちだ。空気は読めるし、遠慮もできる。文句も言うし時に辛辣だが、それも相手の許容範囲を見極めているからこそできることだ。

加州から見た名前は、とても堂々としていた。彼女は目を合わせることに、一切の戸惑いがない。
まっすぐに、相手をそのまますっかり受け入れてしまうようなおおらかな眼差し。後ろ暗さのない明るい笑顔もまた、加州の心を打った。

愛されてこそ、魂は光る。刃は冴える。
だってそうでしょ?愛されてないなら、頑張る意味がない。
愛されたい。大事にされたい。
主は自分を愛してくれるだろうか?
そのための努力なら、ひとつも苦にならないのだ。

そこで、くいくいと繋いだ右手が引かれた。
「考えごと?」
名前が加州の目を覗き込む。
「へっ、…あー。ううん。主の手、小さくて可愛いなーってね。」
手を引き上げながらごまかすように笑う。

え、と名前は少し驚いた様子で、次には砕けたように笑う。
「ははは!ありがとう。でも清光のほうが百倍可愛い!」
「え。」
どぎゃん、と加州の胸が跳ね上がった。

えええ、可愛い、可愛いって言われた…!主に可愛いって言われた。可愛いってあの可愛いで合ってるよね!?
もちろん可愛くしているし、可愛い自信もあったけれど、やはり面と向かって言われると照れてしまう。
加州にとって、可愛いは正義だ。愛してる、にもっとも近しい言葉と言っても過言ではない。

口がゆるゆると溶けそうだ。でも緩んだ顔なんて可愛くなくて見せられない。ぎゅっと眉間に力を入れて、加州はふいと顔を背ける。
動揺を悟られないように勤めて、声を出す。
「なーに?俺のこと褒めたってなんにもでないよ。」
拗ねたような声になった。
その様を名前はにやにやと見つめている。
「ふふ。照れてる!かーわいい。」
「なっ、」
「そんな可愛いとこ、隠さんでいいのに。」
なっにを。と加州が名前の顔を見る。
顔を見て、失敗した。と思った。名前の眼差しはまっすぐで、たじろぐほど真摯だ。
それもそうだ。だって紛れも無い名前の本心である。

「隠さない、なーんてできるわけないでしょ。」
「えー、なんで?」
「だって、可愛くないとこ、見せたくないし。」
「可愛くないところも可愛いけど。」
「なぁに、それトンチ?」
「いや、なんか心許してくれてるーって感じが可愛い。」
「そーなの?」
すっぴんを見たい彼氏と見せたくない彼女みたいな会話である。

心を許すこと、愛されるため装うこと。
同じ好きという感情なのに、どうしてこんなにもたくさんの入り口があるのだろう。

「じゃーさ、遠慮しなくていいってことだよね?」
「うん、遠慮されると寂しい。」
「…嫌いにならないよね?」
「ならんよ!」
どうやっても嫌えない。嫌いになれない。そんなの当たり前だ。これまでどれだけ審神者業にどっぷり浸かってたと思ってるんだ。愛しかないぞ、見くびってもらっては困る。

「ふうん。じゃあさ、今度爪紅塗ってほしいな。」
「うん、いいよー。」
「えっ!?ほんとに!?」
「えっ、なんで?むしろ塗りたいけど。」
加州は驚く。こんな我儘、可愛くないものだと思っていた。
「なんなら一緒に色選びに行く?赤っていろんな赤があるから、いいのん探しに行こう。」
「…。」
加州はぽかんと口を開けている。
名前は、はてと首をかしげる。彼が放心している理由がわからない。

いままで動かぬ身体越しに香っていた、ふんわりと温かな心が、いまこうして目の前にある。
これが、愛されてるってことなのかもしれない。隠さない、繕わない。それが良いという。

我儘になりきれない加州は、いとおしさに唇をぎゅっと噤んだ。
なにかを堪えるような加州の表情に、名前は何事かと思案する。万屋になんかトラウマでもあったのだろうか。

「あれ、いややった?」
「…違うよ、ごめん。嬉しくてさ。」
にへら、と加州が笑う。その気が抜けた笑顔に、名前は胸が擽られるような心地がした。

「ほら、やっぱり可愛い。」
そっちの表情だって、可愛すぎるぐらいだ。



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