乾杯

「あーるーじー!あんたも飲もーよー!」
広間の一角、次郎太刀が一升瓶を片手に名前を呼ぶ。
傍らには静かに杯を傾げる太郎太刀。手酌で粛々と熱燗を煽っている。
「主よ、飲むのであれば水割りにしましょう。」
お昼に廊下で会った二人の大太刀兄弟。絢爛な存在感と、圧倒的なザルオーラを醸し出している。

一方酔いがすでに顔に出ている和泉守兼定。
「おーおー!主殿じゃねーか!あんたもいけるクチかよ?」
「まっはっはっは!おまさんも、はようこっち来い!」
間違いなく笑い上戸の陸奥守吉行が親しげに手招きする。朝ごはんのときに、おう、と軽く挨拶したっきりだが、当然のように名前の存在を認めている。
「ああ、酌してくれや、たいしょう。」薬研藤四郎はもう短刀枠から外してよかろうか。
そして「……。」無言の大倶利伽羅。ぎりぎり慣れあってはいないようだ。

濃いメンツだ。
名前は近寄りながら問いかける。
「もう飲んでるの?」
「なあに食前酒さ!あっはっはっは!」
名前はちらりと和泉守を見やる。
きりりと精悍な眼差しはとろんと垂れて、頬は紅を差したように赤い。
「…兼さんとかだいぶ酔ってるように見えるけど。」
「ああ?舐めたこと言ってくれるじゃねーか。ほら、あんたも飲むだろ?」
もはや名前が里芋の煮付けを食べてるだけで狼狽えていたことが、遠い昔のことのようだ。

卓を囲んで、奥に次郎太刀。時計回りに和泉守、陸奥守、薬研、大倶利伽羅、太郎太刀。
こちらは空きっ腹だ。冷静に着席場所を見極めなければ、ごはんの前に確実に潰される。
名前は薬研と大倶利伽羅の間に腰を下ろした。

「なーにを警戒しとるんじゃ?大事な主を潰したりせん。安心しとーせ!」
うひひ、と陸奥守が無邪気に笑いかけてくる。頼もしいが、だいぶ頬が赤い。酔っ払いの話は三分の一で聞くのがちょうどよい。
名前は卓の上を見渡す。
安心しとーせ!と言われて安心できる空瓶の量ではない。一升瓶がざっと五本ほど転がっている。どんなアルコール分解酵素を持っているんだ。
「あはは、頼もしいな。」
乾いた笑いしか出ない。そもそもの基準値が違うことは容易に想像できる。

「ほら、俺っちが注いでやる。」
言って杯を渡される。お猪口だ。
「う、日本酒…?」
とくとくとくと、なみなみに注がれる。
透明なそれはさらりとして清らかだが、持っているだけでぶわりとアルコールが匂い立つ。

「さあ、主殿の力量拝見といこうじゃねーか!」和泉守が声を上げる。酔うと飲ませるタイプのようだ。死なば諸共、楽しく巻き込んで潰すタイプの酒飲みである。

一杯だけにしよう。
一杯だけなら大丈夫だろう。

いしし、と心底嬉しそうに次郎太刀が杯を掲げる。
「よーっし!そうだねぇ。主との出会いに、かーんぱーい!!」
乾杯。交わす握手のように、皆の杯が触れ合う。小気味の良い陶器の音が、りりと酒に響いた。
六人の視線が名前に集まる。

視線をうけて、神妙な面持ちで名前が杯に口をつけた。
名前が口をつけたところを見送りながら、全員が杯をあおって、ひと息に飲み干してしまう。

対して名前は、表面をすくうように一口含む。こくり。瞬間、燃えるように喉を焼いて流れていく。
「…っ。」
酒!?もはや消毒液のようなアルコールの香りがぷんと鼻に抜けて、ぶわりと全身が熱くなるのを感じた。
「けほっ。」
こんなもの、お猪口一杯で潰れてしまいそうだ。喉が、胃が、燃える。

こほこほとむせていると、薬研が背を撫でてくれる。
「あー。悪かった大将、こいつはちときつすぎたか。」
「けほ、だいじょうぶ…。」
その最中、左側からひょいと杯が取り上げられる。
咳き込む名前に構わず、大倶利伽羅が表情一つ変えないまま、残っていたそれをひと息で飲みくだしてしまった。
こくりと喉仏が動いたあと、はあ、と酒の熱を逃すような、あついため息を吐く。

名前があっけにとられてその横顔を見つめていると、ちろりと視線があう。
それもすぐに逸らされて、
「…あんたにはまだ早い。」
ふい、とぶっきらぼうに言われた。
「え…、かっこいい…。」

「は?」
なんだ今の、かっこいいぞ大倶利伽羅!名前が目を輝かせる。
「おんしゃー!おっとこ前じゃのう!!」
陸奥守もまた目を輝かせる。
「別に…飲みたいから飲んだだけだ。」
大倶利伽羅はこともなさげにしれっとした顔をしている。多少酔っているのか、つっけんどんな態度が幾分か柔らかに見えた。

「おーおー、素直じゃねぇなあ!!」
かっこよくて強ーい兼さんは酒が入るとすこーしめんどくさくなるらしい。
「あっはっは!さすがは伊達男だねぇ。」
次郎太刀が膝を叩いて笑う。花魁のように麗しい佇まいでありながら、動作は男らしく豪快だ。
ここでようやく、
「…チッ。」
苛立たし気な舌打ちが聞こえた。
そのまま大倶利伽羅が席を立つ。振り向きもせず、障子をざっと開けて部屋を出て行ってしまった。

「行っちゃった、怒ったかな?」
「いや、そうでもねぇみたいだぜ?」
うん?と名前が首を傾げる。薬研が、まあ見てな。と不敵に笑う。

「あーったく。もうちょい素直になれねぇもんかねぇ。」和泉守が後ろに手をついて、だらりと姿勢を崩した。
「大倶利伽羅が素直になってしもうたら、それこそ槍でも降りそうじゃな!」うひひ、と陸奥守が笑って答える。
「日本号降らんかな…。」
「んな焦んなくてもよ、そのうち見つけてきてやるってーの。」
「ああ、わしらに任せちょけ!」

和泉守と大倶利伽羅はともに刀種変更になった身だ。名前は打刀には投石兵を装備させたがる傾向がある。
この刀種変更による投石訓練を受け持ったのが陸奥守だった。

新撰組の刀とは、喧嘩になりそうぜよ!と宣っていた陸奥守だったが、和泉守はそんなことお構いなしである。無礼講かくあるべし。
「おい、石投げ教えてくれねーか。」と飄々としてやってきた。
和泉守兼定は、怖いもの知らずだ。また、小さいことにはあまりとらわれない。そんな懐の深さ、器の大きさがあった。

これを受けて、陸奥守はひとたび面食らったが、すぐに流れる時代、変わっていく時を思った。
いつまでも過去にこだわっていては、取り残されてしまう。目まぐるしい時代の波に乗るような、前の主のしなやかな生き様を思い描いた。
いまを生きるということ、他ならぬ陸奥守吉行にとっての、今を。

龍馬なら、彼ならきっと、
「まっはっは!ああ、わしに任せい!」
笑って答えたに違いない。

して、陸奥守を中心に、 和泉守、大倶利伽羅と同田貫の投石練習は行われた。
共に体を動かすと心まで近付くのだから、人の身とはつくづく不思議なものである。

「仲いいねんなぁ。」
名前が少し目を丸くして問いかけると、陸奥守がいたずらに笑う。
「過去あっての今やき、将来のことを考えるんなら、今を変えにゃあならん。」
瞳には強い光が燦々とさしていて、輝いている。
「案外わりー奴じゃなかったってな!」
和泉守がにぃっと笑って、肘でぐりぐりと陸奥守をつついた。
「その言葉、そっくりそのまま返させてもらうぜよ!」
けらけらとじゃれる二人に、名前はほうと胸が暖かくなるのを覚えた。
元いた場所は違えど、今共にここにあるということ。それを少しずつでも受け入れて、長いときの中を生きていく彼らは、頼もしく、眩しい。

「お、戻ったようだな。」
薬研が振り返る。ざっと背後で襖が開いた。
大倶利伽羅がお盆片手に戻ってきた。
…戻ってくるのか。大倶利伽羅もまた、名前が想像していたよりこの場に馴染んでいるのかも知れない。

「あんたはこれでも飲んでいろ。」
言ってことりと、名前の前にコップが置かれる。
からからと氷が揺れる涼やかな音。
見たところお酒ではなさそうだ。
「これなに?」
「…カルピスだ。」
大倶利伽羅の口から出るカルピスという単語は、とても青春っぽい。
「ふふ、カルピス好き!ありがとう、大倶利伽羅。」
「…潰れられても迷惑なだけだ。」
「まっはっは!まっこと優しいやつじゃのう!」
「…チッ。これでも食って大人しくしていろ。」
ドスの効いた低い声、鋭い眼差しで枝豆を差し出す大倶利伽羅はとてもシュールだ。
表情と行動の温度差がすごい。



厨。
夕飯の支度で大忙しのこの場所へ、無言でつかつかと大倶利伽羅が入ってきたときのこと。
おもむろに冷蔵庫を開けた彼に、光忠が声をかける。
「どうしたんだい?探しものかな?」
「…酒以外の飲み物はないのか。」
言葉少なな大倶利伽羅と話すのにはコツがいる。それを光忠はよく心得ている。
酒以外、ということは、お酒がある場に飲めない子が来たのかな?というところまで察する。短刀の誰かだろうか?

「ああ、それならカルピスがあるよ!」
「…そうか。」

大倶利伽羅は、ででん!と出された原液の瓶を手に取る。
コップにカラカラと氷を入れて、注意深く原液を注いでいく。彼自身は濃いめが好きだが、主はどうだろうか?凪いだ表情の下で、静かにそんなことを思いながら。
「はい、お水。」
差し出された水をとぷりと注いだ。
飲ませてみて、知ればいいか。というところまで思い至って、なぜか歯痒い気持ちになった。

「…どうでもいいな。」
存外優しい声色で、溢れた言葉を光忠が拾う。
「 伽羅ちゃんはカルピス作るの、上手だよね!もうすぐ夕餉が出来るから、あんまり飲み過ぎちゃだめだよ。」
言いながら枝豆を渡される。
つくづく気の利く男だ。気が利きすぎて、なにもかも見透かされているように思う。
それが、大倶利伽羅は時々こわくなる。

共にいた時間が長いと、否応なく自分の中の相手の存在は大きくなる。
失ったときの、穴の大きさも。
これだから慣れ合いは嫌いだ。知らずにいれば、思い出さなくていいのに。

生きている限り、いつか失うのだろう。この時間も、旧知の仲間も、…主も。
知りたいか?…知りたくない。
相手のことなんて構うことなく居られたら、いつかやってくる孤独の喧しさも、少しはマシになるだろうか。

痛いほどわかっているのに、それが出来たらどんなにいいか。



「美味しい!ちょうどいい!」
聞いてもないのに嬉しそうに言ってくる名前から、大倶利伽羅は視線を逸らした。
知ってしまったことは、ずっと忘れられない。失ったものは、永遠に戻らないのに。

「主は案外、お子ちゃまじゃのう?」
陸奥守がからかうように、名前の瞳を覗き込む。
「ちょっとそのお酒は次元が違いすぎる。今度は梅酒ソーダ割りとかで晩酌に付き合うよ。」
「ま!俺たちから見りゃ、お子様もどーぜんだなぁ!」
そこで得意気になる兼さんのほうがお子様な気もしたが、口には出さないでおいた。

刀の年齢ってどうなっているんだろう。短刀たちもまた、名前よりずっと長く生きているはずだけれど、五虎退や今剣は幼く感じる。体の年齢に、ひっぱられたりするのだろうか?

カルピスをちびちび吸いながらそうこう考えていると、後ろ頭に柔らかく触れられる。追って見ると、薬研がぽふぽふと撫でてくる。
「こーんないたいけな嬢ちゃんに振るわれる日が来るとはな。…っと、勘違いしてくれるなよ、俺っちは大将が大将で良かったって思ってるぜ?…この本丸がこうも居心地良いのは、ひとえに大将の采配によるもんだからな。」

そのまま頭を引き寄せられて、首を傾げるように顔を覗き込まれる。
短刀にあるまじき色気の放出に、名前はカルピスのストローを咥えたまま固まる。溶け出した氷が、コロンと透明な音を立てた。
ふ…とその端正な表情を緩めて、薬研藤四郎が続ける。

「ただ、その身に大将である重責を一人で背負い込むこたあねぇ。たまには嬢ちゃんらしく…な?甘えてくれてもいーんだぜ、たーいしょ。」
「…っごほ!」
名前は噎せる。
お前のような短刀がいるか!と、カルピスが鼻から出そうになった。
ごほごほと咳き込んでいると、またも左からひょいとコップを奪われる。
はぁ、とため息をついた 大倶利伽羅が、そっと机に飲み物を避けてくれる。
人の仕草を読み取って、気を回す。大倶利伽羅もやはり、伊達の刀らしい。

「…薬研…やめろ。」
「ははは!なーに、俺っちは本心を言ったまでだぜ?まあなんだ、今はこのなりだからよ、大将が甘えさせてくれてもいいんだがなあ?」
和泉守と陸奥守からの、『薬研…お前…。』という視線を涼しく受け流して、にやり、笑った薬研が名前の肩を抱いて頬に指を滑らせる。
「はは、こうも頬を赤くされちゃあ、男冥利に尽きるってもんだなぁ。」
この瞬間、名前のなかで薬研は短刀枠から外れることが静かに決定した。

薬研藤四郎、酒が入ると男前の制御が効かない。

「おい…飲み過ぎだ。」
「あっはっは!しーんぱいしなくても、いつも通りさ!」
「…あんたに言ったんじゃない。」
次郎太刀はむしろ酔ってないときのほうが珍しい。これだけの酒を煽っても我を見失わないというのは、御神刀だからなのかとさえ思える。
「現世は…賑やかですね。」
なお手酌でお猪口を手離さない太郎太刀もまた、現世離れした酒豪のようだ。

お酒とはかくも恐ろしいものである。

「…はぁ。」
大倶利伽羅が席を立つ。
もちろん、夕餉の支度を急かしに行く心積もりだ。

めいめいの色で、好き勝手に描く。
一枚の画用紙の上で、それぞれに光る君たちの魂。
混ざりあって変わってゆくものも、変わらないものも、どれもがかけがえのないたったひとつである。

何かを失っては手にいれて、途方もない旅の友としよう。



前のページ/次のページ


表紙に戻る
一番最初に戻る
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -