落陽を掬う


刀装部屋を出ると、すっかり日が暮れていた。

名前の隣を歩く長谷部は、つやつやと頬を上気させている。金刀装をしこたま拵えて、すごいすごいと褒められた。
初めの落ち込み具合はどこかへ消えて、その表情は自信に満ち満ちている。

主に必要とされたいのは変わらないが、それよりももっと、彼女を喜ばせたいと思う。
名前が喜んでくれるのならば、長谷部はなんだってできそうだった。

「主、このあとは夕餉になさいますか?それとも湯浴み?ご随意にどうぞ。」
このほくほくとした表情なら、手打ちと焼き討ちだった二択が新婚っぽくなるのも頷ける。

そういえばお昼食べてなかったなぁ。と名前は思いあたる。思い出したとたんにお腹が空いてきた。
「夕餉にする。」
「はい!かしこまりました。」
長谷部は嬉しそうに頷く。
どんな小さなことでも、自分が名前の望みを叶えられるというのが嬉しい。この歓びがぽつぽつと灯火のように、長谷部の胸を照らしはじめていた。

「では主は広間でお待ちください。俺は厨で準備を手伝って参ります。」
「一緒にいこうか?」
「…いえ、主はお疲れでしょうから、休んでいてください。夕餉の用意など、俺が手伝えばすぐですよ。」
「ふふ、たしかに。ありがとう。」
長谷部はキャベツの千切りとかめっちゃ早そう。でもりんごの皮むきはめっちゃ下手そう。

では失礼致します。と去っていく長谷部の後ろ姿を見ながら、よかった、と名前は一息ついた。
長谷部っぽいドヤ感が戻ってきている。何もかも全部俺にお任せください!というあの感じ。

長谷部には頼みごとをしやすい。
彼からただよう社畜感がそうさせるのかと思っていたが、どうやらそればかりではないらしい。
頼みごとをしたときの、あの誇らしげな顔。その表情が名前はなんだか好きだった。頼られている!と伸びる背筋が犬のように可愛い。人事以外のことは、任せてもいいかもしれない。

また、名前は静かに安心した。
自分の刀剣といえど、初対面同然の者たちばかりの集まりに、新しく加わるのだ。
皆が優しく、誇り高き者たちだとわかっていても、いや、わかっているからこそ、やはり気を遣わずにはいられない。

まだこの場所で果たせる自分の役割も、主という立場の在り方もわからない最中で、長谷部はとてもストレートに部下だ。
優しくするとも甘やかすとも違う、痛いぐらいの忠誠心は、主として名前を立たせようとする。
無邪気に寄せられる信頼が、重しのように地に足をつけさせる。ふわふわと定まらない今の自分にとって、それは不思議と心地良かった。

ひらひら揺れるストラの裾を見送りながら、そんなことを考えていたら、曲がり角で長谷部が振り向いた。

ふわりと目があうと、足を止めて心底嬉しそうに笑う。あんな顔もするのか。と名前が笑って手を振ると、僅かに藤色の瞳が見開かれて、ぶわわ、と何かが舞ったように見えた。

長谷部の頬が桜色をしている。視線がに、さん、と泳いで、ためらうように小さく手が振りかえされた。その目は眩しいものでも見るように柔く細められて、顕現してからこれまで見せたことのないような、慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。

かたや名前は、あんなに忠実なのに、緩い敬語だから、仕草も緩いなあ。上司に手を振っちゃいけないよ、と冷静に長谷部の社会人レベルを考察していた。長谷部はめでたくすっかり部下のようである。

長谷部に立ち去る気配がないので名前が広間の扉を開けた。
中にいた次郎太刀が、「おお!主も飲みに来たのかい!」と豪快に杯を掲げる。

長谷部に向かって「またあとで。」と言って、名前は部屋へと入った。

…。

ぱたりとしまった障子の向こう、廊下の端っこで、長谷部はまだ突っ立っていた。

振り返した手のひらを見つめて、自分の感情の正体を探る。なぜだか自然に口角が緩んでしまってどうしようもない。
頭の中で、先ほどの光景がなんどもなんども繰り返される。

別れ際、振り返るのには勇気が要る。
振り向いて、そこにだれも居なかったときのゆるやかな落胆。
別れ際、背中を見送り続けるのには覚悟が要る。振り向くこともなく、見えなくなる姿、小さな期待外れ。

長谷部はいつも、そこにいた。
いつだって、去り際、何度も何度も振り返って、相手の姿を探した。
いつだって、別れ際、相手を惜しんでずっとずっと、その背を見つめていた。

だけど、ひとたび逸らされた目が合うことは、二度と無かった。

いつもそうだ。
そんなときに、ああ、もう、二人共有できる時間は終わってしまったんだ。と長谷部は静かに目を閉じる。

左様なら、さようなら。
去る時も、送る時も、長谷部はこの瞬間がどうしても好きになれない。
いつだって名残惜しいのは自分ひとりきりで、本当はそれが、とてもとても悲しかった。

その不安を遮るように、名前はそこに居た。
たったそれだけで、長谷部の心はどうしようもなく救われる。
彼女は、いまの主は、これまでと違う。それもそうだ、長谷部はもう、物言わぬ刀ではない。

またあとで。
名前の口がそう動いた。たったそれだけで、どうしてこんなにも嬉しいんだろう。

微笑まれた顔が、振られた手が、眩しく焼き付いて離れない。
今別れたばかりなのに、もう会いたいのには参った。

こうして、名前の存知ぬところで、長谷部の機動のインフレは止まらない。



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