花を囲う雨あがり

へし切長谷部と書いて忠犬へし公と読む。審神者界隈ではもはや周知の事実である。
待ては得意だ。
それに終わりがあるならだが。

主と入れ違いになってはいけないと、待ち続けて数時間。
しーんと静まりかえった刀装部屋の中、長谷部は一人きりでいると鬱々としてくる。
昨夜、近侍に任命されてから、普通の1日が始まると踏んでいた。
よもや不測の事態にもほどがある。
けれど、長谷部にとってはすべてが新鮮であった。
臣下としてこの身をつかって、主の命を叶えられるのだ。それも、以前よりずっと細やかな事まで。

嬉しい。嬉しいと同時に、その胸には不安が生まれた。

これまでの隔離された関係ならば、刀剣たちの間にある差は強さのみであると長谷部は考えていた。
誰よりも早く動き、誉をとる。石で高速槍を沈める。そうすれば、他の刀剣よりも主は自分を使ってくれる。
自分を使うということは、頼るということ。頼るということは、手放せないことと同義だ。

だが主とこうして関わりあえる今、差を生むのは強さだけではない。
短刀のような愛らしさはどうだ?自分には無い。小狐丸のように無神経に甘えることもできない。燭台切のように女心が分かるわけでもない。鶴丸のように道化を演じる術もない。

ないものばかりだ。
ないものばかりで嫌になる。
だから主は戻らないのか、今頃自分のことなど忘れて他の刀と戯れているのだろうか。

考えて、首をふる。曇り始めた瞳のもやを取り払うように。
いや、そんなことはない。主はきっと、約束を守るお方だ。
信じること、それは時に難しい。
主には自分が必要なんだと信じたい。
だけど、そんな目に見えないことは、言葉にしたって分からないのだ。

そのときようやく、思考を断つノックの音。
こんこん、と控えめに叩かれたそれ。
この本丸で、ノックをするような律儀な刀剣は前田と平野ぐらいである。その他全員問答無用で開け放つような奴ばかりだ。

主…!
長谷部は居住まいを正す。正座したまま、反射的にぴんと伸びた背中は飼い主を迎える忠犬そのものである。
先ほどまでの沈んだ思考がうわずって、どきどきと緊張が走る。
主の期待にお応えしなければ、主の期待にお応えしたい。…必要とされるために。

がらっと戸が開く。
待ち望んだその姿。
「主…!」
「長谷部、遅くなってごめん!」
名前は長谷部の姿を認めて駆け寄る。刀装部屋、六帖ほどの空間に、神棚のようなものが誂えられている。
その中央で正座する長谷部。もしかしてずっと正座で待ってたのだろうか?
名前は、気楽に寝りこけていたことが本当に申し訳なくなる。傍に座り込んで、目線を合わせてもう一度言う。

「ずっと待っててくれたん?ほんまにごめん。」
心なしか長谷部が涙ぐんでいる。
涼やかな目元が潤む様子は、なんだか見てはいけないもののように思えた。
自分のせいとはいえ、さすがに青年を泣かすのは憚られる。
名前はすこし俯いて、膝上で握られた長谷部の拳を慰めるようにとんとんとたたく。
「ごめんね。」

長谷部は胸が締め付けられる。主が駆け寄って、膝をついて、目を合わせてくれる。そうして、手に触れられたとき、感極まった。
彼は意図せずにその手を握り取る。
「…待てと言うのならいつまでも。迎えに来てくれるのであれば。」
迎えに来てくれた。主は自分を忘れてなどいなかった!
それだけで先ほどまでの陰鬱な感情はすっかり晴れてしまう。
代わりにじぃんと心が震えた。
長谷部はきゅうと縋るようにその小さな名前の手を抱き込んだ。

「主…!お待ちしておりました…!」
うおう。
名前は決して声に出さずにたじろいだ。数時間ぶりでこの感極まり具合。
長谷部、主のこと好きすぎやん?
悪い気はしないが、すこしあやうい気もする。

名前は完璧な人間ではない。もちろん良き人でありたいとは思っているが、それでも失敗するし、後悔もする。誰かの期待を裏切ってしまうこともある。
そんな相手にここまで心を寄せていては、疲れてしまわないだろうか。

好かれるのはいいが、好かれすぎるのはこわい。
その想いに応えられるだけの自信がないから。期待に応えられないことで、相手を傷つけてしまうのがこわいのだ。

そう思うと同時に、ここまで誰かに心を寄せることができる長谷部を、すこし羨ましく思った。
主が進めと言ったら、手放しで、目隠しで、進んで行くんだろう。それができるのは、きっと自信があるからだ。成し遂げる自信、主が自分を貶めるはずが無いという自信。

その思いに、応えられるかな。
正しい道を選ぶことができるかな。
主としての、自分自身。
今後かならず、選択を迫られる機会は訪れる。その時、彼のような刀たちの誇りを、その心を傷付けずに居られるだろうか。
長谷部といると、妙な主スイッチが入るので困ったものである。
思考を追いやって繋がれた手を揺らした。

「長谷部、投石兵作ろう!」
「はい!かしこまりました。」
ゴズィーに。という長谷部の得意げな顔。これはもう金投石を作る気まんまんである。



酷い落ち込みようである。
それはそれは酷い。

端的に言うと、三回連続で失敗した。
こんなのは初めてで、名前もまた驚いた。

使う資材を設定すると、ころりと透明な水晶玉が精製される。ガチャガチャみたいだな、と名前は思考停止で受け止めた。未来の技術も霊界のうんたらも、考えたところでよくわからない。
長谷部が言うには、その玉に力を込めるようにひと撫ですると、中に何かが宿るらしい。

当然やって見せてもらったところ、透明なそれは、ぴかり、光った一瞬あとには黒く濁って泥だんごのように崩れてしまった。
軽歩兵並どころか、失敗。
ひとつ、もうひとつやるごとに、長谷部の顔色はどんどん悪くなり、ついに三つ目の失敗で、下唇を噛んで俯いてしまった。
正座で、腿の上に置いた手のひらがむんずと握り締められ、手袋がぎゅっと鳴いた。
特がついたときの「どうですっ?」というドヤ感がいまは恋しい。

「大丈夫大丈夫…!そんなに落ち込まんでも、今までが上手く出来すぎたんやって!」
「…主…。」

こんなことひとつ満足にこなせず、主の役に立ちたいなんて烏滸がましい。
主は、自分の力を見込んで刀装を任せてくださったのに、その期待を裏切ってしまった。
長谷部は自分が情けなく、恥ずかしい。こんな感情は初めてだった。

自分にさえ頼ってくれれば、どんな主命であろうと達成する自信があったのに。

『主は俺を必要としてくれますか?』
喉まで出かかった言葉を飲み込む。
…そんなこと聞けるはずがない。
彼女は、要らないなんて言わないだろう。会って間がなくとも手に取るようにわかる。こんな風に聞けば、たとえ本心と違っていたとしても、きっと必要だと答えてくれる人だ。
つまりこんなのは、必要としていると言わせるための質問だ。
そんなこと、言えっこない。

どうしたものか。名前は思案する。

もう一回やらせる?しかしまた失敗してしまったら?それこそ腹を切り出すとも言いかねない形相である。
かといってここで辞めさせてしまうのは、もっとやばい。

ここに来て、デジャビュのようなことがいくつもあった。それがたとえほんの片鱗だとしても、彼らの情報は公式から正確に伝えられているようだ。
名前は長谷部についても、おおかた把握済みである。主のいちばんになりたい。と彼が切望していることも。

ものとして彼らを扱うことにはやはり抵抗がある。彼らに意思があるならば、それを尊重したいし、好き勝手に生きてほしい。心があるとはそういうことだろう。

でも長谷部は。
彼が望むのは、徹底的な所有。

もっともっと、離れなくなって、必要として。誰にも言えないことも、すべてすべて受け入れる。主の意のままに、なにひとつ不自由の無いように。
そうしてもっと寛いで、自分無しでは居られなくなってほしい。
そうだ。主の願いを叶えることは、すなわち彼の願いを叶えることへ繋がる。
自分から、離れられなくなればいい。

支配と依存は紙一重だ。支配する者は、少なからず同時にそれに依存する。

要らない、と手放されることはもう使われないということ。
使われないということは、もう要らないということ。
長谷部にとって、使われることこそが存在意義で、唯一の安心できる真実だった。

だけど結局、相手の心なんてどれだけ言葉を尽くしても、分からないことのほうが多いのだろう。

名前は少し照れくさかったが、それを差し引いても、目の前で落ち込んでいる彼を放っておくことはできなかった。だって長谷部は、紛うことなき名前の刀なのだ。
同じ場所に居る今、できないことはない。

しゅーんという文字を背負って、正座のまま不甲斐なさに打ち震えている長谷部に膝立ちで近寄る。真正面から向き合うと、つむじが見えた。ぴょんと跳ねた毛束も、心なしかしょげて見える。

「長谷部。」
ひと声呼ぶと、律儀に顔を上げて返事をしてくれる。
「…はい。」
勝気なつり眉はぎゅうと寄せられて情けなく垂れている。
見捨てないで、見捨てないで。と雄弁に語る目。

その表情に、名前はおかしくなって笑ってしまう。
「っふふ。ごめん。」
なにか吹っ切れた。するっと自然に手が伸びて、きつくきつく握られた両手を引っぱる。長谷部は不安げながらにきょとんとしながら、従って腰を上げた。
そうして近付いた距離をもう一つ詰めて、名前は長谷部をそっと抱き寄せた。
強張った肩に顎を乗せて、頬を寄せた。
脇の下から背中に回した腕に、ぎゅうっと力を込めると、
「…っ。」
長谷部が息を呑む。
彼が浮かせた両手は妙な格好のまま、動かせない。心臓だけが唯一、どくどくどくとせわしなく音を立てる。これまで知りえないほどの動悸に、長谷部は死んでしまうのかとさえ思った。

言葉にしても言葉を尽くしても、伝えられないことがいくつもある。
その多くはとても大切で、どんなに言葉をこねくりまわしたって手懐けられないほど尊い。

伝われ、伝われ。

体は心のいちばん外側だ。仮初めの身であろうと、言葉に温度を与えるのはこの体しかない。

とんとんと背中をたたく。
「大丈夫。」
長谷部が息をつめて、全身で声を聞いているのがわかる。それに少し微笑んで、名前は続ける。
「私のこと、信じていいよ。」

張り詰めた糸のように固まったその身から、ゆるゆると力が抜けるのを感じた。
するりと空気が抜けるように和らいで、ようやく背中に長谷部の腕がまわる。
「主…。ありがとう、ございます。」

とんとん、とんとん背を叩きながらも名前は、たかが刀装作りでこうもオーバーに励ましている自分が可笑しくなってくる。
長谷部、重いし大袈裟だ。
光忠なんか十連やったときに半分焦がしてたのに、ン僕なりに!って言ってたぞ。

合わせた胸の反対で鳴る心臓がひとりぼっちではないと教えてくれる。
手離さないのも手離させないのも、今やもう自由だ。

言葉がなかったら?
体がなかったら?
それでも心だけは、嘘を付かない。
いまはどちらも在るんだ。
使わないでどうする。

「誰にもあげへん。」

このあと長谷部が作った刀装は、百発百中狙い通りの金玉だったということは、言うまでもない。


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