月は軌道を変えない



「さあ、主、ここが手入れ部屋だ。」

相当な時間歩きまわった。といっても、髭切と迷っていた時間を差し引けばさくさくとしたものだ。
厨と広間、大浴場まである平屋造り。老舗旅館のような趣だけれど、床板や畳は新しく小綺麗で、建物には若さが滲んでいる。

道場で同田貫と蜻蛉切に会い、廊下で次郎と太郎に持ち上げられて、畑でひとしきり左文字兄弟と戯れた。

「…本丸広いなぁ。」
「広いねぇ。まあべつに覚えられなくても、誰かしらいるから大丈夫だよ。」
平気平気、朗らかに笑うほんわか兄者。そもそも覚える気がない髭切と一緒にされるのはすこし心外である。

「そうだな。兄者同様、迷ったらいつでも俺たちの部屋に来るといい。案内してやろう。」
膝丸はこうしてしっかり甘やかすんだな。この弟にしてこの兄者ありである。

案内してもらったこの時間を無碍にはできない。名前は割と真面目なほうだ。頭の中で本丸の造りを反芻する。刀剣たちの部屋割りまではなんとなくだけれど、主要な場所には一人で行けそうだ。

手入れか…。そもそも刀なんて触ったことさえ無いのだけれど、大丈夫だろうか。
部屋で待機している刀剣が、常識人側の者でありますように。
髭切と膝丸の対比が、よりその思いを強める。

「ありがとう。じゃあまたあとで。」
「うん。手入れ、がんばってね。」
「あまり気負いすぎないようにな。」

こんこん、がらり。
「おお、ようやくきたか。」
ゆるりと寛ぐ三日月宗近が、優美に笑む。「いやぁ、待ちくたびれたぞ、主。」

名前は天下五剣を前にして、とても身の程知らずではあるが、三日月かあ、微妙そう!と判断した。あくまで指導力に関してであるが、きっと分かるまで教えてくれるような丁寧さは無いだろう。

三日月はおそらく感覚タイプだ。
空気の流れや直感で、難なく正解を選びとるようなそんなチート能力が垣間見える。ババ抜きとか死ぬほど強そう。
いわんや実際のところ、本丸ババ抜き大会で彼は優勝している。俺の負けでもいいんだが。などとは露ほどにも感じさせない勝ちっぷりだった。

これは、教えられる側の努力が求められる。と思考に耽っているところに、声がかかった。

「なんだ主、考え事か?そんなところに居ないでこちらへ来い。…ああ、近うよれ。…と言ったほうが良いか?」
メタ好き宗近よ、何故知っている。そのログインボイスに、何人のユーザーがじじい沼に沈んだことか。

「はっはっは、何故知っている?という顔だなぁ。」
ふわり、口元に手を運びながら、たおやかに微笑む。瞳はいたずらな光を宿してこちらを見つめたまま、細められた。
「なに、好評だと噂を聞いたまでだ。」
「もう、おじいちゃん、そういうのこわいからやめて…。」
「ははは、冗談のつもりだったんだが、いやすまんな。どれ主、俺はこわくないぞー。」
これが平安ジョークなのか。ぜんぜん笑えないのは、千年越しのジェネレーションギャップの所為だろうか。そんなんだからどこへ行ってもラスボス扱いされるんだ。

名前は、はあ。とため息をついて三日月に歩み寄る。
三日月はにこにこと笑うと、すぐ隣をとすとす叩いた。
「主、こちらへ来い。」
「うん。」
名前が座ると、すすすと距離を詰めてくる。三日月宗近い。
ぴとりくっついた二の腕に顔を見やると、柔らかく笑んで、はがゆいほど見つめ返してくる。

白磁のような肌に一際映える長い睫毛の中、朝ぼらけの空に月の舟が浮くのが見えた。
深く沈んでゆく青の虹彩が、月明かりを受けたようにか細く煌めいている。
知らず魅入ってしまう、そんな瞳だ。

「…きれい。」
美しいものに触れると、顔がほころぶのはなぜだろう。緩んだ表情の隙間からため息のように、ほろり、自然と言葉がこぼれた。
「はっはっは、よく言われるが、主に面と向かって言われるとやはり嬉しいものだなぁ。」
ほんとうに嬉しそうなんだから、困ってしまう。ようやくとけた瞳の呪縛にそっと胸を撫で下ろした。

しかし、ほっとしたのも束の間だった。

「して主よ、お前は手品の種が気にならんのか?」
朗らかな声でいとも軽く投げられたのは謎かけのような質問。
名前にはその意図が明確に分かった。
さすがホロ背景、レア4、だてにおじいちゃんやってない。
彼は気付いているんだろう。何もかも知っているんだろう。きっとその種だって。

「気にならん。…って言うと嘘になるけど、隠してることを無理に知りたいとも思わん、かなぁ。…もしこれが手品なら、種なんか知らんほうが、楽しいんやろうし。」

目の前で見せられる手品に、驚くこと。
作り話に、涙を流すこと。
描かれた絵に、想いを馳せること。

たとえ偽物でも、嘘でも、作り物でも、その向こう側にある心は、いつだって無邪気に語りかけてくる。
『ねぇ、楽しいかい?』

そんなことが、いくつもある。
騙し騙されて、一喜一憂する、その間、両者はきっと見えないなにかで繋がって、転がる心で遊ぶのだ。
そんなすべてが、名前は好きだ。

「だから、種があるなら、教えたい時に、教えてくれたらそれがいちばんいいなぁって思ってる。」

目を丸くした三日月はやがて表情を崩して、心底楽し気に笑った。
「ははは!やはり主、お前にその体はちと小さすぎるな。」
「ええ、どういう意味?」
「いずれわかるだろう。それからどうするかも、主次第だ。…案ずるな、それを選びとることも、お前にならできる。」

「うーん?よくわからん。」
「それもそうだ。どうなるかなんて、俺にもよくわからん。」
だけど、三日月は微笑む。
胸のうちでだけこぼした、お前が主で良かったなあ、と。

「あれ?三日月怪我してたっけ?」
「うん?ああ、さっきまでしていたぞ。」といっても、軽傷にも満たないわずかな傷だが。悪びれることもなく言ってのける。
「さっきまで?」
「もう治ってしまった。」
「なんもしてない!」
「はっはっは。」
三日月はよく笑う。
腹の知れない高笑いだが、いっぱい笑うところを、名前は好ましくおもった。
「簡単だろう、主とここに居ればいいだけだ。」
ほんまかいな、簡単すぎる。

「手伝い札とかは?」
「俺の時は使わぬと約束すれば教えてやろう。」
「ええ、中傷で30時間近く拘束されるのはちょっと…。」
「俺は強いだろう?中傷になぞならん。」
「…なんで手伝い札使われんの嫌なん?」

この疑問に、三日月は今日いちばんのそれはそれは美しい笑顔で答えた。
「世話されるのが好きだからだ。」
名前が甘えられると無碍にできないことは、先の小狐丸とのやり取りで心得た。
しかし、じんわり呆れの滲みかけた名前の顔を見て、おやこれでは足りなかったか、と瞬時に察した。

腰に腕を回してずいと引き寄せる。頬を捕まえて、儚気に眉尻を下げてみせた。
可愛さ五割増しの上目遣いだ。
「主、お前の三日月は寂しがり屋なんだ。構ってやらねば、刀身より先に心が折れるやもしれん。」
心が折れるなんて現象とはかけ離れたずぶとさで、よく言ったものであるが、致し方あるまい。見た目は美人、中身はじじい、その名は三日月宗近。彼は、自分の美しさをよく知っている。これに関しては先ほど名前からもお墨付きを得ている。

「…うさぎかよ。」
ぼやきながらも、名前は確実に追い詰められている。
「ああ、月にはうさぎがいるんだ。主、このじじいをひとりにしてくれるな。」
うるりうるりと美しい瞳が滲んでいく。瞳の中、月の舟がゆらいでこぼれてしまいそうになっている。

「わかった!使わんから!泣くのやめて!」
「主が泣くなと言うなら泣くまい。」
すん、と鼻まですすって涙を堪えるように上唇を噛んでみせた。目を伏せて、目尻に滲んだ涙の粒をひとつ、指にともした。

三日月宗近、やりすぎだ。
不敵なチート天下五剣にしてイケメンじじいなうさぎさんである。
名前の中で三日月のキャラ位置が確実に迷子になっている。徘徊癖がこんなところにまで表れるとは。

千年越えて生きてるじじいにまで庇護欲をくすぐられて、名前の母性はもはやカンストしそうである。

憂いの残る表情とはうらはら、その心ではご機嫌に笑って桜を飛ばしている三日月の傍、名前はどっと疲れた。
手入れ部屋は、いま名前にこそ使われるべきである。

おや。と三日月は気がつく。
彼の強さはその察しの良さやずば抜けた観察力にあるのだろう。
「主、疲れてしまったのか?」
そして、察したことを悟らせない巧みなこと運び。
「大丈夫…。」
「俺は疲れた、一緒に休もう。…主、どうか拒んでくれるな。」
直球勝負が出来る据わった根性と、やわらかな強引さ。

ぐいと引きよせられて、仰向けに寝転ぶように倒れる三日月の胸元へ抱き込まれる。
「なに!?」と床に手を付いて身を起こしたことを、瞬時に後悔する。
名前の体は三日月の上。
床に溶けるように広がる夜空の色をした髪は艶やかに、うっとりと細められた目は底なしに優しい。
視覚的美しさの暴力だ。

ちなみに三日月が目を細めているのは、ほんとうに眠いからである。究極のマイペースという称号をほしいままにしている。

絡められた足で、完全に動きを封じられた。
「これは、あかんやつ…。」
頬が煮える。耐えかねて伏せた顔は三日月の胸元へ。
くつくつと三日月は笑う。
スキンシップにはやはり、相手の反応が不可欠である。
ころりと名前を腕に抱いたまま寝返りをうって、左を向いた。自分の腕を枕にしてやり、空いた右手で労わるようにその頭を撫でた。名前はもちろん動けない。

刀だった我が身が、こうして人に優しく触れる日がくるとは思わなかった。

長く生きることも、悪くない。
三日月はそう微笑んで、眠りにそっと身を委ねた。
寝つきも寝起きも最高に良いのがこのおじいちゃん体質である。

すやすやと頭上から聞こえてきた寝息に、名前は愕然とする。
え、手伝い札…。

もはや赤疲労だ。

寝れるわけがなかった。



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