水面の月を掬うようだ


かたやほとんど無意識に冷たい一瞥を食らわせた三日月宗近は、そろそろお腹が空いて朝餉を待ちきれなくなりつつあった。
なんせ日の出前から起きているのだ。現在朝の8時を回りつつあるところ。お腹が空くのも当然に思える。

彼は、主が目覚めたと聞いても別段驚きはしなかった。
「あいわかった、すぐ参ろう。」
いつもの笑みで言ってのけた三日月を見て、長谷部は面喰らったが、まあ三日月だからなとすぐに踵を返した。
三日月宗近はいずれこの日が来るということを、承知していたようだった。

月の浮いた藍色の瞳は底が見えない。
だが、本人にその自覚はない。
この本丸の刀剣たちが思う三日月宗近とは、察しの良さと的確な柔軟性に遊び心を混ぜて、負けず嫌いをひと匙加えたような人物である。

例に挙げるとすれば、以前のこと。
季節は秋。
退屈だとこぼした三日月に驚きをもたらしてやろうと鶴丸は庭に馬鹿でかい落とし穴を掘った。
落とし穴に落とされて喜ぶものが居るとは思えないが、普段勝負ごとで負けっぱなしの鬱憤を晴らすという思惑もなかったというと嘘になる。

「散歩でもしようぜ。」
言ってしめしめと件の場所に三日月を誘う最中、三日月はふるりと体を震わせた。
「鶴丸、じじいの体に今朝の風はちと寒い。その羽織を貸してはくれぬか。」
はあ?鶴丸は内心首を傾げた。その発想で言うなら俺もじじいのはずだが、別段寒いとは思わない。
…もしかして察したか?
ここで俺が羽織を貸すのを渋ると、いよいよ罠を確信して逃げるつもりか。

一瞬の思考。
この自称じじいの涼やかな澄まし顔が驚きに染まるのが見れるなら、羽織が汚れるくらいまあいいかと結論付けた。
鶴丸が羽織を貸してやると、
「ああ、恩に着るぞ。」
三日月は羽織を掛けて素直についてくる。
…なんだ、察したわけじゃ無いのか。
そうこうしているうちに落とし穴を仕掛けた場所が見えてくる。
落ち葉の季節。カモフラージュは完璧だ。並んで歩いているふたり。
鶴丸は、三日月の歩幅を視界の片隅で捉える。あと五歩、あと四歩、あと三歩、あと二歩、…というところで三日月が立ち止まった。

「いや歩いていると暑くなってきたな、鶴丸、羽織を返すぞ、ほれ。」
言いながら三日月は羽織を投げた。
羽織は鶴丸の手をすり抜けて、すり抜けるどころかまったく違う方向へ。
大暴投である。
ふわり風に乗ったそれは、落とし穴の真上にぱさり、乗っかる。
「おっとすまないな。手が滑った。」

こっのくそじじい。鶴丸は危うく声に出しかけたが、ぐっとこらえた。
「おいおい、下手くそにも程があるぜ!取ってくれ。」
三日月はきょとんと首を傾げる。
「なぜだ、お前が取ればすぐだろう?」
言って、こちらを試すように綺麗に笑った。

そこで鶴丸は確信する。
こいつ…!気付いてやがる!!そう思った時には三日月はくるりと方向転換。本丸へ戻ってゆく。三歩、四歩、五歩、落とし穴から遠ざかる。
「はっはっは。いやぁ、言ってみるものだなぁ、楽しかったぞ、鶴丸。さすがに俺が見ていると取りにくいだろう。先に戻っているぞー。」

この出来事以来、鶴丸は食えねぇじじいだぜ。と三日月を見ている。
端から見ればどっこいどっこいの食えなさだが、本人たちにそれを言うのは憚られる。

先見の明で状況を読み、柔軟な行動力でもって場を征する。それだけなら頼もしいのだが、遊び心と負けず嫌いがなまじあるもので、敵に回すと非常に厄介だ。

長谷部や歌仙を筆頭に、多くの刀剣たちは主を慕い、敬い、懐いていたが、どうも三日月だけは、その腹が見えない。
なにせ食えない男である。
顕現し、ここで暮らしているのだから、主のことを憎からず想っていることは確かだ。近侍を務めることもあったし、いつも朗らかに笑っている。

だが彼に、本音で語らう相手は居るか?実のところはわからないまま。
達観。三日月はときどき、どこか別のところを見ているように思えた。何かを知ってなお、現状に興じているようなところがある。

三日月宗近はざっと広間に集まった刀剣たちを見回した。
新撰組の面々に、粟田口派、国広の兄弟、虎徹の兄弟、源氏の兄弟、左文字兄弟。細川、黒田、伊達の刀剣たち。
寝坊助集団はまだお目見えしていないようだが、そうそうたる顔ぶれである。

隣の小狐丸しかり、皆落ち着かない様子で、互いにつつきあっている。

…俺の主は、ずいぶんと刀に好かれてしまったものだ。

三日月は思案する。新しい風は、どう吹くだろう。

どうせなら、良いものを見たい。
長い長いその魂の時の中、きらりと光るような。
睫毛を伏せて、少し口角が上がる。柔らかな笑みを携えて、三日月宗近もまた、名前を待っているのだった。


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