知らず育んできたもの


名前は光忠に連れられて、長い廊下を歩いている。こうも広いとしばらくは一人歩きできなさそうだ。

光忠は、気さくで優しい刀だ。
気遣いが上手なのは、他人のことをよく見ているからだろう。
今だって、その長い歩幅を名前に合わせてくれている。俵担ぎで移動する誰かさんとは大違いだと、名前は感心していた。

「広いよね、疲れてないかい?」
「大丈夫、ありがとう。」
二人並んで長い廊下を行く。
光忠は、隣で歩く名前を見つめた。頭一つ分ほど下にあるつむじ、上から見たまつげは扇状に広がり、ぱたぱたと瞬きをしている。
つい昨日まで、こんな風に並んで歩く日がくるなんて想像もしなかった。ぼんやりとしか見えなかった瞳は、いまや強い光を宿して、まっすぐ前を見つめている。

初めてこの主を見たときも、もちろん驚いた。光忠のその驚きは、傀儡が差し出されたことさながら、こんな小さな女の子が自分の主となる日がくるなんて、というものだ。
そのときよりも、こうして動いているとより実感が湧いてくる。刀ひとつ振るえないような細腕で、50もの刀剣を束ねる主。それが、他ならぬこの子なのだと。

右斜め上から落ちてくる視線に気づいて名前が顔をあげると、橙色の瞳と目が合った。柔らかな、灯火のようなべっこう色。
光忠がにこりと微笑みかけてみせるので、名前も、ん?と微笑み返した。

「主、君に会ったら、言いたいことがあったんだ。さっきは言いそびれてしまったんだけど、聞いてくれるかい?」
「うん、なに?」

かしこまって話すのは、面映いのだけど、光忠は頬をひとかきして、言葉を選んだ。
「僕は君に、すごく感謝してるんだよ。僕だけじゃない、きっとここにいるみんな。こうして体を得られたことも、もちろんありがたいけれど。どんな形で、どんな理由であれ、懐かしい顔と再会出来たことが何より嬉しいんだ。」
「それは…。」
名前は思う。それは、私が感謝されるようなことではない。確かに自分は審神者という立場で、刀剣の付喪神たちを顕現したのかもしれない。旧知の仲間を、再会させたのかもしれない。
でも、名前にはまるで実感が湧かなかった。
霊力、なんてものもどう扱うのか。そもそも顕現の仕方だって今までどうしてきたのかわからないのだ。
言葉に詰まった。せっかくくれたありがとうを受け取って良いものか迷っている。

「主、君が君でよかったよ。」
追って落ちてきた言葉に、顔を上げて、名前が光忠を見る。本当に綺麗に笑うものだから名前はますます困ってしまう。

その内に、光忠の部屋に着いたようだ、ここだよ。と障子が開けられて中に通される。そこに座って、と座布団を勧められるがまま、名前は座る。
光忠に返す言葉が見つからず、所在無い手を膝の上で握った。

肩に落ちた髪が後ろからまとめられ、手櫛で優しく梳かされる。
「なんで、って顔をしてるね?もう分かってるだろうと思うけど、ここにいる僕たちは本当に幸せなんだよ。僕たちは物だからね、そもそも生き様を選ぶなんてこと、しようとも思わなかった。」

柔らかい声が背中から聞こえる。顔が見えなくても、きっと優しい目をしているんだろうと名前はその居心地のよさに肩の力が抜ける。

「でもね、心が体を得て、我儘になることを知ったよ。君があんなに、僕たちを大切にするんだもん。自分や誰かを大切にする、そのやり方を君は教えてくれたんだ。」
「…そんな大したこと、してないよ。」
くすり、頭の後ろで笑う声がして、かちゃり、櫛を手に取った光忠が毛先から丁寧に髪を梳かしてゆく。

「そう思う君だから、僕はありがとうって伝えたかったんだ。誰かに会いたいなんて思うことすら出来なかった僕たちが、こうして再会を喜べるんだから。」
…それから、ごめんね。
光忠は人をよく見ている。それが親しい者ならその観察眼もひとしおだ。それ故に、光忠は気付いている。
主、君を連れてきたのはきっと鶴さんだ。
体を得て、願いを得た。この手で叶えられることがもういくつあることだろう。

名前の細い髪に櫛を通しながら、彼は思う。

以前に鶴丸と大倶利伽羅が喧嘩したことがあった。互いにへそを曲げて、素直にならない二人を叱ったことがある。

その体は何のためにあるのか?と。
仲直りしたいなら、その足で相手のところへ行って、その口で謝ればいい。
君たちのその体は、君たち自身の願いを叶えるためにあるんだろうと、自分で言ってはっとした。
そうか、身を得ることは、決して縛られることじゃない。自由になることなんだと。

鶴さんがこちらへ君を呼んだこと、その気持ちが光忠には痛いほどわかった。
会えるなら、会いたい。
叶えるための、体があるのだから。
この考えを伝えたって、君はきっと受け入れてくれる。
…だけど、それでも。こわいんだ。
もしも、君が帰りたいって言ったら?
僕はきっと、とても悲しい。
君の望みなら、なんでも叶えてあげたいはずなのに、それだけは言わないでいてほしいなんて。
好きになると、臆病になる、お互いの望みが違えることが、恐ろしくなるからだ。

だからせめて、もう少しは。
君が僕たちをもっともっと好きになったら、その時に。その時まで。黙っていることを許してほしい。

名前もまた、考えながら言葉を選ぶ。ただただ、日常の狭間で関わっていたゲームの世界に、こんなにも心が息づいていたなんて想像もしていなかった。
でも、彼らを大切に思っていた気持ちは本物だ。
一緒に出陣して、畑仕事して、話して、笑って、再会を喜ぶ彼らが居てくれたらいいのになぁ、といつもどこかで願っていた。
「…ありがとうって、もったいないような気がするけど、」
髪を梳かれる心地よさに、名前は目を細めながら言う。
「これから、そのありがとうに応えられるように、がんばる。」

光忠は、じぃんと胸が切なくなるのを感じながら、それでもどうにか笑って答えた。
「…うん!僕にも手伝わせてね!」
「ほんまに、わからんことありすぎるからいろいろ聞くと思う。みんなと仲良くやっていけたらいいな。」

「やっていけるよ。君なら。」
どこが不安なのか、うんうん唸る名前の髪を、光忠は結わうようなそぶりで、そっと撫でた。

あれよあれよと言う間に、髪が結い終わる。
「はい、出来たよ。」
伏せて渡された手鏡を、そっと覗くと綺麗にまとめあげられた髪に、花の簪が揺れていた。

「わ!桜、可愛い。」
「季節とお揃いだよ。よく似合うね。」

言わずもがな、鏡の中で話す自分は、やはりよく見知った自分の顔をしていた。
ちがうのは、名前が知っている自分の姿より、幾分か幼く見えるということ。
どんな仕組みでこの体になっているのか、そもそもこれは人間の体なのか。
少しこわいが、まあ、老けるよりいいか。と名前は結論付けた。重くならない、重くならない。動いてるなら問題ない。

「じゃあ行こうか。」
光忠の声で、よっこらせと足に力を入れて着物が着崩れないように立ち上がる。歩きにくい。洋服もあったりするんだろうか。加州あたりに聞けば教えてくれそうだな、とあたりをつける。

小股で歩いて廊下に面した障子に手をかけると、外からバタバタと足音が近づいてくる。何やら騒がしい声がする。
何事かと障子を開けて外を覗こうとすると、空いた隙間からさっと、小さな白い影が飛び込んできた。
名前の足の間を抜けて、髪結いの道具を纏めている光忠の後ろへ駆けて行く。
虎だ。



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