夜明け

まだほの暗い早朝。長谷部は足取り軽く、本丸の廊下を歩いている。

昨晩の出陣後に近侍に命じられてからというもの、それはもう上機嫌だ。主が次に命を下すまでに、主の部屋で待機する心積もりであった。

ああ、待ち遠しい。長谷部は命を受け、己の体を使役するのが好きである。
何より自分が必要とされていると感じられる瞬間、体を与えられて生きる意味をそこに見た。

やがて一つの部屋の前で立ち止まり、緩みそうになる頬を引き締めて襖に手をかけた。
「主、失礼いたします。」

返らぬ返事はいつものこと。

開け放った襖の正面の壁一面には桐の木の板がずらりと並んでいる。
上から第一部隊、第二部隊、第三部隊、第四部隊、その横にずらり、刀剣男士の名が記された板が並ぶ。黒漆と金箔で彩られたその盤は無駄に絢爛とした造りだ。壮観、圧巻。威厳を誇示するかのような装丁となっている。
ときおりがらがらと音を立ててその板は配置を変える。それはもちろん、主の命を以ってしてのことである。

その前の玉座に鎮座するのが、我らが主。もっとも、彼女は人と寸分たがわぬつくりをしていながら、心臓さえ動かない。座っている、というよりも置かれているという方がしっくりくる。
審神者としての職務をこなす主の現し身、この本丸の刀剣男士たちはそう捉えている。

ーーこれは人形ではない。審神者は時を超え、これを使役し刀剣男士の指揮を執る。ーー
とは政府の遣いの狐の言葉であるが、長谷部はこの体を得たとき、己の主人がこの傀儡のような女人であるとは、既存の刀剣たちからどう説明を受けようがなんら納得できなかった。

人に使われ、人から人へと渡ってきた彼は、人のなんたるかをおおよそ理解しているつもりであった、がしかし。主として目前に現れたそれは、指一本とて動かない、人の形をした器。
自らが人の身を得た。それと対照に、なんの皮肉か、人はいつからものになってしまったのか。言葉を交わすことはおろか、視線を合わせることさえできないなんて。
こんなものが、俺の主であると?にわかには受け入れがたかった。

しかしそんな思いもすぐに霧散する。
すんなりと、あっけなく、長谷部は主を認めた。実際に、彼女は刀剣を使役するもので、自分たちは使われるものに他ならなかった。

彼女の後ろに掛かる豪奢な盤の上、無数の木札は明確な意思を持ってめまぐるしく掛け変わる。出陣命令を下し、陣形の指示、進軍、帰城その全てが伝令された。

この一見空っぽな少女の体の向こうに、確かな人の意思の存在を感じずにはいられなかったのである。

刀剣男士それぞれの身体能力を補うように与えられる装備、傷を負えば帰城させられ、手入れの命令を受ける。
懐かしい顔ぶれと再会すれば同じ内番に配属される。

長谷部と同じように、刀剣の誰もが最初はこの異質な持ち主を訝しんだが、それも顕現してひとときのこと。
置かれた器の空っぽの瞳の向こうに、暖かな人の心が存在していることを彼らは認めている。否、認めざるを得ない。
それは人に使われ、人のそばにあった彼らだからこその確信だった。

現し身の少女の瞼が虚ろに開いたそのあいだ。この傀儡の向こうに、糸を手繰る主の存在を感じられる。

長谷部は玉座のまえに正座し、そのときを待った。どんな主従の形であれど、彼の望みはただ一つ、主に一番に使われることだ。

いつもの日常がはじまる、そう、この瞬間まで疑うものは居なかった。

仕込みは上々、としたり顔で笑うただひとりを除いて。


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