さよならおかえり


今日も今日とてまた暮れる。
ところ変わって2016年、日本。
名字名前は平々凡々とした日常を送っている。社会の波にもまれ早数年。日常を覆う仕事と些事をやりくりして、それなりに楽しく毎日を過ごしている。
苦労もそれなりにしてきたが、振り返ってみた人生は、なかなかに見所のある面白いものだった。なによりこれまで築いてきた人との繋がりを彼女は好いていたし、誇りにさえ思っていた。

大いなる日常。趣味は彼女の日常を憩わす存在だった。
そのうちの一つが、ゲームである。彼女にとってゲームは、パラレルワールドのようなものだった。日々のその狭間で、しばし別の人生を生きることができるツール。ポケットに入るモンスターと旅をすることも、戦国時代の武将と戦うことも、彼女はそこにある物語を自分のものとして捉え、その世界に浸かる。
冒険心をくすぐられ、ときに闘争心をむき出しにし、世界を救うために奮闘することもしばしばある。

そしてここ1年になろうか、彼女は刀剣乱舞というブラウザゲームにご執心である。
歴史修正主義者と戦うという名目のもと審神者となって刀剣を使役する。いかに効率よく遠征を回し、資源を収集し、イベントをこなすか。単調なシステムはもはや日常の一部と化していた。
ゲームの仕組みこそ単純なものの、彼女はそこにいるキャラクター達のことがまた好きだった。みーんな可愛いのだ。それこそ彼女の周りの家族や友人のように、かけがえのない存在として捉えていた。
掛けられる言葉にパソコンの前で返事をしてしまうのなんて常である。

日常の隙間で、彼女の役割は審神者だった。この画面の向こうに有り得るかもしれない世界を夢想しては、良き主であれるように努めた。想像の枝葉は面白いように伸びる。
演練コメントは「うちの子可愛い」
生暖かい眼差しでもって、その日の近侍をつついては、すなわちこの世界を愛していた。

好きなものは多い方がよい、愛は無限である。とは祖母の口癖。
好きなものは、止まり木だ。そこで憩い、また途方もない日常に立ち向かう。
ゲームも小説も映画も、旅をするように味わった。

たくさんの止まり木に水をやり、そうしてまた好きなものが増えてゆく。

彼女にとって愛するとは、それすなわち丁寧さや真摯さである。大切に扱うことと、愛情を込めるということは大変似ている。とお弁当のだし巻き玉子を作りながら唐突に悟った。それ以来、好きなものにはいっそう丁寧に向き合うようになった。

「あっつ」仕事から戻った彼女は風呂上がりパソコンを起動させた。髪を拭きながら遠征部隊を迎える。
『いま帰ったよ、これでどうかな?』
「おかえりー。おー!手伝い札!ありがとう!」
届いてなかろうが、おかえりと言ってしまう。さながら哀愁を感じずには得られないものの、ここはひとつ、現代日本に疲れた成人女性の癒しの瞬間であると薄目でもって許容しようではないか。

ひとしきり日課を終えてふわりとあくびをする。明日はようやく休日だ。遠征部隊の人員を桜付けした者と入れ替えて、送り出す。「いってらっしゃい。」と、これも声にでた。軽傷の刀剣を手入れ部屋に入れておく。手伝い札節約の瞬間である。

そろそろ眠くなってきた。第一部隊の編成を入れ替える。やたらと消耗するようになった刀装を朝一でつくろうと、何の気なしに長谷部を近似にした。また信長の話してる…と思いながら額を2〜3クリックして「おやすみ、また明日。」
パソコンを閉じた。

あとは寝るだけ。この甘美な響きたるや!とベッドに潜り込む。枕に埋まると、はぁ、とため息がでた。お疲れのご様子だ。ほどなくして、すうすうと規則正しい寝息が聞こえてくる。

あとは、平等に訪れる朝を夢の中で待つ。平等に訪れるはずだった朝を。

人の命はしばしばろうそくの灯に例えられるが、その灯を別のろうそくに付け替えたなら、果たしてそれは、どこまで自分の命だと言えるのだろう。

草木も眠る丑三つ時。
すやすやと枕に顔を埋める名字名前の体から、ふっと生き物の気配が消える。


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