ちっぽけな私とちいさな君


前日に急遽入った仕事は、慣れない他店舗での欠員補充のための出張。自店舗とはものが置いてある場所も、もの自体も全く異なり、同じものなんて1つだって存在しなかった。
ただ、仕事自体は楽だった。楽というと語弊があるかも知れない。いくら自店舗での「当たり前」がこの店舗での「すごいこと」になってしまう気がしていたとしても、この店舗の運営方法が緩いなどと、言う権利など私にはありはしないのだから。

それでもやはり時間は過ぎるもので、やり方に慣れないまま終業時間はやってきた。普段よりも軽いと感じていながら妙に気を張っていたせいでいつも以上の疲れを感じた。

少しリフレッシュをしようと思って入ったカフェでは、次の週の予定を整理しているうちに舟を漕いでしまっていた。
乗り込んだ電車は快速電車で、一駅しか乗らないというのに、つり革に掴まり立ったままうとうとしてしまった。



そんなこんなですっかり疲れ果てて降りた最寄り駅のホーム。土の匂いと湿った空気を感じて、仕事をしている最中にこちらでは雨が降っていたのだということをやっと実感する。そしてふと、左手に握っていたものの存在を意識する。


『…傘、結局使わなかったな……』


家を出るときに見た天気予報では、局地的に大雨が降ると言っていた。荷物になると思いながら折り畳み傘では間に合わないだろうと思い、持ってきた傘だったのだけれども。
ホームの階段を下りて改札口へ向かう。ガラス張りのパン屋の中にいる人たちをぼんやり眺めながら、きっと雨宿りだったのだろうとか夕飯はなにかしらとかそんなことを考えながら改札口を通り抜けたその先で、見知った姿を見つけて足を止める。
それは、予想もしていない人だった。















その人はベンチに座っていた。それなりに利用客の多いこの駅の駅長が、サービスの一環として待ち合わせ客向けに用意したそのベンチに座って、いた。

なぜだか一瞬、声をかけることをためらった。
それでも磁石に引かれるように彼のもとへと向かう足は止めない。
こちらの気配に気付いた彼が、視線を上げて笑顔を向ける。


「あっ、ねーちゃんおかえり!」

『ただいま、シャンタオ。迎えに来てくれたの?』


私を出迎える言葉を口にしながら笑顔で駆け寄ってくる彼は、私の知っている11歳の少年だった。この笑顔を見る度に、彼も年相応の男の子なのだということを強く感じて、唇を噛む。


「ねーちゃんの家に薬を届けに行ったら、そろそろ駅に着くんじゃないかって教えてもらったから…、迷惑、だったかな……?」

『そんなことない。嬉しいよ、すごく。ありがとう』


今さら不安げに見上げてくるその瞳が可愛くて頭を優しく撫でてやれば、えへへと少し照れたような嬉しそうな顔でぎゅうと抱きついてくる彼がまた可愛くて。
よくあの歪んだ性格の医師のもとでこんなにも素直な優しい子になってくれたものだと涙が出そうになる。





彼、シャンタオは、私の家族というわけではない。昔から身体が丈夫なほうではない私が通う、自宅近くの診療所。その診療所のたったひとりの医師の、助手をしている。
シャンタオの両親は、今どこで何をしているのかがわからない。生きているのか、死んでしまっているのか。それすらもまったくわからず、彼自身からも、顔すらも覚えていないと聞いたことがある。
物心ついたころには施設をたらい回しにされていたとも聞いた。ちよっとした偶然から診療所の医師に出会い拾われたのだとか。
そんなまさに不幸中の幸いという彼の境遇を、内心少し嬉しいと思っているなんて、決して本人には言えないけれど。

だって、彼がこの境遇にいなければ、彼が診療所の医師と出会っていなければ、私は彼と出会うこともなかったのだから。出会えて、こうして笑顔で話ができて、彼の隣にいることができて、彼がいてくれてよかったと思う。そう思うくらいに私は、この少年に「可愛い弟分」以上の感情を傾けている。自分でもどうしてこんな想いを抱いているのかわからない。
今までの男運の悪さも少なからず影響しているのでは、と思うこともたまにある。それはもう女友達だけに留まらず男友達にまで、男運がない、と言わしめるほどの強烈な過去が、あったりしたのだから。

こうして、彼と過ごせて嬉しいと思う。しかしその反面、どうして彼は幸せな、そのごくごく普通の人生を送ることすら許されなかったのだろうかと、彼にとっての一番幸せなこととは、いったい何なのだろうかと考えたりしている私もいて、矛盾しか生み出さないこの頭を一度どうにかしてしまいたい。
私が彼を幸せにすることなんて、できないことはわかりきっていて、泣きたくなるのに、それでも喜んでいる、だなんてとんだ裏切りだ。


「…ねーちゃん、難しい顔してどうしたの?疲れちゃった?」


心配そうに眉尻を下げて覗きこんでくる瞳と目が合い我に返る。
せっかく迎えに来てくれた彼を放置して考え事だなんて、なんてことだ。


『ごめんね、大丈夫、なんでもないよ。…よし、帰ろうか』

「うんっ、帰ろー!!」


どちらからでもなく、自然と手を繋いだ。伸びたふたつの影が、ひとつに繋がる。
周りから見れば、きっと仲のよい姉と弟に見えるのだろう。それを悔しいなぁと思うのは、やっぱりそういうこと、なのだろうか。
それでも彼がこうして笑ってくれるのならば、なんでもよくて。私の気持ちは二の次で、構わない。

ただ願わくはば、これからの未来でも彼が笑顔でいられるように。
そしてその笑顔の一番でなくても近くでなくても構わない。見える範囲に私という存在があればそれだけでもう、何も望むものなどないのだから。



ちっぽけな私とちいさな君
(君を求めることをためらうほどに)
(私はいつだってちっぽけで)








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