平和になった世界で暮らしてます | ナノ


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 俺達は、暫くその場で禍物が天へ還っていくのを見届けた。時間にしてはそう長くない。しかし、何故だか先に行こうと声を出すことが出来ない。そう言う空気が、周りに広がっていた。俺がどう切り出そうか迷っている中、意外な事に、先に進もうと声を掛けたのはノアだった。

「行こう」

 そのまま南へ歩き出したノアの後ろを、俺とエイブラムは黙って着いて行くことにした。正直、信じられないのだ。俺は、ノアは此処で俺達と別れると思ったから。アイツが魔物に肩入れしているのは見て分かるし、それに結果的には禍物を殺したのは俺だ。浄化とは言え、魂を天に還されたんだ。殺したと言っても過言ではない。それなのに、何故同胞を殺した俺にまだ着いて来るのだろうか。今なら、もしかしたら聞けるかもしれない。

「お前さ……」
「――アルフ」

 真意が未だに掴めない俺は、ノアの真意を確かめるべくその背に声を掛けたのだが、それを遮るようにノアが俺の名を口にした。思わず声を詰まらす俺に、ノアの感情を悟ることの出来ない真紅の瞳が突き刺さる。だから苦手なんだって、その視線。堪らず視線を逸らす俺に構うことなく、ノアがゆっくりとした動作で俺に手を伸ばしてきた。思わずその手を払い、後ろへ跳んで間合いをとる。俺達の様子を窺っていたエイブラムも、その行動に対して警戒態勢に入った。しかしそんな俺達の警戒も虚しく、ノアは払われた手を緩く撫でながら、無表情だった顔に笑みを浮かべた。瞬間、ザワリと肌が粟立つ。得も言われぬ感覚が襲ってきたのだ。

「昔から、その髪色なの?」
「は、何……?」
「だから、黒なの?」

 この質問にもどう言う思惑が存在するのか、目の前の存在は謎すぎてそれすらも掴めない。取り敢えず質問に答えず相手を窺うが、襲い掛かって来る気配はない。と言うより、殺気がない。少なくとも、俺達を殺そうと言う気は、この魔物にはないらしい。となると、ますます解らない。

「それを聞いてどうする」
「……少し、確認したいだけ」
「なら、後にしろよ。今は早く森を抜けたいんだ」

 いつでも剣を抜けるよう、柄に手を掛けながらそう促すと、ノアは案外素直にそれを聞き入れた。小さく頷き、再び俺に背を向け歩き出したのだ。何だか治療の時に感じたような疲労感がドッと襲ってきて、思わず肩を落とす。

「何なんだアイツは」
「わっかんね。とにかく、警戒しといた方がいいぞ」

 いつ何時、アイツの気持ちが変わるとも限らない。取り敢えず今は、アイツの気が変わらない内に森を抜け、港町が見える所まで行きたい。そう願いながら、俺達はせっせと歩くノアの後を追った。日没までに抜けられるのを祈って。



 黙々と足を進めたお蔭か、それともヌシである禍物が居なくなったせいか、陽が沈む前に森を抜けることが出来た俺達は、小高い丘の上から周囲を見渡した。

「あった、海だ」

 南の方角に海。そしてそれに隣接して、町の灯りが見える。漸く港町バギルが見える距離まで来れた。だが此処から町まではまだ距離がある。日付が変わる頃までには着きたいところだ。

「さてと、もう一踏ん張り行くか」
「ああ」

 そう答えたエイブラムだが、不意に空を見上げ、何かを探している様な素振りを見せる。釣られて俺も空を見上げるが、何もない。

「何してんだ?」
「実は貴様と合流する前に、陛下へ文書を送ったんだ」
「文書?」
「今回の主犯とその行先の予想。盗賊団が予想通りバギルに居るとしたら、恐らく今バギルに居る衛兵が盗賊団の動向を探っている筈だ」

 空を仰ぎながら淡々と語るエイブラムに、俺は開いた口が塞がらなかった。
 こいつ、今なんて言った!?

「おまっ、そう言うの先に言っとけよ!」
「盗賊団が必ずしも俺の予想通りに行くとは限らなかったからな。バギルに向かったと分かった時点で話そうと思っていた」

 それはそうかもしれない。だが、盗賊団を追う者が居ると知っているだけで、大分俺の心持は違う。女子供達の傍に自分が居ない分、味方が皆を見てくれていると分かっただけでも安心するだろ。思わずジトッとした目でエイブラムを見るも、当のエイブラムは気にしていない。睨むだけ無駄だな。
 深く息を吸い、俺は気持ちを静める。だがそれでも、溜息が出かかりそうになるのは仕方ないと思う。

「……んで、返事は来ないのか?」
「陛下は恐らくバギルの兵に伝令を伝えた筈だ。森に居る間は伝書鳥の姿が確認できなかったが、広い場所に出た今、きっと俺宛にバギルの兵から文書が来るはずだ」

 そう言って数分も経たない内に、一匹の大きな鳥が優雅に飛んで来た。陽が沈んでいたら、恐らくこの鳥は飛んでは来れなかっただろう。そう考えると、今の所俺達の旅は順調だ。エイブラムが差し出した腕にとまった伝書鳥の足には、目的の文書がつけられていた。

「何だって?」
「どうやら当たりのようだ」

 ニヤッと、珍しくエイブラムが笑った。差し出された文書に目を通すと、先程やって来た旅商人の一座が怪しいとのこと。

「大きな荷台が二つ……怪しいな」
「恐らくヤツらは人が寝静まる深夜に行動を起こすだろう。それまでに追いつけば、俺達の勝ちだ」

 その言葉に頷く。しかし町までの距離を考えると、かなりギリギリだ。俺達が着くまでに、何とか盗賊団の動きを止められたらいいんだが、そんな方法はない。一刻も早く行くしかないんだ。

「行くか」
「アルフ」
「……なんだよ」

 今の今まで黙っていたノアが、急に俺に声を掛けて来た。思わず訝しげな視線を送るが、ノアは無表情のまま俺を見据え、そして首を軽く傾げた。

「急いでる?」
「見りゃ分かんだろ」
「なら、乗っけてってもらおう」

 俺が、「は?」と口にするよりも先に、ノアが地面に手をついた。そしてその足元に、魔法陣が浮かび上がる。あれは、魔物がよく使う闇の術式だ。けど、今まで見て来たヤツと少し違う。初めて見る陣だ。

「闇より産まれし者よ――我が助けとなれ」

 ノアがそう唱えると、地面から闇が溢れだして来た。そしてなんと、その闇の中から魔物が姿を現した。それを見て、俺もエイブラムも身構える。コイツ、魔物を召喚しやがった。しかも相当上級の魔物・トカと言う狼の姿に似ている魔物をだ。それも三匹。

「ノア、お前、どう言うつもりだ」
「――!」

 まさか此処に来て気が変わったのか。ノアを睨み付けながらそう問いかけるが、ノアは俺の言葉に目を見開いて固まってしまった。その様子に思わず眉を顰める。そんな変な事を聞いたつもりはない。

「答えろ」
「アルフが……」
「はあ?」

 苛立った声で返答を急くが、俺の耳に届いて来たのは質問の答えではなかった。それどころか、その小さく震える声は、何処か歓喜を抑えるかのような声色だった。また、先程の様にゾワッと肌が粟立つのを感じた。

「初めて、俺の名前、呼んでくれた」

 嬉しい――そう言って、蕩けた笑みを浮かべるノアに、俺は勿論、エイブラムも呆気に取られていた。つか若干引いてる。ノアが魔物を召喚したことなど、最早どうでも良くなってしまう程、俺は目の前の魔物の真意が解らず頭を抱えた。
 駄目だ、本当に解らない。一体、この魔物は何なんだ。
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bkm