平和になった世界で暮らしてます | ナノ


6


 怒り叫ぶ禍物は何故か全身傷だらけだ。しかもノアを敵と見なしているのか、ノアが何を言っても攻撃の手を緩めない。そんな禍物の猛攻に攻撃を返す訳でもなく、ただ避け続けるノアは、俺達の存在に気付き、すぐ目の前に降り立って来た。地を震わす程の唸り声が辺りに響く中、俺はあの禍物が何を言っているのか気になり、ノアの背中に向って声を掛ける。

「あの禍物、なんて?」
「……人間が憎い。だから、外に探しに行くって」

 そう呟くノアは、何処となく複雑そうだ。そりゃそうだ。自分も魔物な筈なのに、ノアはその魔物達の所ではなく、勇者が存在する人間側に身を寄せようとしているんだから。憎い憎いと叫んでいるらしい禍物の気持ちがよく解らないんだろう。コイツは、人間である勇者様を、恨むどころか崇拝する域にまで来ているからな。
 ノアが説得の為か、もう一度禍物へ声を投げ掛けた。だが息を荒くし、低く唸る禍物が大人しく聞くとは思えない。

「落ち着け。子供を殺した人間達は、もう此処には居ない」
『ガアアアァ!!』
「駄目だ、それ以上動き回ると傷が広がるぞ」

 身体の奥底まで震わす慟哭は、俺達人間へと向けられていた。ノアの通訳を聞かなくても分かる。人間すべてが憎いんだ、この禍物は。子供達を殺されたコイツはもう、怒りを抑える術がない。憎い憎い目の前の人間を、殺す事しか頭にないのだろう。
 そして案の定ノアの声は届かず、禍物は一気に距離を詰め、俺達に襲い掛かって来た。鋭い爪が勢いよく振り下ろされるが、俺達は方々に散ってそれを回避する。相当切れ味がいいんだろうな、地面が綺麗に抉れてるぜ。しかし予想以上に俊敏な禍物は、そのまますぐに体勢を立て直し、俺の方へ跳んで来た。だがヤツは怒りで目の前が見えていないのか、俺が避けた後も鋭い爪を振り回し続け、辺りに生い茂る木々を薙ぎ倒していく。そこに、俺もエイブラムもいないのに。傷付いた身体から血が飛び散るのも構わず、暴れ回るその姿は、とても哀れに思えた。
 ぼんやりと木々を薙ぎ倒している禍物を見つめていると、その被害から逃れて来たノアとエイブラムが俺の傍までやって来た。そして暴れ回る禍物を見て、ノアがポツリと呟く。

「怒りで我を忘れてる。もう、俺の声は届かない」
「端から和解など考えていない。こうなったら、ヤツを殺す以外手はない」

 その言葉に、ノアが目の色を変えてエイブラムを睨む。エイブラムも負けじと、その視線を真っ向から受け止めていた。二人の間で静かに火花が散るのを見て、俺は肩を竦める。
 各々口にする言葉はやはり違いがあり、ノアは同族を殺さずに解決する方法を取ろうとするが、エイブラムは魔物は倒すモノとして認識している為か、殺す以外の方法を考えてないようだ。かく言う俺も、エイブラムの考えに則ることが多い。でも、それはあくまで自分達に害を為した時の話だ。今回は違う。確実に非があるのは人間の方だ。こんな残酷なやり方は、俺でも胸糞悪く感じる。
 ましてや、森で平和に暮らしていただけの禍物にとっては、とても和解で済む話ではない筈だ。

「今が絶好の機会だ。全員でかかれば恐らく殺せる」
「……」
「それとも何だ? やはり魔物の貴様には、例え禍物だとしても殺せないか?」
「お前――少し黙れ」

 ノアを纏う雰囲気が、より一層変化した。肌を突き刺す程の殺気が、エイブラムに向けられている。おいおい、こっちが揉めてどうすんだよ。俺は盛大に溜息を吐き、仕方ないとばかりに二人の間に入った。

「喧嘩してる場合か。今はあの禍物の事だろ」
「アルフ……」

 俺が入ったことでノアの雰囲気が少し和らいだ。エイブラムも冷静でなかったと理解したのか、バツが悪そうに顔を背けている。そんなエイブラムの肩をポンッと叩き、俺はノアと向き合った。真紅の目が、少し揺れたのが伝わる。

「悪いが、俺も殺すに賛成」
「――!」

 ハッキリそう告げると、ノアが眉を下げ唇を噛み締める。そんな人間の様なノアの表情を見て、少し複雑な気分になるが、俺はそのまま話を続けた。

「けど、この禍物の平穏を壊したのは、人間《こっち》の勝手だからな。この残忍な行為は、俺も納得出来ない」
「それでも、殺すの?」

 ノアの目が、俺に訴えかけてくる。非があると認めた上でこの禍物を殺すことに、ノアは納得がいかないんだろう。それでも、俺の答えは変わらない。

「この禍物がこのまま怒りを外に向けて森を出たら、まず初めに狙われるのは一番近いシュリングだ」
「……!」
「もうこの禍物は、誰が殺したとか関係ない。ただ人間を殺す事しか頭にないからな」

 それを分かって、俺が此処でこの禍物を見逃すことはあり得ない。村に危害が及ぶと分かっていれば尚更。

「それに盗賊団の罠にでも掛ったんだろうが、あの傷だ。どの道、永くは持たねぇよ」

 それはノアにも分かっていたのだろう、俺の言葉を聞いて顔を俯かせた。
 そんなノアに静かに背を向け、鈍く光る剣を抜いた俺は、その切っ先を禍物へと向けるよう構える。そして一呼吸おいて、ノアに一言投げた。

「だからせめて、此処に居る子供含めて、『楽園』へ送ってやるよ」
「え……?」

 これが人間の俺に出来る、唯一の償いだ。
 静かに目を閉じ、意識を集中させる。

「――光へ導く聖剣よ。我が呼び掛けに応え、その真の姿を現せ」

 俺の詠唱に反応し、剣が光を放った。エイブラムもノアも、その眩しさに手を翳す。本当に久し振りだ。この剣を、本当の意味で使うのは。姿を変えた剣は、白く眩い光を放ち、見る者を魅了する。
 「美しい」――そう呟いたのは、ノアか、エイブラムか。

「聖剣エリシオンよ。今此処に、浄化の光を!」

 その言葉と共に、エリシオンを地面に突き刺した。すると地面を割って、無数の光の筋が空へと向かって伸びていく。その光に触れた禍物が瞬間大きく声を上げ、動きを徐々に鈍らせていった。

「……なん、だ。この光は」

 すると禍物の身体から小さな光が溢れだし、それは徐々に空へと昇っていく。
 宙に吊るされている魔物達も、同じ現象が起きていた。光に触れる者を慰める温かな光が、辺りに充満する。その光を手で触れたエイブラムが、驚いたように目を見開いた。

「これは、まさか浄化《プリフ》の術か?」
「ああ。見るのは初めてか?」
「初めても何も、昨今この術を使用する者などいない。相当な魔力が必要な上、魔物相手に慈悲などと誰も思わないからな」

 未だ信じられない様な顔をするエイブラムに、俺は思わず笑いを零す。

「魔物が一向に減らないのは、その魂が天上へ還らないからだ」
「……!」
「憎悪を宿した魂は、より強大な魔の力を得てこの世界に戻される。エリシオンは、そんな魔物の魂を浄化して還す力があるんだ」

 そう言って剣を掲げた。光が緩やかに空へ昇る中、その剣はただ美しい光を放ち続けている。

「あの禍物の憎悪も浄化されて、静かに天へ還り、今度は魔物以外のモノに転生するだろう」
「魔物が……転生する、だと」
「俺も詳しくは分かんねぇけどな。それでも、天上の楽園に魂が集うと、そう聞いた」
「誰からだ。その様な世界の理、どの文献にも書かれていないぞ。それにその剣、初めて聞く名だ。一体何処で手に入れたんだ。それにその剣に施してある隠《ハイド》の術はかなり特殊な様に見えたが……」

 真剣に尋ねて来るエイブラムだが、俺はその勤勉さに拍手を送りたくなった。さすが若くして隊長格にまで登り詰めた男だ。知識欲が凄まじい。自分の知らないことを吸収しようとするその姿勢、今の自分にはない物で、少し羨ましく感じた。
 何だか微笑ましく自分を見つめる俺がさぞ気持ち悪かったのだろう、エイブラムは少し渋い顔をして「また今度でいい」と質問をピタリと止めた。

「お前、歳いくつだっけ」
「……二十一だ」
「若いねぇ」
「貴様も大して変わらないだろう」

 それには適当に笑って返す。
 俺は光に包まれ、とうとう動かなくなった禍物の傍に膝をつくノアを見つめた。後姿だから、今アイツがどんな顔をしているか分からない。何を思って、浄化し消えていく同胞を見つめているんだろうか。

「最初から、浄化するつもりだったのか?」
「は?」

 すると、隣に並んだエイブラムがそんな問い掛けをしてくる。俺はエイブラムを見つめたまま、数回目を瞬かせると、再び視線を禍物とノアに戻した。

「言っただろ。俺も殺すことに賛成って。普段から浄化なんてやってたら、こっちの身が持たねぇよ」
「だが、魔物に気を許さないと言った貴様が、浄化の手段を選ぶとは思わなかった」

 エイブラムの質問には答えなかった。ただ、黙って淡い光になって消えていく禍物を見つめる。矛盾しているって、思ってんだろうな。けど俺の心が変わった訳じゃない。
 ただ、身内を殺され、悲しみ、怒り叫ぶあの禍物の姿に覚えがあっただけだ。
 ――そう、昔の自分と重なった。ただそれだけだ。
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bkm